國學院大学 「古典文化学」事業
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菅原伏見西陵
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陵墓データベース凡例
菅原伏見西陵
読み
すがわらのふしみのにしのみささぎ
ローマ字表記
Sugawaranofushiminonishinomisasagi
被葬者名
安康天皇
代数
第20代
陵墓の所在地
御陵は菅原の伏見岡に在り
住所
奈良県奈良市宝来四丁目
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緯度/経度
北緯 34°41'00.6"
東経 135°46'08.8"
古墳名
古城1号墳
墳形
方丘
被葬者の事績
允恭天皇の御子。石上の穴穂宮(現在の天理市田町)で天下を治めた。同母妹と密通して支持を失った同母兄・木梨之軽王の代わりに即位した。同母弟・大長谷若建命(のちの雄略天皇)の妻とするために大日下王の妹・若日下王を求めた際、根臣の讒言によって王を殺害し、その正妻・長田大郎女を奪って皇后とした。大日下王と長田大郎女の子・目弱王が宮殿の床下で遊んでいたとき、天皇は気づかずにその事実を話してしまい、恨みに思った目弱王によって殺された。目弱王は都夫良意富美の家に逃げ込むも、大長谷若建命に攻め滅ぼされた。
URL
備考
宮内庁により治定されている。古墳ではなく中世の山城(宝来城)跡である可能性が高い。
恵我長野北陵【参考地】
多比高鷲原陵
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