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其の櫛くし名田比売以なだひめもちて、久美度くみどに起こして生める、 名は八や嶋しま士奴じぬ美神みのかみと謂ふ。 又、大山おほやま津つ見神みのかみの女むすめ、名は神大市かむおほいち比売ひめを娶めとして生みし子は、 大年神おほとしのかみ。 次に宇迦うかの御魂みたま。 兄八嶋士奴美神、大山津見神の女、名は木花このはなの知流比売ちるひめを娶りて生みし子は、 布波能母遅久奴湏ふはのもぢくぬす奴神ぬのかみ。 此の神、淤迦おか美神みのかみの女、名は日河ひかは比売ひめを娶りて生みし子は、 深渕ふかふちの水みづ夜礼やれ花神はなのかみ。 此の神、天あめの都度閇知つどへち泥神ねのかみを娶りて生みし子は、 淤美豆おみづ奴神ぬのかみ。 此の神、布怒豆ふのづ怒神ののかみの女、名は布帝ふて耳神みみのかみを娶りて生みし子は、 天あめの冬衣神ふゆきぬのかみ。 此の神、刺国大神さしくにおほかみの女、名は刺国若さしくにわか比売ひめを娶りて生みし、 大国主神おほくにぬしのかみ。 亦の名は大穴牟遅神おほあなむぢのかみと謂いひ、 亦の名は、葦原色許男神あしはらしこをのかみと謂ひ、 亦の名は、八千やち矛神ほこのかみと謂ひ、 亦の名は、宇都志うつし国玉神くにたまのかみと謂ふ。 并せて五つの名有り。
○久美度に起こして イザナキ・イザナミ二神の結婚の場面には、「雖然久美度迩興而生子水蛭子」とあって、「興」の字を用いていた。オコスは記伝に「語のこころは、先ヅ凡て事の始まりを起りといひ、始むるを起すと云、されば此は、御子を生たまはむ事を、久美度(宣長はこれを「籠り所」とする。大野晋補注は「組み」の意とする)にして始め賜ふ謂なり」とあり、これ以後「始める」意で説かれることが多い。『古事記』中「興」の字の例には、「興軍」(神武記)(崇神記二例)(垂仁記)(仲哀記)(仁徳記)(允恭記)(安康記二例)(清寧記)「興浪」(景行記)があり、使用法が偏っている。いずれも「○○ヲオコス」の形であって、「クミドニオコス」は異例である。この場面では「起」が用いられているが、「起」の用例は以下の通り。「起荒心」(海幸山幸)「起邪心」(崇神記)「天神御子即寤起而」「御軍悉寤起之」(神武記)「乃天皇驚起」(垂仁記)。ある心情の起こりを記すものが二例、あとは寝ている状態から覚める例が三例。やはり「クミドニオコシテ」という表現は異例である。現代語訳では試みに「目覚めさせて」と訳してみた。イザナキ・イザナミの場面とは異なる解釈となる点で問題が残るので、なお考えていきたい。なお、文脈上で「クミド」は、イザナキ・イザナミの場面では「八尋殿」を指し、この場面では「出雲八重垣」の内を指すことになる。「生む」主体は誰かと言えば、続く系譜の形式(「娶」の用法)から見れば、須佐之男命となる。従って須佐之男命がクシナダヒメを「クミドニオコシテ」子を生むという形となる。「男が女を娶って子を生む」という系譜の形は、中・下巻の天皇系譜と同じである(「娶」の項目参照)。 ○八嶋士奴美神 『日本書紀』神代上八段一書一には「清之湯山主三名狭漏彦八嶋篠」「一云清之繋名坂軽彦八嶋手命」「又云清之湯山主三名狭漏彦八嶋野」とあり、この神の五世孫を大国主神とする。正文では大己貴神をスサノヲの子神としており、一書二には六世孫として大己貴神を位置付けている。いずれの場合も他の子神、孫神などの記載は無い。「八嶋」は地上世界全体を指す言葉と見られる。イザナキ・イザナミの国生み神話において生み出された「八島」=「大八島国」、または後の八千矛神の「神語」に歌われる「八島国」とも関連するか。須佐之男命の子神として最初に生まれる神の名に「八嶋」の語が付くのは、後に大国主神が葦原中国の国作りをし、国土を一旦は領有支配することと関わるものであろうか。「ジヌミ」について、記伝は「士は知、奴は主…美は稱名耳の略にて…此御名は、後に大國主神、國造りて天下をうしはき坐る時に、遠祖なる故に、如此稱へしにや、若然らずは、八嶋知主とは云まじくこそ」と言い、集成も「多くの島々を領有する主の神霊」と説く。 ○神大市比売 大山津見神の女。集成は「神々しい、立派な市」「市場の支配神の名」とするが、何故ここで市に関わる神名が登場するのかは不明。登場するのかは不明。 ○娶 「娶」の初出。『古事記』中・下巻の天皇系譜において、婚姻関係を示す用語は基本的にこの「娶」が使用される。吉井巌は、「娶」は帝紀に専用されていた文字で、それ以外の「婚」「御合」などは旧辞で使用されていた文字であると説いた。『古事記』の物語部分(旧辞的部分)に「娶」が見られる用例については、『古事記』編纂段階における挿入、若しくは帝紀からの引用であると論じた(「帝紀と舊辭―娶の用字をめぐって―」『天皇の系譜と神話』塙書房、一九六七年十一月)。「娶」は基本的に正当な婚姻関係を示す際に用いられるものであり、同時に系譜の正当性をも保証する機能を担っているものと思われる。従って、神話・物語による婚姻関係の保証が無い場合でも、「娶」字を用いることで系譜にある種の権威を持たせようとしたものであろう。なお、天皇系譜に用いられるこの書式を、須佐之男命に始まる出雲系の神々の系譜に用いた点に『古事記』の何かしらの意図が込められていると思われる。【→補注六】 ○大年神 穀物・稲の稔りに関係する神名。集成は、漢字「年」の字義は「穀物の熟すること」で、穀物のなかで稲の稔りが一年かかることから、「年月」の意の「年」となったとする。新編全集に「大」は美称、「年」は稲の実りという。 ○宇迦の御魂 食物・稲に関係する神名。一般に、ケ・ウケ・ウカは食物の意とされるので、食物の霊を表す。書紀に「食稲魂」に「于介能美柂磨」の訓注を付す。大殿祭祝詞に、「屋船久久遅命、[是木霊也。]屋船豊于気姫命登、[是稲霊也。俗詞宇賀能美多麻。]」と見える。 ○木花知流比売 大山津見神の女。穀物・稲の稔りに関係する神名か。後出の木花之佐久夜毘売と対をなす神名。大山津見神の女であることも共通する。天孫ニニギの命がサクヤビメと結婚することによって繁栄を得るのと対照的に、チルヒメを「禍々しい女」と見る説もあるが(中西進『古事記を読む』角川書店、一九八五年十一月)、咲くことと散ることとは一連の植物の営みであるから、サクヤビメと同様に「豊かな収穫の予祝を込めた名」(新編全集)と取ることも出来る。 ○布波能母遅久奴湏奴神 未詳。記伝は「布波は地名か、母遅は、大穴牟遅の牟遅と同じ、…久奴は国主なるべし、…須奴は意得がたし、〔強ていはば、知主か…〕」とする。集成は、「布波」は「含む」の語幹「ふふ」と同根で「まだ開ききらない状態」をいう語と取り、母神の木花知流比売の縁で「布波」(蕾)と表現したかという。また「久奴須」については「国巣」で、巣は人の住居の意と取り、「奴」は「主」の意とした上で、父神の八嶋士奴美の神が八島の領有支配者の神霊であることと関連付けて「国の居住地の主」を意味する神として捉えている。 ○淤迦美神 水に関係する神名。「火神被殺」条に「闇淤加美神」が見えていた(『古事記學』二号、「古事記注釈(八)「火神被殺」」)。『豊後国風土記』直入郡球覃郷に「蛇龗〔謂於箇美〕」とあり、文字的には龍蛇神を指している。 ○日河比売 水に関係する神名。集成は、「日河」は「霊的な川」とし、霊川に奉仕する巫女と説くが、霊川の女神ととることも出来よう。なお、「日」は上代特殊仮名遣いでは甲類、八俣大蛇退治神話の舞台ともなった「肥川」の「肥」(『日本書紀』の「簸」)は乙類であるので、肥川の女神とは言えない。『古事記』中巻垂仁天皇条に見える「肥長比売」は出雲の肥川に関わる場面で登場しているところからも、肥川の女神である可能性がある。しかも蛇体神である。 ○深渕の水夜礼花神 水に関係する神名と思われるが、未詳。集成は「深い淵の水が遣られ始めること」を表す神名とし、水の運行の神格化と説く。 ○天の都度閇知泥神 水に関係する神名と思われるが、未詳。集成は「天之」は水源を考慮して冠せられたもの、「都度閇」は自動詞四段「集ふ」の受身形(下二段)で、目に見えない力によって集められているの意、「知」は「道」で「水路」と見て「天上界の、集められた水路」の義とする。 ○淤美豆奴神 水に関係する神名。『出雲国風土記』に「八束水臣津野命」「国引坐八束水臣津野命」「国引坐意美豆努命」と見える神との関係が説かれることが多い。「八束水臣津野命の国引き給ひし後に、天の下造らしし大神の宮を奉へまつらむとして…」(出雲郡)とあるのによれば、臣津野命よりも大穴持命の方が後の存在として位置付けられており、その点では『古事記』の系譜と共通する。記伝は「大水主の意にや」と言い、新編全集『風土記』は「八束水は深い水の意で修飾語。臣津野は大水を神格化した呼び名。土砂を運び陸地を造成する水の力を象徴する」とする。 ○布怒豆怒神の女、名は布帝耳神 共に布に関連する神名かと思われるが、未詳。集成は布怒豆怒神について、「布怒ふの」は「曲くな」の音転、「豆怒づの」は「葛つた」の意か、とし、くねくねと這う葛ふじつるの類で、水にさらして衣類の繊維を採る材料に基づく命名とみる。布帝耳神についても「衣類の神霊」の意とするが、ここに衣類に関する神名が登場する理由は分からない。布怒豆怒神については、布波能母遅久奴須奴神との関連を考えるべきかも知れない。布帝耳神は、『日本書紀』垂仁天皇三年三月一云・八十八年七月条に、天日槍が妻とした女性の父の名「太耳」と同義か。 ○天の冬衣神 前項と同じく衣に関係する神名かとも思われるが、未詳。集成は、「冬衣」は「増ゆ衣」をもにおわせており、衣の豊饒を讃美する意で、「天之」はそれを天界から賜ったものとして冠する美称と取る。全講に、「冬(殖ゆ・触ゆ)は古くから霊魂を更新して体内に鎮める時節」であり、「衣はその触媒質」であるというが、そうであるならば、前項の二神もこの神との関わりで、衣の神と見ることも可能となるがどうか。 ○刺国大神の女、名は刺国若比売 国に関係する神名。「刺」は占有する意であろう。「大」と「若」で対の名となっている。ここまで、各神名のもつ意味は明確ではないものが多いが、おおよそ農耕に関わる神、水に関わる神、衣類に関わる神(霊魂の増幅・更新)、加えて天上界に関与する要素が系譜の中に取り込まれる形となり、最終的に国土を占有する名義を持つ神が関わって大国主神の誕生に繋がってくるという意義を有しているようである。 ○大国主神 偉大な、国の主の神。四つの亦名を持つ。『古事記』では主として次項の大穴牟遅神の名で神話が展開し、三度の妻問いの神話を経て、大国主神へと成長を遂げ、その上で国作り→国譲りを行う神として位置付けられることになる。【→補注七】 ○大穴牟遅神 『日本書紀』に「大己貴命・大己貴神」、風土記に「大己貴・大穴持命・大汝命・大汝神」、『万葉集』に「大汝・大穴道・於保奈牟知」など多くの表記がなされる。表記に関わって、この神が「オホナムヂ(チ)」なのか、「オホアナムヂ(チ)」なのか、訓み方の見解も分かれている。『万葉集』の「於保奈牟知」や「大汝」の表記、及び『古語拾遺』の「於保那武智」の例によれば「オホナムチ」となるが、古事記の「大穴牟遅」の表記、及び『日本書紀』の訓注「於褒婀娜武智」に従えば、「オホアナムヂ(チ)」となる。「アナ」は連母音脱落によって「ナ」と変じた可能性はあるが、元々が「アナ」だったと見るか、「ナ」だったのかと見るかによって、神名の解釈も異なることになる。記伝は、師説(賀茂真淵説)として、「穴は那の假名、牟は母モの転ウツれるにて、大名持なり」とし、全註釈は「ナ」は「地震(ナヰ)」などの「ナ」であるとして「要するに大穴牟遅神は、大・地・貴の神の意で、偉大なる土地の主の神である」と述べ、集成は「アナ」と訓じて「偉大な、鉱穴の貴人」「穴は、砂鉄を採る鉱山の穴の意」と取っている。 ○葦原色許男神 葦原は「葦原中国」に関わる神であることを示す。色許男は『日本書紀』に「醜男」とあり、これを注釈や集成のように醜い男の意でとるか、記伝や新編全集のように勇猛な男の意でとるかで見解が分かれる。 ○八千矛神 諸注釈ではおおよそ「矛」を武器と見て、武力の神であると捉えている。『日本書紀』九段正文の国譲りの場面には、大己貴神の発話として「吾、此の矛を以ちて卒に治功有り。天孫、若し此の矛を用ちて国を治めたまはば、必ず平安くましまさむ」とあり、「矛」が国土平定を象徴するものとして登場している。こうした点からも武力に関わる神名と見られるのだが、『古事記』中にこの神名で登場する場面に武力的な面は関わらず、高志の沼河比売への求婚、嫡妻須世理毗売の嫉妬の場面のみであることからすれば、武力神と見ることには疑問が残る。 ○宇都志国玉神 「宇都志」については既出(『古事記學』第二号「古事記注釈(十)「黄泉国②」、及び補注六)。国玉は特定の国土を守護する国土霊。「宇都志国玉神」については、後の根之堅州国訪問条において改めて述べることとする。
八俣大蛇退治神話以降、しばらくは出雲を中心とする神話が展開する。その内容は以下の通りである。須佐之男命の系譜→大国主神の誕生→稲羽の素兎(大穴牟遅神と八上比売との婚姻)→根之堅州国訪問(大穴牟遅神と須世理毗売との婚姻)→神語(八千矛神と沼河比売との婚姻、須世理毗売の嫉妬)→大国主神の系譜→大国主神の国作り→大年神の系譜。以下は高天原の神々による葦原中国平定から天孫降臨の神話へと続いていく。さて、右のように出雲を中心とする神話の中に三箇所に亘って纏まった系譜記載がなされているが、これらは『古事記』上巻の神話において異質な表記方法を用いて記されている。『古事記』の原資料と見られるものとして、帝紀と旧辞とが存在していたらしいことは、『古事記』序文を見れば理解される。帝紀は系譜的記述をその内容とし、旧辞は物語的叙述からなっていたと思われている。中・下巻に見られる天皇家の系譜記述は、帝紀を原資料として撰録されたと見られる。また、上巻の神話は、基本的に旧辞を元としているものと指摘される。須佐之男命からはじまる三箇所の系譜記載は、中・下巻に見られる天皇家の系譜記述と共通する書式を持っているのである。注釈でも触れた通り、「○○が△△を娶り、××を生む」という形式である。天照大御神以降の皇統に連なる神々が天皇系譜と同じ書式を取るならばそこに不自然さはないかも知れないが(現に上巻末尾の鵜葺草葺不合命から初代神武天皇の誕生に到るところは同じ形式が用いられている)、直接皇統に繋がらない須佐之男命~大国主神の系譜にこれが用いられている点、疑問である。考えられることは、この書式が地上における婚姻に限られるという点、この書式は必然的に世代差を生じさせることになるので、地上における世代の発生、直進する時間の描出という表現意図に関わるという点があげられる。実際、須佐之男命から大国主神へと繋がり、十七世という世代を経たことを明記している(実数は十五世である点、問題となっているが、この点は後の注釈で触れる)。また別の要因として、『古事記』は大国主神を、地上世界を領有支配した最初の存在として、天皇の先駆け的存在として位置付けようとしている節がある。現実世界において領有支配をする天皇の先蹤として、神話世界の中に位置付けられた神ということである。宇都志国玉神ならぬ、宇都志国主神という神名がそれを示している可能性がある(補注七参照)。 また、一方で注釈でも触れたように、系譜に登場する様々な神の名が担う意義によって、須佐之男命から大国主神に至る血筋の中に、必要とされる神格を取り込もうとする意図も窺える。主として水神の要素が強いようだが、そこに霊魂の増強を示す要素が加えられたり、国土占有を意味する神が加えられたり、或いは天界の要素も加わりながら、大国主神となるのに相応しい要素が注入されていると見られるのである。後の大国主神の系譜には、葦原中国平定の神話に登場する子神の出生を記す意図があるが、何故十七世まで載せる必要があったのか、三度の妻問いの神話に登場する女神たちが系譜に記載がない(須世理毗売と沼河比売には子神の誕生を伝える話も無い)のは何故か、建御名方神が系譜に記載が無いのは何故か、など、問題は多いし、須佐之男命の子神である大年神の系譜がわざわざ後に記されるのは何故かなど、単純に神々の繋がりを描くだけとは思われない問題をこの三箇所の系譜は抱えている。大国主神の系譜と大年神の系譜については、その都度考えていきたい(谷口「『古事記』上巻・出雲系系譜記載の意義」『日本神話をひらく―「古事記」編纂一三〇〇年に寄せて』フェリス女学院大学、二〇一三年三月参照)。 〔谷口雅博 日本上代文学〕
『日本書紀』神代上八段一書六には、「大国主神、亦は大物主神と名し、亦は国作大己貴命と号し、亦は葦原醜男と曰し、亦は八千戈神と曰し、亦は大国玉神と曰し、亦は顕国玉神と曰す」とあって、合計七つの名を持つことになっている。『古事記』との違いは、大物主神と大国玉神が加わっているところである。大国玉神は国土霊を意味する神名であると思われ、それぞれの土地にそれぞれの国玉神が祀られるものであろうが、単に大国玉神と言った場合は、地上の国土全体に関わる神格ということになるのであろうか。その場合は大国主神とほぼ重なり合うような名となり、特に個別の独立した神格と言えるようなものではあるまい。ただ、『日本書紀』崇神天皇条には、大物主神とともに祟り神として示現する神に「倭大国玉神」が見える。『古事記』と異なる神名が大物主神と大国玉神であり、崇神紀に祟り神として現れるのが大物主神と倭大国玉神であるとすると、この大国玉神は「倭大国玉神」と重なるものとして捉えられるのではなかろうか。もしそうであるとするならば、『古事記』と『日本書紀』との「亦名」の相違から窺えるのは、『古事記』では大国主神と大物主神とを同一視しないのに対し、『日本書紀』では大物主神を大国主神・大己貴神と同一視している(同じ一書の中には大物主神を大己貴神の「幸魂・奇魂」とする記述もある)というところにあると言える。つまり、『古事記』では大国主神をヤマトの神と関連付けないのであり、これは『古事記』の神話の独自性として捉えることが出来るのである。この点についてはやがて大物主神が登場する場面で説明したい。 さて、五つの名を持つこの神であるが、言うまでもなくその代表名は大国主神である。この点、大己貴神の名を基本とする『日本書紀』とは大きく異なる。『古事記』も、その中心を担うのは大穴牟遅神であると思われる。稲羽の素兎からはじまるこの神の神話においては、当初は大穴牟遅神の名で話が進み、やがて須佐之男命の呼びかけによって大国主神の名を負うことになる。それに比べて葦原志許男神と宇都志国玉神とは、殆ど使われることがない。葦原志許男神は、根の堅州国に出向いた際に、須佐之男命から呼ばれる場面と、国作りの際に天上の神産巣日命から呼びかけられる場面で使われるのみである。それぞれ根の堅州国、高天原という、異界からの呼びかけであるために、地上世界の葦原中国を名に負う形で呼びかけられていると考えられている。但し、「志許男」についてはその意義付けに見解の相違が見られる。シコを単に「醜」の意でとる見方と、勇猛の意と取る見方とに分かれている。勇猛の意を取るものは、この神を、葦原中国を担う勇者として遇する名と見る訳である。一方単に「醜」で取るのは、この神名を発しているのが須佐之男命であり、これを発した場面は娘の須世理毗売が大穴牟遅神を連れてきて「麗神」であると父神に紹介した際のことであった。つまりは父神が娘婿にあたる大穴牟遅神を貶めた言い方であった可能性があるということになる。須佐之男命は後にこの神に対して「大国主神」となれ、という発言をしているのであるから、最初の段階では頼りない神として、まだ「主」にはなり得ない存在として「シコヲ」と呼んだのではなかろうか。同様の語構成を持つ「ヨモツシコメ」が、黄泉国の女軍団、若しくは地獄の餓鬼的なものとして描かれているところから見れば、葦原中国を担う存在というよりも、未熟な存在として呼んだものと判断出来そうである。もう一箇所の、神産巣日神によって呼ばれる場面は、既に大国主神となった後であるが、高天原の神から見た場合には、大国主神と称えられるようなことはないために、葦原中国の神としてそのように呼ばれたのかも知れない。実際、この後の葦原中国平定の場面に至っても、高天原の神から「大国主神」と呼ばれることは一度も無いのである。なお、アシハラシコヲは『播磨国風土記』の国占め伝承に屡々登場しており、元来播磨土着の神であったと見る向きもあるが、そうではなく、『古事記』の葦原中国の神として作り出された神が、播磨国の国占め伝説へと流れていったものと見て論じたことがある(谷口「『播磨国風土記』の天日槍命と葦原志許乎命」『風土記説話の表現世界』二〇一八年二月。初出は二〇〇六年一月)。 須佐之男命から大国主神の呼称を与えられる訳だが、その際に呼ばれるもう一つの神名が「宇都志国玉神」である。これについては該当する場面の注釈において触れることになるが、系譜部分の本文は間違いなく「国玉」となっているが、須佐之男命に呼ばれる場面では、諸本一致して「国主」となっている。これは、「大国主」の対となるかたちで「宇都志国主」と呼ばれたものと考えられる。大国主神の現実世界を領有・支配するものの側面を言い表した神名であると捉えられる。 最後に残った八千矛神であるが、他の神名がそれぞれに関連性を持って神話の中で登場するのに対して、八千矛神は独立、若しくは孤立している感がある。根之堅州国から戻ってきて国作りを始めたところで一旦大穴牟遅神から大国主神へという成長物語が終わった後、突然今度は八千矛神の名に切り替わって、歌を中心とする「神語(カムガタリ)」へと展開する。歌の中の「ヤチホコノカミノミコトハ」という詞章の存在が、地の文の神名を規制しているということはありうるかも知れないが、それにしても前後との隔たりを感じさせる。そうは言っても、根の堅州国訪問において嫡妻とした須世理毗売との歌の応酬もあるわけなので、物語として繋がっているのは確かであるし、国作りを始めた後の神話であるから、「神語」そのものに国作りの要素があると見ることも出来よう。最後の須世理毗売の歌において、「ヤチホコノカミノミコト」と歌い出され、後に「アガオホクニヌシ」と歌われるところから見れば、この一連の歌物語は、妻問いによる国作りを示しつつ、「ヤチホコ」から「オホクニヌシ」への成長を示す意図もあるのかも知れない(谷口「大国主神の「亦名」の意義」『論集上代文学』三十七冊、二〇一六年一月参照)。 〔谷口雅博 日本上代文学〕
①其櫛②名田比賣以、久美度迩起而所生 ③、 名謂八嶋士奴美神[自士下三字以音下效此]。 又、娶大山津見神之女、名神大市比賣生子、 大年神。 次宇迦之御魂 ④[二柱宇迦二字以音]。 兄八嶋士奴美神、娶大山津見神之女、名木花知流[ ⑤二字以音]比賣生子、 布波能母遅久⑥奴須奴神。 此神、娶淤迦美神之女、名日河比賣生子、 深渕之水夜礼花神[夜礼二字以音]。 此神、娶天之都度閇知泥上神[自都下五字以音] 生子、 淤美豆奴神 [此神名以音]。 此神、娶布怒豆怒神 [此神名以音] 之女、名布帝耳上神[布帝二字以音]生子、 天之冬衣神。 此神、娶刺國大上神之女、名刺國若比賣生 ⑦、 大國主神。 亦名謂大穴牟遅神[牟遅二字以音]、 亦名謂葦原色許男神[色許⑧二字以音]、 亦名謂八千矛⑨神、 亦名謂宇都志國玉神[宇都志三字以音]、 并有五名。 【校異】 ① 真ナシ。道祥本以下「故」アリ。真のままとする。 ② 真「檨」。道祥本以下「櫛」とあるのに従う。 ③ 真ナシ。道祥本以下「神」アリ。真のままとする。 ④ 真ナシ。道祥本以下「神」アリ。真のままとする。 ⑤ 真・道祥・春瑜本ナシ。兼永本以下卜部系「此」アリ。真のままとする。 ⑥ 真「攵」。道祥本以下「久」とあるのに従う。 ⑦ 真・道祥・春瑜本ナシ。兼永本以下卜部系「子」アリ。真のままとする。 ⑧ 真「計」。道祥本以下「許」とあるのに従う。 ⑨ 真「弟」。道祥本以下「矛」とあるのに従う。
(須佐之男命が)その櫛名田比売を、神聖な寝所で目覚めさせて生んだのは、 名は八嶋士奴美神という。 また、大山津見神の娘、名は神大市比売を娶って生んだ子は、 大年神。 次に宇迦の御魂。 兄八嶋士奴美神、大山津見神の娘、名は木花知流比売を娶って生んだ子は、 布波能母遅久奴須奴神。 此の神、淤迦美神の娘、名は日河比売を娶って生んだ子は、 深渕の水夜礼花神 此の神、天の都度閇知泥神を娶って生んだ子は、 淤美豆奴神。 此の神、布怒豆怒神の娘、名は布帝耳神を娶って生んだ子は、 天の冬衣神。 此の神、刺国大神の女、名は刺国若比売を娶って生んだのは、 大国主神。 亦の名は大穴牟遅神といい、 亦の名は、葦原色許男神といい、 亦の名は、八千矛神といい、 亦の名は、宇都志国玉神という。 并せて五つの名が有る。