國學院大学 「古典文化学」事業
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山辺道勾岡上陵
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陵墓データベース凡例
山辺道勾岡上陵
読み
やまのべのみちのまがりのおかのえのみささぎ
ローマ字表記
Yamanobenomichinomagarinookanoenomisasagi
被葬者名
崇神天皇
代数
第10代
陵墓の所在地
御陵は山辺道の勾之岡の上に在り
住所
奈良県天理市柳本町
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緯度/経度
北緯 34°33'26.9
東経 135°50'56.7
古墳名
行燈山古墳
墳形
前方後円
被葬者の事績
開化天皇の御子。師木の水垣宮(現在の桜井市金屋)で天下を治めた。大物主大神の祟りによって疫病が蔓延したとき、神託に従って意富多々泥子(大物主大神の子孫)を探し求め、美和山に祭らせることで再び国家は平安となった。また、諸国平定のため大毘古命・建沼河別命親子を高志道・東国十二道へ派遣し、日子坐王を旦波国へ派遣した。さらに反乱を企てた建波爾安王を討滅している。また、この御代に税制度も確立したとされ、これらの功績をもって、崇神天皇は『古事記』のなかで「初国を知らす御真木天皇」と称揚されている。
URL
奈良県観光公式サイト あをによし なら旅ネット(山辺道勾岡上陵/崇神天皇陵)
http://yamatoji.nara-kankou.or.jp/03history/06kofun/03east_area/sujintennoryo/
備考
宮内庁により治定されている。
春日率川坂上陵
菅原伏見東陵
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