國學院大学 「古典文化学」事業
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塞坐黄泉戸大神
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塞坐黄泉戸大神
読み
ふさがりますよもつとのおほかみ/ふさがりますよもつとのおおかみ
ローマ字表記
Fusagarimasuyomotsutonoōkami
別名
道反之大神
登場箇所
上・黄泉の国
他の文献の登場箇所
紀 泉門塞之大神(五段一書六)
旧 泉門塞之大神(陰陽本紀)
梗概
伊耶那岐神が黄泉国から逃げ還った際、伊耶那美神に追われて、黄泉比良坂を塞いだ千引の石(ちびきのいは)を、道反之大神といい、別名を塞坐黄泉戸大神という。
諸説
神名に冠する「塞坐」は、従来、障碍になるという意味に取って、サヤリマスと読まれることが多い。しかし、この読み方に対しては批判があり、フサガリマスという読み方も提示されている。サヤリマスを非とする理由は、サヤルは、主体が何らかの妨害によって進行を妨げられる意の自動詞であり、サヤリマスと読むと黄泉戸大神自身が妨害を受けることになるということによる。そこで、『古事記』中の「塞」の用例から考えて、この「塞」は、隙間を無くして通行を止めるという意味で、フサグと読む方がふさわしいとする。また、この神に塞(さへ)の神(道祖神)の性格がうかがわれることとも関連して、サヘマスという読みの可能性も考えられるが、サフは対象の通行を妨害する他動詞で、補助動詞「坐」は『古事記』において自動詞につくのが通例であるため問題が残るという。なお、『古事記』の古写本の中には「塞坐」をフセキマスと読んだものもある。
「黄泉戸」は、「黄泉の入口」の意とされ、ヨミド、ヨモツトという読みが提示されている。『日本書紀』では「泉門」と書かれる。この神のいる場所の名がそのまま神名につけられたものと考えられる。『日本書紀』の「泉門塞之大神」に倣って、「黄泉戸」を「塞坐」の目的語と取り、ヨミドニサヤリマスと返って読む説もあるが、『古事記』では神名を返読した例が無く、これは「衝立船戸神」のように、「船戸」「黄泉戸」自体が神名になっているものであるから、「塞坐」は神名への修飾語と取るべきとする批判がある。
防塞神としての性格は、「道反之大神」の項も参照。
参考文献
倉野憲司『古事記全註釈 第二巻 上巻篇(上)』(三省堂、1974年8月)
西郷信綱『古事記注釈 第一巻(ちくま学芸文庫)』(筑摩書房、2005年4月、初出1975年1月)
『古事記(新潮日本古典集成)』(西宮一民校注、新潮社、1979年6月)
神野志隆光・山口佳紀『古事記注解2』(笠間書院、1993年6月)
松村武雄『日本神話の研究 第二巻』(培風館、1955年1月)第六章第五節
川副武胤「大神考」(『古事記の研究』至文堂、1967年12月、初出1966年5月)
西郷信綱『古事記の世界』(岩波書店、1967年9月)「三 黄泉の国―死者と生者」
佐藤正英「黄泉国の在りか」(『現代思想』10巻12号、1982年9月)
西宮一民「古事記「訓読」の研究」『聚注古事記』(桜楓社、1983年3月)
梅田徹「イザナキの黄泉国訪問と「大神」への変異―『古事記』の神代―」(『帝塚山学院大学日本文学研究』26号、1995年2月)
烏谷知子「黄泉国訪問神話の構成」(『上代文学の伝承と表現』おうふう、2016年6月、初出2007年1月)
深淵之水夜礼花神
伏雷
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