國學院大学 「古典文化学」事業
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天照大御神
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天照大御神
読み
あまてらすおほみかみ/あまてらすおおみかみ
ローマ字表記
AmaterasuōMikami
別名
天照大神
登場箇所
上・みそぎ他
他の文献の登場箇所
紀 日神(五段本書、六段一書一・三、七段一書二・三、神武前紀戊午年四、顕宗紀三年四月、用明前紀、用明紀元年正月)/大日孁貴(五段本書)/天照大神(五段本・一書六・十一、六段本書・一書二、七段本書、九段本書・一書一・二、神武前紀、崇神紀六年、垂仁紀二十五年、景行紀二十年、神功摂政元年、天武紀元年)/天照大日孁尊(五段本書)/大日孁尊(五段一書一、神武即位前紀)/日神尊(七段一書二)/伊勢大神(皇極紀四年、持統紀六年)
播磨風 天照大神(賀毛郡)
大和風 天照大神(逸▲)
山背風 天照大神(逸▲)
伊勢風 天照大神(逸▲)
豊前風 天照大神(逸▲)
備中風 伊勢御神(逸▲)
伊賀風 日神之御神(逸▲)
万 日女之命(2・167)
拾 日神(天地開闢、日神と素神の約誓、素神の天罪)/天照大神(日神と素神の約誓、日神の石窟幽居、日神の出現、吾勝尊、天祖の神勅、崇神天皇、垂仁天皇、遺りたる二、遺りたる三)/伊勢大神(日神の出現)/日神(天地開闢、日神と素神の約誓、素神の天罪、遺りたる三)
旧 天照太神(陰陽本紀他)/天照大御神(陰陽本紀)/大日孁尊(陰陽本紀、神祇本紀、皇孫本紀)
祝 天照大御神(祈念祭、六月月次)/皇大御神(祈念祭、六月月次、伊勢大神宮・遷奉大神宮祝詞)/皇大神(伊勢大神宮)/天照坐皇大神(伊勢大神宮・四月神衣祭、六月月次祭、九月神嘗祭、同神嘗祭)
梗概
上巻・みそぎの段において伊耶那岐命が左目を洗ったときに出現した。伊耶那岐命から高天原の統治を命じられる。後に、天石屋戸段では高天原に昇ってきた須佐之男命の乱行により石屋にこもったが、八百万の神々によって石屋から引き出され、高天原と葦原中国が照り明るくなったとある。また、天孫降臨段においては高木の神とともに司令神として活躍する。
中巻では、神武天皇条や仲哀天皇条に登場する。
諸説
『古事記』や『日本書紀』五段一書六などの三貴子の誕生は中国の盤古神話と類似しており、天照大御神は左目より所成したことから「日」神的性格をもつといわれる。このほかに、『日本書紀』五段本書・一書二では天照大神は伊弉諾尊・伊弉冉尊の二神が生んだと記し、一書一では伊弉諾尊が左手に白銅鏡を持ったときに出現したとあり、その誕生の仕方には記紀で差異がある。また、『日本書紀』には「日神」「大日孁貴」という別名、また双行細字で引く「一書云」中の「天照大孁尊」という別名を持つことが記されており、「日孁」は「日の妻」「日の女」「昼女」などと解されている。この天照大御神と日神の差異については、記紀の比較を通して天照系と日神系の二つの系統の文献を使用し編纂されたためという指摘があり、『日本書紀』は天照系の文献を底本に日神系等の文献を加えて編纂されたという。『古事記』でも天石屋戸から引き出された際に高天原と葦原中国が照り明るくなるとあり、記紀共に日神的性格がこの神の骨子にあるといえる。
「天照」の訓は「アマテラス」もしくは「アマテル」の指摘があるが、万(18・4125)の「安麻泥良須可未」を根拠に「アマテラス」と訓まれることが多い。ただし、万の「泥」は濁音であるため、「アマデラス」と訓むべきという指摘もある。「アマテラス」と訓む場合の解釈には、テラスの「ス」に尊敬の意を認め「天に坐坐て照り賜ふ意」と指摘する説や、テラスを他動詞として「太陽が光り輝き、その恵みを周く天地に及ぼす」という働きを認める説などがある。前者では、「テラス」の「ス」が「大御神」と相まって、天照大御神の至高性を表す働きをするという。このように日神として捉える説がある一方、天照大御神という神名は直接的に「日」を表さずに抽象的であることから、日神として限定されない名であると指摘する説や実質を超越した至高性を有する神という説もある。高天原を統治する神であり、天皇の祖として位置づけられる皇祖神でもあることもあわせて考える必要があるだろう。なお、高天原の統治者という点については、伊耶那岐命から命じられた段階ではなく、天石屋戸神話を経ることで実質的な統治者になったという説がある。
このほかに、「天照大御神」の神名の成立過程を論じているものがある。「日孁」から「天照大御神」へという点では一致しているが、神名の成立については、ヒルメが日神の水準に上昇したときの尊号という指摘、「天照」が儒教の照臨の思想と関わることから、ヒルメの日神的性格に儒教的な意義が付されたことで成立したという指摘、天武朝以後に皇祖神として性格づけられた際の日神の最終的に完成された神名であるという指摘、高天原の司令神が皇祖であるのは天照大御神の実体である「ヒルメ」の〈神妻=ミオヤ〉的内実を天神レベルに昇華することによって始めて十分に満たされるという指摘など諸説ある。
参考文献
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西宮一民「古事記『天照大御神』考」(『石井庄司博士喜寿記念論集・上代文学考究』塙書房、1978年6月)
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中西進「古事記抄--天石屋戸神話など」(『成城國文學論集』15、1983年5月)
西條勉「皇祖アマテラス大神の生成」(『国文学研究(早稲田大学』84、1984年10月)
寺川眞知夫「天照大御神―その神名の成立―」(『花園大学国文学論究』13号、1985年10月)
平松秀樹「「天照らす」考ー照臨の思想との関わりにおいてー」(『古事記年報』35号、1993年1月)
寺川眞知夫「天照大御神の高天原統治の完成」(上田正昭編『松前健教授古稀記念論文集 神々の祭祀と伝承』同朋舎、1993年6月)
山口佳紀「古事記「天照大御神」訓義考」(松村明先生喜寿記念会編『国語研究』、風間書房、1993年10月)
谷口雅博「古事記「天の石屋戸神話」における「詔直」の意義」(『古事記年報』37号、1995年1月)
青木紀元「天照大御神―最高神への道―」(『古事記の神々(古事記研究体系)』、高科書店、1998年6月)
寺川眞知夫「タカミムスヒ・アマテラス・伊勢神宮-皇祖神の変化の意味するもの-」(『万葉古代学研究所年報』5号、2007年3月)
烏谷知子「天照大御神と高御産巣日神-常世から高天原へ-」(『菅野雅雄博士喜寿記念 記紀・風土記論究』おうふう、2009年3月)
壬生幸子「天照大神」(菅野雅雄編『古事記 : 神話と天皇を読み解く』、新人物往来社、2012年6月)
天御虚空豊秋津根別
天比登都柱
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