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故尒かれしかして、黄泉よもつひら坂に追ひ至りて、 遙はるかに望のぞみて、呼びて大穴牟遅神に謂いひて曰いひしく、 「其の汝なが持てる生大刀・生弓矢以て、 汝が庶兄弟ままあにおとは、坂の御尾みをに追ひ伏せ、亦河の瀬に追ひ撥はらひて、 意礼おれ、大国主神となり、 亦宇都志うつし国くに主ぬしの神かみとなりて、 其の我が女むすめ湏世理毗売を適妻むかひめとして、 宇迦能うかの山やまの山本に、 底つ石いは根ねに宮みや柱ばしらふとしり、 高天原に氷椽ひぎたかしりて、居れ。是この奴やつこや」といひき。 故、其の大刀・弓を持ちて、其の八十神を追ひ避さくる時に、 坂の御尾ごとに追ひ伏せ、河の瀬ごとに追ひ撥ひて、始めて国を作りき。 故、其の八上比売は、先の期ちぎりの如くみとあたはしつ。 故、其の八上比売は、率ゐて来つれども、 其の適妻むかひめ湏世理毗売を畏かしこみて、 其の生める子をば木の俣に刺し挟みて返りき。 故、其の子を名づけて木俣神きまたのかみと云ふ。 亦の名は、御井神みゐのかみと謂ふ。
○黄泉つひら坂 先に須佐之男命によって、「妣の国根の堅州国」と言われていた点と併せて、黄泉国と根の堅州国との出口がともにヨモツヒラサカであることから、黄泉国と根の堅州国とを同一視する見方もあるわけだが、少なくとも『古事記』を読む限り、この二つの世界を同一視し得る要素は見られない。関連付けられているのは確かであろうが、どちらも葦原中国に対して働きかける世界(マイナスであれ、プラスであれ)であり、どちらも出雲にかかわる世界であるということは確かなようである。 ○遙かに望みて 「遙」は、『日本書紀』皇極天皇三年六月条の歌「波魯波魯儞 渠騰曾枳挙喩屢」や、『万葉集』5・八六六歌の「波漏〃〃尓 於忘方由流可母」の例により、記伝以来「ハロハロニ」と訓まれることが多いが、「遙」字と「ハロハロ」の訓が結び付くかどうかは不明なので、「ハルカニ」と訓んでおく。「望」もミサク(見放く)と訓むものが多いが、こちらも普通にノゾムと訓むこととする。遙か遠くを望み見る意。仁徳記にもう一例見えるが、どちらの例も、異世界を遙か遠くに望む意であると思われる(仁徳記は、天皇が現実世界から神話世界を眺めている例である。谷口「仁徳記53番歌と国生み神話」『悠久』146号、二〇一六年八月、参照)。なお『古事記』中の「望」の字は雄略記に「待ち望む」の例が一例あるのを除いて、当該例を含めて八例が、視線が上から下の方に向けられた例(水平の場合もあり得る)である。それをもって神野志隆光は、根の堅州国と、同じくヨモツヒラサカを経由する黄泉国が地下ではなく、葦原中国と同じ平面上、若しくはヨモツヒラサカを下ってきた側に葦原中国があると結論付ける(「「黄泉国」―人間の死をもたらすもの―」『古事記の世界観』吉川弘文館、一九八六年六月、初出は一九八四年九月)。一方、吉野政治は、他文献の例も挙げて上代文献に於ける「望」は「遙かむこうまで視界が遮られないことを条件とし、視線の上下は問わない言葉だと思われる」と説く(「「黄泉比良坂の坂本」―黄泉国の在処について―」『古事記年報』四十一号、一九九九年一月)。『古事記』の用例から見る限り、少なくとも下方から上方を眺めると理解することは出来ないが、先述の通り「遙」の字も含めて考えた場合、遙か異界を望み見る特殊な状況での表現であり、それによって上下の位置を確定することは出来ないものと思われる。 ○大国主神・宇都志国主神 既に大国主神の亦名のところでも述べたことだが、根の堅州国神話ではこの神の五つの名のうち、四つまでが登場する。それまで大穴牟遅神と記されていた神が、須佐之男命の発言によって大国主神へと成長する物語として読むことが出来るわけだが、それに加えて、須佐之男命から見れば葦原中国の一兵士的な存在「葦原色許男」でしかなかった大穴牟遅神に「大国主神」となる資質を見出し、名を与えたという展開に加えて、「宇都志国主神」ともなれ、という意味が込められていると見ることが出来る。「大国」の「主」であると同時に、「宇都志国」の「主」であれ、という意味で捉えられるというところから、「宇都志国玉神」ではなく、諸本に従って「宇都志国主神」の本文を採用した次第でもある。 ○適妻 「正タダシく夫ヲに對配ムカフ意」(記伝)でムカヒメと訓む。正妻。「適」は道祥本・春瑜本の他、寛永版本以降「嫡」とするものも多いが、真福寺本、及び卜部系諸本に「適」とあるので、そのままとする。「適」は「嫡」に通ずる字。『新撰字鏡』天治本「嫡」に「適字同主嫡也嫡正也(中略)牟加比女又毛止豆女」とある。 ○宇迦の山の山本 宇迦は『出雲国風土記』出雲郡宇賀郷の地と見られる。「脳の礒」、即ち「黄泉坂・黄泉穴」のある地である。ヨモツヒラサカを通って葦原中国に戻ってきた地が、出雲の在地側が言うところの「黄泉坂・黄泉穴」に纏わる地であるのは偶然であろうか。大和を起点として見た場合、黄泉国の出口にあたるヨモツヒラサカは、出雲国の入り口近辺(意宇郡)となり、根の堅州国の出口にあたるヨモツヒラサカは、出雲国の最果て(出雲郡)の地に関連するという対応関係にあるものとして捉えることが出来るのかも知れない。国譲り神話の舞台である稲佐浜もその近辺として考えれば、大和から見た出雲の一番手前の位置と、一番奥まった位置とが話題になっているという特徴がある、ということになろうか。 ○底つ石根に宮柱ふとしり、高天原に氷椽たかしりて 須佐之男命により、宮殿造営を命じた言葉。同様の表現は後に大国主神が国譲りを行う際に天神に出した条件の中にも見られるので、少なくともそれ以前の段階で宮殿造営が果たされていたとは読めない。もう一例、番能邇々芸命の高千穂峰への天孫降臨の際にも見られるので、ここでは根の堅州国から、次は葦原中国から、最後は高天原の側から表現されたものと見ることが出来る。詞章の中に「高天原」が含まれるのは、この表現が『古事記』神話の世界観に関わって唱えられているものであることを表しているのであろう。従って一方の「底つ石根」は「根の堅州国」を意識した表現であるように思われる。なお、この詞章については松本直樹に論があり、「底津石根云々」については「少なくとも古事記においては、葦原中国の王権と根堅州国との関わりを象徴的に示す表現として読むべきではないか」と述べている(「「高天原に氷椽たかしりて」について」『古事記神話論』新典社、二〇〇三年十月、初出は一九九八年一月)。 ○其の八十神を追ひ避くる時に この一文は、「稲羽の素兎」の冒頭部、「故、此の大国主神の兄弟、八十神坐しき。然れども、皆国は大国主神に避りき。避りし所以は」と対応している。なお『出雲国風土記』大原郡来次郷に「天の下造らしし大神の命、詔りたまひしく、「八十神は、青垣山の裏うちに置かじ」と詔りたまひて、追ひ廃はなちたまふ時に、此処に迨次きすき坐しき。故れ、来次きすきと云ふ」と見え、関連が窺える。来次郷は斐伊川流域にあるので、ヤマトから見て斐伊川以西が境界の外という認識があった可能性も考えられる。 ○始めて国を作りき 記伝は「クニツクリハジメタマヒキ」と訓むが、語順からはそうは訓めない。大国主神としての国作りがここで始まり、次の八千矛神の神話と、その後の国作り神話へと続いて行くということであろう。この国作りを、神話冒頭の国土の修理固成の「命以」、伊耶那岐命と伊耶那美命の国生み・国作りを継承するものとして捉えるのか否か、継承するものとしても、それを天神の公認のものとして見るか否かなど、古事記神話の文脈を考える上で問題となるところである。後の大国主神の国作り条、及び葦原中国平定神話の冒頭部の描写などの箇所でまた考えることとしたい。 ○みとあたはしつ 交合の意。ミトは寝所か陰部。アタハスは「当つ」+「合ふ」、若しくは「与ふ」+「す」(尊敬)。 ○木俣神・御井神 ここにこの神名が登場する意義についてはこれまで殆ど論じられていないが、以前、大屋毗古神の登場意義とも絡めて、宮殿造営に関連する神名ではないかと論じたことがある(谷口「木の国の大屋毗古神」『古代文学』四八号、二〇〇八年三月)。なお、西郷注釈が説くように、この一連の神話では、大穴牟遅神が大樹に挟まれ、木国に逃げ、木俣から根の堅州国に向かうというように、「木」とのかかわりが深い。ここに木俣神の名が登場することと、大穴牟遅神が木俣から根の堅州国に向かったということとは、無関係とは思われない。
故尒、追至黄泉比良坂、 遙望、呼謂大穴牟遅神曰、 「其汝所持之生大刀・生弓矢以而、 汝庶兄弟者、追伏坂之御尾、亦追撥河①之瀬而、 意礼[二字以音]為大國主神、 亦為宇都志國主②神而、 其我之女湏世理毗賣為適妻而、 於宇迦能山[三字以音]之山本、 於底津石根宮柱布刀斯理、[此四字以音] 於髙天原氷③椽多迦斯理[此四字以音]而、居。是奴也。 故、持其大刀弓、追避其八十神之時、 毎坂御尾追伏、毎河瀬追撥而、始作國也。 故、其八上比賣者、如先期美刀阿多波志都。[此七字以音] 故、其八上比賣者、雖率来、 畏其適妻湏世理毗賣而、 其所生子者、刺挟④木俣而、返。 故、名其子之木俣神。 亦名謂御井神也。 【校異】 ① 真「阿」。道祥本以下に従って「河」に改める。 ② 真「主」。現行のテキスト・注釈書類では、 全書・神道・新版は「主」のままとするが、 他は「玉」に改めている。諸本一致しているので、「主」のままとする。 ③ 真「水」。道祥本以下に従って「氷」に改める。 ④ 真「狭」。諸本「狭」。文意により改める。
そうして、(須佐之男は)ヨモツヒラサカに(大穴牟遅神を)追い至って、 遙かに(逃げる大穴牟遅神を)望み見て、呼びかけて大穴牟遅神に叫んで言ったことには、 「そのお前が持っている生大刀と生弓矢とを使って、 お前の異母兄弟たちを、坂の裾に追い伏せ、河の瀬の向こうに追い払って、 おのれ、大国主神(=国土を代表し、領有する神)となり、 また、宇都志国主神(=現実の地上世界を代表し、領有する神)となって、 そこに居る我が娘を正式な后として、 宇迦の山の麓に、 地の底の根の堅州国にある岩盤に宮殿の柱を太く立て、 高天原に届くまでに千木を高く聳えさせて居住せよ。こいつめ」と言った。 それで(大穴牟遅神は)その大刀と弓を用いて、その八十神を追って(国から)去らせる時に、 坂の裾ごとに追い伏せ、河の瀬ごとに(その向こうに)追い払って、始めて国を作ったのだった。 そうして、その(稲羽の)八上比売は、以前の約束の通りに(大穴牟遅神と)契りを結んだ。 それで、その八上比売を(大穴牟遅神は)連れて来たけれども、 (八上比売は)その正妻の須世理毗売を畏れて、 その(自分が生んだ)子を木の俣に刺し挟んで帰ってしまった。 それで、その子を名付けて木俣神と云う。 亦の名は、御井の神と云う。