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玉手臣

読み
たまてのおみ
ローマ字表記
Tamatenoomi
登場箇所
孝元記
他文献の登場箇所
紀   天武13年(684)11月戊申朔条
姓   右亰皇別上
始祖
葛城長江曾都毘古
葛木曾頭日古命(姓)
後裔氏族
玉手朝臣
説明
 武内宿禰後裔氏族のひとつ。大和国葛上郡玉手を本拠地とする。天武13年(684)に朝臣姓を賜った。『古事記』には、葛城長江曾都毘古(武内宿禰の子)の後裔氏族として、的臣・生江臣・阿芸那臣とともに掲げられている。六国史に氏人が一切登場しないことから、氏族としては早くから衰退していたと考えられる。天平宝字2年(758)8月28日付「造東大寺司解」(『大日本古文書』4-293)に「正八位玉手朝臣道足」とあるように、奈良時代以降は下級官人として活動していたらしい。
 平安宮大内裏の西面南門は「玉手門」と称され、これは玉手臣が令制以前に宮城門の守衛を担当した氏族のひとつであったことに由来すると考えられている。弘仁9年(818)には唐風に「談天門」と改められた。河内国安宿郡には玉手の地名があり、玉手臣の勢力が及んでいたと推測されるが、同地は大和防衛上の要衝に位置しており、そこから天皇近侍の軍事貴族としての地位を得たことが指摘されている。
参考文献
直木孝次郎「門号氏族」(『日本古代兵制史の研究』吉川弘文館、1968年9月)
佐伯有清『新撰姓氏録の研究』考証篇、第2(吉川弘文館、1982年3月)

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