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天之御影神

読み
あめのみかげのかみ
ローマ字表記
Amenomikagenokami
別名
-
登場箇所
開化記
他の文献の登場箇所
姓 明立天御影命(左京神別下)/天御影命(摂津国神別)
旧 天御陰命(天神本紀)
梗概
 第九代開化天皇の皇子、日子坐王の妻となった息長水依比売の親神。近淡海(=近江)の御上の祝が奉斎する。
諸説
 この神は、近江国野洲郡の三上山の西麓に鎮座する御上神社(現・滋賀県野洲市三上)の祭神で、『古事記』にも「近淡海の御上の祝(はふり)」(神主)がこの神を奉斎すると記されている。今日「近江富士」としても知られる三上山は、標高400メートル余の円錐形の山で、古来当地で信仰されてきた神体山である。御上神社の社伝では、第七代孝霊天皇の六年に、天之御影神が三上山に降臨し、以来、御上の祝が三上山でその祭祀を務めてきたといい、元正天皇の養老二年(718)には、藤原不比等が勅命を拝して、現在の山麓の鎮座地に遷座した、と伝承されている。
 神名について、平安時代の『和名類聚抄』に「霊」の字の和訓として「美加介(みかげ)」が挙がっていることから、「御影」を「霊」すなわち神霊の意と取り、神名全体を、天上界の神霊の意とする説がある。また、祈年祭や大殿祭の祝詞には、天皇が御殿に「天の御蔭・日の御蔭と隠れ坐して、四方の国を安国と平らけく知ろし食す」といった表現が見られ、『万葉集』の長歌にも「高知るや 天の御陰 天知るや 日の御陰の 水こそば 常にあらめ 御井の清水」という句がある(万1・52)。この「天の御蔭」「日の御蔭」は天や日に対する覆いの陰となるものの意で、立派な御殿を讃えた表現であるとされる。これに基づいて、天之御影神を家屋の神と捉える説もある。この他、御上神社で行われる忌火祭との関連から、「影」を光の意ととって、鑚り出された神聖な浄火の光の神格化で、忌火の神と捉える説もある。
 天之御影神の娘、息長水依比売は、第九代開化天皇の皇子、日子坐王と結婚している。日子坐王は十一人の御子を儲けているが、その子孫系譜は『古事記』の皇族の系譜の中でも特異で、長大なものである。この系譜からは、日子坐王が、息長氏や安直氏、丸邇臣氏などといった近江の豪族らと繋がりを持ち、近江の地に関わりの深い皇子であることが指摘されている。初代神武天皇の大和の統治権が三輪山の神の娘(伊須気余理比売)との結婚によって確立されたという理解に基づき、日子坐王が近江の三上山の神(天之御影神)の娘(息長水依比売)と結婚したことは、それと同様に近江の統治権の確立を物語っており、近江を中心とする地域の豪族らがこの皇子を中心に結び付くことの根拠になっているとする説がある。
 なお、天之御影神は『古事記』では開化天皇の時代の息長水依比売の親神とされているが、『新撰姓氏録』や『先代旧事本紀』では神代の神として記述されている。時代が大きく隔たっていることから、息長水依比売が天之御影神の娘とされているのを『古事記』の編纂上の付会とする見解もあるが、一方、時代的な隔たりを問題とは捉えず、神武天皇の皇后の伊須気余理比売が、大物主神が男に化して勢夜陀多良比売との間に生まれた娘であるのと同様に、御上神社の祭神が男に顕現して女と神婚したことによって生まれたという伝承を系譜の背景に想定する説がある。その娘が、巫女を意味するヨリヒメという名の共通することにも注意される。
 その他の古文献においても、この神は様々な氏族の祖神として記録されている。『先代旧事本紀』では、天孫降臨に従った三十二人の内に「天御陰命」が見え、凡河内直らの祖とされている。『新撰姓氏録』では、摂津国神別の山直氏の祖先に「天御影命の十一世孫、山代根子」と見え、また、左京神別下の額田部湯坐連の祖先に「天津彦根命の子、明立天御影命」とある。「明立天御影命」との名称の類似から、左京神別中の県犬養宿禰の祖「神魂命の八世孫、阿居太都命」も、この神と同一とする説がある。また、『播磨国風土記』揖保郡意此川の条に、交通を妨害する「出雲御蔭大神」を鎮めるため、朝廷から額田部連久等々を遣わして祈祷をさせたという伝承があり、天之御影神と関連付ける説がある。
 天之御影神を『日本書紀』などに登場する天目一箇神と同神とする見解もある。天目一箇神は鍛冶神で、『古語拾遺』の日神の石窟幽居の段には、刀や斧とともに鉄鐸を作ったとあり、これと三上山周辺の遺跡で弥生時代の銅鐸が多数出土していることとを関連付ける見方もある。
参考文献
倉野憲司『古事記全註釈 第五巻 中巻篇(上)』(三省堂、1978年4月)
『古事記(新潮日本古典集成)』(西宮一民校注、新潮社、1979年6月)
西郷信綱『古事記注釈 第五巻(ちくま学芸文庫)』(筑摩書房、2005年12月、初出1988年8月)
大谷治作『御上神社沿革考』(太田治左衛門、1899年2月)
『野洲郡史 上』(橋川正 編、臨川書店、1998年7月、初版1927年1月)
山田孝雄『万葉集講義 巻第一(訂正増補再版)』(宝文館、1932年8月、初版1928年2月)
尾崎暢殃「「天の御蔭」」(『万葉集の発想』明治書院、1964年1月、初出1963年12月)
田中日佐夫「三輪山と三上山」(『大美和』38号、1970年1月)
景山春樹『神体山』(学生社、1971年10月)
田中日佐夫「古代近江の神話伝承―日子坐王を中心にして―」(『東アジアの古代文化』5号、1975年6月)
『野洲町史 第一巻 通史編1』(野洲町、1987年3月)
住野勉一「近江国の物部氏―式内社にみる近淡海の古代氏族―」(『継体王朝成立論序説』和泉書院、2007年7月、初出1994年2月)
志水義夫「日子坐王系譜の考察」(『古事記生成の研究』おうふう、2004年5月、初出1994年8月)
青木紀元『祝詞全評釈』(右文書院、2000年6月)
大橋信弥「近淡海安国造と葦浦屯倉」(『古代地方木簡の世紀―西河原木簡から見えてくるもの―』サンライズ出版、2008年12月)
山尾幸久『古代の近江―史的探求―』(サンライズ出版、2016年4月)

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