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しかして、其の后、おほ酒杯さかづきを取り、 立ち依り指し挙げて、歌ひて曰はく、 八千矛の 神の命や 我が大国主 汝こそは にいませば  打ちる 島の崎々 掻き廻る 磯の崎落ちず 若草の 妻持たせらめ 我はもよ にしあれば て は無し 汝を除て つまは無し 綾垣あやかきの ふはやが下に むしぶすま にこやが下に  たくぶすま さやぐが下に 沫雪あわゆきの 若やる胸を 栲綱たくづのの 白きただむき だたき たたまながり たま 玉手指し 股長ももながに をしせ  とよ御酒みき たてまつらせ  (5番歌) 如此かく歌ひて、即ちうきゆひて、うながけりて、今に至るまで鎮まり坐す。 此をかむがたりと謂ふ。

○八千矛の神の命や我が大国主 根の堅州国訪問の最後の場面において、スサノヲから大国主神の名を与えられた後、ヌナカハヒメ求婚から突然八千矛神の名で話が展開するが、ここに改めて大国主の名があらわれる。これを固有名ではなく、一般的な美称とみる見方もあるが、そうではなく、大国主神として認定されていく神話の一貫として読むべきものと思われる。スサノヲから「大国主神」として認められた存在が、改めて妻問いによって葦原中国を隈無く支配下においた神として、今度はスサノヲの娘であるスセリビメから「大国主」として認定されたことを表すものであろう。大穴牟遅神→大国主神、八千矛神→大国主神という二重の認定が描かれているものと思われる。 ○豊御酒奉らせ →献酒・勧酒の歌 【→補注九】 ○即ちうきゆひ為て、うながけりて、今に至るまで鎮まり坐す 「うきゆひ」は「杯結ひ」で、杯を交わす意とされる。「うながけりて」は「項掛けりて」で、相手の首に手を掛けること。杯を交差させ、お互いの首に手を回して、そのままの姿で今に至るまで鎮まっているという。根の堅州国から戻って後、突然八千矛神の名となって妻問い・嫉妬の歌物語が記され、そしてここに適妻と共に鎮まると記される。それは大国主神の国作り神話の文脈の中でどういう意味を持つことであるのか、未だ明確ではない。天皇による治天下の先駆け的意味を持つこの部分をどのように捉えて行けば良いのか。子を成さない「適后」とともに「鎮座」することの意味については今後も検討が必要であろう。なお、本誌の論考編に鶉橋辰成氏が「八千矛神神話の考察―「鎮坐」を中心に―」と題して論考を掲載している。この箇所に関する解釈の一つの可能性を示しているので、併せてご確認いただきたい。 ○神語 雄略記には「天語歌」という名称も見え、「事の語りごとも此をば」という詞章が共通している。ここに記された四首の歌を「神語」と見る見方と、歌と物語とを併せて「神語」と取る見方とがある。「神語」の語が記された位置からすれば、歌のみを指す、所謂歌曲名とは異なり、物語をも含めた呼称であると考えられる。【→補注四】

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献酒・勧酒の歌について

 須勢理毗賣は、「大御酒の坏」を捧げて記五歌を歌う。その末尾には「とよみきたてまつらせ(豊御酒献らせ)」とあり、八千矛神に酒を勧めて歌を閉じる。この語句は雄略記の「天語歌」における大后の歌(記一〇一)においても用いられており、「ことのかたりごともこをば」の一致とともに「神語」と「天語歌」との関連を窺わせるが、そればかりでなく、「とよみきたてまつらせ」が、儀礼的な宴の場において酒を勧める歌の様式であったということが考えられる。
 古代歌謡には、こうした酒を勧める歌がいくつか見られる。記三九・紀三二および『琴歌譜』「十六日節酒坐歌」の末尾「あさずをせ ささ」や、記四八・紀三九の末尾「うまらにきこしもちをせ」は、動詞「をす」の命令形を用いて「どうぞ一献」と勧める形式と考えられる。『琴歌譜』「あふして振」にも「うまらにをせ をばがきみ」とあり、これは酒を勧めているとは限らないが、「をせ(飲せ)」が儀礼歌の一つの型であったことが窺われる。そこに「うまらに(甘らに)」とか「あさず(残さず)」という語が伴うところに、酒の品質を保証しようとする歓待の心が表れている。また天平十五年五月の内裏での宴において、「このとよみきを いかたてまつる」(続紀三)「とよみきまつる」(続紀四)という末尾を有する歌が歌われている。この例からも「とよみきたてまつらせ」が伝統的な儀礼歌の型であったことが知られる。
 土橋寛『古代歌謡の世界』(塙書房・昭43)は、酒宴歌謡に「主人側から客人に対して歌われる勧酒歌」と「客人の側からの答礼の歌」である「謝酒歌」の二首の問答的な様式があることを指摘している。謝酒歌の様式は「われ酔ひにけり」などの語句によって満足の意を述べ、酒の品質の良さを追認するものである。公的な宴は儀礼的な場であったから、おそらくは開宴の挨拶として、主と客とが問答形式のやりとりをする型があったのだろう。祭祀においては神と人との問答(もしくは地主神と来訪神の問答)が行われるが、饗宴においてはそれが主と客によって模擬的に演じられるのである。
 記五歌や記一〇一歌もそうした開宴の宣言として理解できるが、説話的文脈としては、この二首とも対立や危機を融和するという役割を担っていることも見落としてはならない。その役割を酒が担う理由については、小野諒巳「豊御酒の献上」(國學院大學上代歌謡研究会『上代歌謡研究Ⅰ』平25)が指摘するように、「異界・異郷からもたらされ」た酒には、「異質な存在との関係を結びつけ」る呪能があると観想されていたからだと見てよいだろう。祭祀に酒が必要欠くべからざるものであったことは、柳田國男「酒の飲みやうの変遷」(『木綿以前の事』)に詳しい。
 さらに、この二首において酒を勧め、場の融和を促しているのが、いずれもオホキサキ(嫡后・大后)であるという点も見逃すことができない。仁徳記においても、大后石之日賣が豊楽において酒杯である「大御酒の柏」を自らの手で取って「諸々の氏々の女等」に与えており、これも大后が宴席において盃を捧げる事例に数えることができる。
 なぜ酒を勧める歌をうたうのが大后の役割なのかと言えば、一つには、酒の醸造も、宴席において酒杯を献じるのも、女性の役割だと考えられており、酒と女性を結びつける発想があったことが指摘できる。それは酒造が神と関わるものであるから、巫女の役割が重視されたことに来由すると考えられる(土佐秀里「酒造と神婚」『国文学研究』137集、平14・6)。だが、ここで献酒者の女性性を指摘するだけでは、説明としてまだ充分ではない。記一〇一歌の場合、最初に三重の采女が酒杯を献じて粗相があり、それを仕切り直すために大后が登場し、「とよみきたてまつらせ」と改めて宣言しているのである。これは天照大神の「詔り直し」に類した行為であり、そのような呪儀を可能とするのが大后のみに与えられた宗教的な役目であったと見るべきであろう。自ら神託を行う神功皇后はもちろんのこと、天智挽歌群や天武挽歌群における大后の役割にも、呪術性・宗教性が看取できる。従って記五・記一〇一の場合には、勧酒が宴の主宰者の立場から行われるという説明だけではまだ不充分であり、酒宴は女性司祭者によって差配されるものであるという発想が古くは存していたということを想定しなければならないのではないか。大伴坂上郎女が開宴歌と祭神歌を歌っているのも、そうした伝統的発想の残滓であろう(土佐秀里「坂上郎女『宴親族歌』の表現意図」『国文学研究』148集、平14・3)。

〔土佐秀里 日本上代文学〕

「ことのかたりごともこをば」の解釈

 記二~五歌においては「ことのかたりごともこをば」という語句が四回も用いられている。しかも雄略記の「天語歌」(記一〇〇~一〇二)においても全く同じ「ことのかたりごともこをば」が三回も用いられている。その類似からは必然的に「天語歌」と「神語」との紐帯が強調されることになり、そこからさらに連想が広げられると、姓氏録に見える「天語」氏と「あまはせづかひ」とを関連づける説も出されることになる。
 全く同じフレーズが歌い手のキャラクターとは関係なく何度も繰り返し用いられていることと、しかもそれが歌の末尾に配されることからすれば、これを定まった語りの様式だと見るのは自然な考えであろう。しかしながら、この語句の使用が当該歌群と「天語歌」だけに限定されており、それ以外の記紀風土記の歌謡や万葉歌には用いられることがないという点を斟酌するならば、その「語りの様式」は、決して汎用性がある様式ではないということになる。そうなると、この語句の使用が「神語」と「天語歌」に限定されることと、「かたりごと」という語との間には、「かたり」という共通項に規定される何らかの特殊な関係性があるとの推論がなされることになるだろう。ただし、「神語」「天語歌」の「語」が、「かたり」と訓まれることが確定したわけではない。
 「神語」という語については、その指す範囲について意見がさまざまに分かれるが、しかしそれをどのような範囲にとったとしても、そこから「歌」が排除されることだけはない。八千矛神の歌がイコール「神語」ではないとしても、それが「神語」に含まれる構成要素であることは動かないのである。また「天語歌」が三首の「歌」を指していることは確実だが、その呼称からは「かたり」でもあり「うた」でもあるという両義的な意味が読み取れる。とすれば「神語」と「天語歌」の共通性は、「うた」でありながら「かたりごと」でもあるという特異な形態にあり、そこが他の記紀の「うた」とは異なるところだと考えることができる。「かたり」に特質があるのだとすれば、「神語」と「天語歌」には「かたりごと」を伝誦する「語部」が関与しているのではないかという推論が導きだされることになる。
 折口信夫『古代研究』は、「神語」と「天語歌」が「海部語り」であり、海部出身の語部が当該歌を伝誦したと考えた。また津田左右吉『日本古典の研究』は、宮廷において「神語」「天語歌」を演奏するために「語部」が設けられたのだと考えた。そして神堀忍「語部とその遺制」(関西大学『国文学』34号、昭38・6)は、「天=中央」から地方に派遣された使者が「天はせづかひ」であり、地方においては天皇の権威を代行する者として畏怖されたと考える。そして出雲地方で伝承歌謡を披露するに際し、「天はせづかひ」におもねくるべく「いしたふや…こをば」という讃詞が歌い込まれた。それを出雲の「語部」が語り伝えたと解する。また折口説を継受する土橋寛『古代歌謡全注釈』は、繰り返される「ことのかたりごとを…」の句が、伝誦者の「署名のようなもの」だと解している。
 このように旧来の説では、「ことのかたりごと」は古伝承の意とされ、「語部の古詞」と結びつけて考えられてきた。つまり「ことのかたりごとを…」の句は歌の一部というより、言わば「地の文」として理解されてきたのである。そこに「あまはせづかひ」を結びつけることで、歌の伝誦者が名乗りを上げているという理解がなされていった。そのような動向に対し、青木紀元『日本神話の基礎的研究』は、「あまはせづかひ」を伝誦者ではなく作中人物と考え、「いしたふや…」を呼びかけのセリフと解することで、研究史上に画期を齎した。だが青木氏は、「ことのかたりごともこをば」については、ただの「囃し詞」として処理してしまい、その文脈的意味を問題にしなかった。青木説の出現によって「いしたふや…」については歌詞の一部として解釈されるようになったのだが、しかし「ことの…」以下については、旧来通り「地の文」として解すべきか、それとも「いしたふや…」と同じく歌の一部として解すべきか、十全な検討がなされぬまま放置されてきたところがある。
 改めて「ことのかたりごともこをば」の意味を検討しておこう。契沖『厚顔抄』は、「ことのかたりごと」を「事の語り言」と解しており、この理解が今日でもスタンダードとなっている。異説としては、山上伊豆母「『ことのかたりごと』の系譜」(『古代祭祀伝承の研究』雄山閣・昭48)が「琴の語り言」と解しているのが注目されるが、これを継承発展させる論はその後現れていない。古事記の記述からは「琴」が登場する必然性が読み取れないからである。もし山上説に可能性があるとすれば、神功皇后が託宣をする場面で、古事記では仲哀天皇が、日本書紀では武内宿祢が琴を弾いていることを考え併せることができるかもしれない。
 なお書紀では、この神功皇后の託宣のことを「神語」と呼んでいることは注意されてよい。書紀では他にも欽明紀(十六年二月)や皇極紀(三年七月)で、託宣を「神語」と称している。これらは「かむがたり」ではなく「かむこと」と訓じられてきているが、その訓読については、古事記の「神語」と併せて再検討の必要がある。また八千矛神の「神語」も、巫覡の神託という意味で用いられているという可能性を、人称転換の問題とも併せて検討しなければなるまい。異端の説である山上説の当否も、その検討に委ねられることになろう。
 「かたりごと」が「語り言」であることはまず動かない。仁徳記に、倉人女が児島の仕丁の「語言」を聞くという場面がある。「語言」は「かたること」とも「かたりごと」とも訓めるが、どちらにしても「語り言」という語構成を推定する根拠にはなる。万葉歌には「事毛語」(11―二五四三)「こともかたらひ」(18―四一二五)とか、「かたらむこと」(20―四四五八)という措辞が見られるので、「こと」を「かたる」という言い方があったことがわかる。というより、「語る」という動作は、ただ発話する意ではなく、出来事の経緯や事情を事細かに説明し伝達するというような意味があるのだろう。そう考えると、「事の語り言」というやや諄く説明的な語構成をとる意味が了解される。
 「こをば」は、指示語「こ(此・是)」に複合助詞「をば」がついたものと解されている。ただし「をば」は「を」の働きを強調したもので、以下に述語を受けるべき語であり、当該例の他には文末用法が見られないことが注意される。つまり当該例は、省略表現と見るべきであり、平安時代語「かくなむ」の文末用法に似たものだと考えられる。従って「こをば」の下には「言ふ」「申す」「語る」といった発話行為を表す述語動詞が省略されているということになる。
 「ことの…」がいわば「地の文」に相当するものと考え、八千矛神の歌および物語の享受者(聞き手)に対する説明と見るならば、「事の次第は以上でございます」というような意味になるだろう。『新編全集』の「古い伝承を踏まえていることをいい、その真実性を保障する言葉」という解釈は、この句を歌の外部にいる「聞き手」を意識した表現と見ており、「かたりごと」を古伝承と見る伝統的な解釈を継受したものである。その場合、「こをば」は歌が語ってきた内容そのものを指しているということになろう。
 青木周平「『事の語り言』の文脈からみた八千矛神像」(『國學院雜誌』100巻11号、平11・11)は、「こをば」が散文部における「是也」と同じ機能を有すると見て、これが直接的な文脈指示ではなく、「事」全体の「内容をまとめて強調する」機能を持つものだとする。従って当該の「こをば」一首ごとに異なることがらを指示しているものではなく、歌群全体のまとまった内容を「事の語り言」として指示していると解釈した。しかしこの解釈は結果的に旧来の「かたりごと」の範囲を変更するものではなく、なおかつその指示が何度も繰り返される意味が明らかにされていないところに問題が残る。
 中西進『古事記をよむ』は、これを「あまはせづかひ」に対する要求のセリフと考え、「こをば」の後に「伝えよ」という語が省略されていると見た。つまり中西氏は、「こをば」は対読者用の説明ではなく、作中人物の発話だと考えているわけである。また、鉄野昌弘「『神語』をめぐって」(『万葉集研究 第二十六集』平16)は、「ことのかたりごともこをば」が「八千矛神や沼河比売が、自分の事情や感情を、歌にして投げかける際の言葉」だと論じているのは、中西説をさらに一歩進めたものであり、青木周平説とは対照的に、一首ごとに個別の文脈を考えようとするものとして注目される。鉄野説を補強しうるのは、神宮咲希「『事の語り言も此をば』考」(國學院大學上代歌謡研究会『上代歌謡研究Ⅰ』平25)の説で、神楽歌や中国少数民族の歌謡を例に、「歌の末尾の決まり文句」には対詠性があり、「次の歌い手」の歌を促す機能があることを指摘している。この指摘は集団的な歌謡の生態を考える上でも示唆的であり、当該歌群が対話形式で進んでゆくことにもうまく適合する。
 このように、「いしたふやあまはせづかひ」のみならず「ことのかたりごともこをば」を歌の本文に含めて考え、登場人物間の呼びかけ表現と見る説は、新たな読みの方向を切り開くものとして評価できる。しかし、このフレーズが相手への呼びかけとか、次の歌を呼び出すものであるなら、「神語」と「天語歌」以外の対詠的・唱和的な記紀歌謡群に使用されていてもおかしくないはずである。なぜ他の唱和歌・問答歌にはこのフレーズが全く使用されることがなく、「神語」と「天語歌」だけに用いられているのかという古典的な問題は、まだ解決されないままである。さらにまた、この語句を有する「神語」と「天語歌」がどちらも古事記のみに掲出され、日本書紀には全く採用されなかった理由も説明されなくてはならない。八千矛神の「神語」が日本書紀に掲載されない理由については、書紀が大国主神話・出雲神話を国家の歴史から除去しようとする方針を有しているからだと説明できる。またその代わりに記二・三の類歌を継体天皇条に掲載したとも考えられる。しかし「天語歌」については、景行天皇条に記載されてもおかしくない歌でもあり、書紀が掲載しない理由をどう考えればよいのだろうか。編纂資料の出自の違いが編纂方針に影響を与えているとすれば、議論は再び古典的な伝承者の問題に回帰することにもなろう。やはりこの語句をめぐっては、未解決の問題がまだまだ多く残されていると言わざるをえない。

〔土佐秀里 日本上代文学〕

尒、其①、取大御酒杯、 立依指擧而、歌曰、 夜知冨許能 加微能美許登夜 阿賀淤冨久迩奴斯 那許曽波 遠迩伊麻世婆 宇知微流 斯麻能佐岐耶岐 加岐微流 伊蘇能佐岐淤知受 和加久佐能 都麻母多勢良米 阿波母与 賣迩斯阿礼婆 那遠岐弖 遠波那志 那遠岐弖 都麻波那斯 阿夜加岐能 布波夜賀斯多尒 牟斯夫湏麻 尒古夜賀斯多尒 ②夫湏麻 佐夜具賀斯多尒 阿和由岐能 和加夜流牟泥遠 多久豆怒能 斯路岐多陀牟岐 曽陀多岐 多々岐麻那賀理 麻多麻傳 多麻傳佐斯麻岐 ③那賀迩 伊遠斯那世 登与美岐 多弖麻都良世 如此歌、即為宇伎由比[四字川音]而、宇那賀氣理弖[六字川音]、④今鎮坐也。 此謂之神語也。 【校異】
① 真「舌」。兼永本「舌」、 寛永版本「告」。「舌」は「后」の異体「」の譌とする神道大系に従い、 「后」に改める。
② 真「父」。道祥本以下に従い、「久」に改める。
③ 真ナシ。延佳本・記伝等により、「々」を補う。
④ 真「玉」。道祥本以下に従い、「至」に改める。

その歌をきいて、其の妻の須勢理毗売命は、大御酒杯を手に取って、 八千矛神の側に立ち、寄り添って杯を高くかざして、歌っていうことには、 八千矛の神の命よ、わが大国主よ。 あなたこそは男でいらっしゃるから、 お巡りになる島の崎ごとに、 お巡りになる磯は一つも欠かすことなく、 若草の妻を持っていらっしゃることでしょうけれど、 私は、女ですので、 あなた以外には、男はおりません。 あなたを除いては、夫はありません。 綾織りの垣のふわふわと揺れる下で、 絹の柔らかい布団を下にして、 楮のさやさやと音を立てる布団を下にして、 沫雪のように若々しく柔らかな胸を、 栲綱のように白い腕を、 そっと叩いて、叩いて愛しがり、 玉のような手を、玉の手を差し交わして枕にして、 脚をのびのびと伸ばしておやすみなさいませ。 このお酒をお召し上がり下さい。 このように歌って、それで杯を交わして誓い、項に手を掛け合って抱き合い、この二神は今に至るまで共に鎮まりなさっている。 この歌と物語を神語と言う。

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