國學院大学 「古典文化学」事業
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河内坂門原陵
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陵墓データベース凡例
河内坂門原陵
読み
こうちのさかどのはらのみささぎ
ローマ字表記
Kouchinosakadonoharanomisasagi
被葬者名
清寧天皇
代数
第22代
陵墓の所在地
-
住所
大阪府羽曳野市西浦六丁目
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緯度/経度
北緯 34°32'56.1"
東経 135°36'01.4"
古墳名
白髪山古墳
墳形
前方後円
被葬者の事績
雄略天皇の御子。伊波礼の甕栗宮(現在の桜井市吉備)で天下を治めた。崩御したときに皇后・御子がおらず、市辺忍歯別王(履中天皇の御子)の妹・忍海郎女(飯豊王)が葛城の忍海の高木角刺宮(現在の葛城市忍海)に坐している。その後、山部連小楯が地方官として播磨国に下ったとき、市辺王の御子・意祁王(のちの仁賢天皇)・袁祁王(のちの顕宗天皇)を発見すると、飯豊王は二王を角刺宮に迎えて皇位継承者とした。なお、後代に編纂された『扶桑略記』などは、飯豊王を清寧天皇と顕宗天皇との間の天皇として数えている。
URL
羽曳野市観光協会(古市古墳群/清寧陵古墳)
http://www.habikino-kk.net/post_kofun/%E6%B8%85%E5%AF%A7%E9%99%B5%E5%8F%A4%E5%A2%B3
備考
宮内庁により治定されている。
多比高鷲原陵【参考地】
傍丘磐坏丘南陵
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