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春山之霞壮夫

読み
はるやまのかすみをとこ/はるやまのかすみおとこ
ローマ字表記
Haruyamanokasumiotoko
別名
-
登場箇所
応神記・秋山の神と春山の神
他の文献の登場箇所
-
梗概
 伊豆志袁登売神と婚姻できるかどうかを兄の秋山之下氷壮夫と賭け、春山之霞壮夫は母の助力によって勝利し、伊豆志袁登売神との間に一子を儲けた。しかし秋山之下氷壮夫は春山之霞壮夫が伊豆志袁登売神と結婚できたことに腹を立て、約束を破って賭け物を払わなかったので、春山之霞壮夫は母の指示に従って秋山之下氷壮夫を呪詛した。秋山之下氷壮夫は八年間その呪詛に苦しみ、泣きながら母に赦しを請うたので、すぐに呪詛は解かれたという。これが「神うれづく」という言葉の起源になったとされる。
諸説
 春山の霞むさまを神格化したもの。中国文献では霞は赤い靄ないし雲状のものと認識されており、秋に山が紅葉するさまを神格化した秋山之下氷壮夫とともに、赤色を通じて非日常(人工的な装飾や祭祀)的な存在であることを意味した神名とする説がある。秋山之下氷壮夫と春山之霞壮夫の説話(秋山春山説話)は春山之霞壮夫の勝利で終わるが、それは秋の枯死に対する春の再生、あるいは繁殖の力をもつ春と収穫をつかさどる(=胚胎・生成の力をもたない)秋の対比によるものとされる。『礼記』によれば弓矢を授けるのは春の儀礼であり、母から婚姻・出産とかかわる呪具である弓矢を授かる対象として、秋山より春山がふさわしかったという説もある。なお五経のひとつに『春秋』があるように、古代においても秋を兄、春を弟とする認識は自然ではなく、後述する末子成功譚に依拠して、春山(弟)が勝利するための設定であることが指摘されている。
 秋山春山説話は皇統譜と無関係に挿入されていることなどもあって、『古事記』に載録された理由が問題となってきた。秋山春山説話は『古事記』にしか確認できないが、秋山春山説話が接続する天之日矛伝承は、『日本書紀』では垂仁紀に配置されている。それが『古事記』において応神記に記載されるのは、神功皇后の系譜や新羅征討との関係からと推測されている。伊豆志袁登売神は伊豆志之八前大神の霊能、すなわち航海を容易にするような、新羅からもたらされた神宝に由来する水の呪力を身につけた女性とされるが、この時点では神宝=水の呪力の所有権は新羅にあった。この伊豆志袁登売神と、日本の神である春山之霞壮夫が婚姻をむすぶことによって、はじめて新羅のもっていた水の呪力は日本に移ったとされる。そのために神功皇后の新羅征討は易々と成功したのであって、新羅の神宝の所有権が移動したことを語るため、秋山春山説話も応神記に配置される必要があったとされる。
 秋山春山説話の構成をめぐっては、大国主神と八十神の妻争い、海幸山幸神話、大物主神の丹塗矢伝承、あるいは額田部王の「春秋競憐歌」(『万葉集』1・一六)との類似性が指摘されている。そのなかでも海幸山幸神話は、弟が兄に勝利する末子成功譚というだけでなく、竹細工の利用、潮の干満による屈服など、細部においても共通性が存在する。また海幸山幸神話と秋山春山説話は、それぞれ上巻・中巻の末尾に位置しており、『古事記』編者が意図的に配置したという説が有力である。このような配置の背景としては、兄弟の闘争・確執の末に世の中が改まるといった考え方の存在などが推測されている。
 下巻への接続という観点からは、神話世界に依拠することで保証されてきた末子相続の終焉を語ったとする説、父子継承から兄弟間継承への転換の正統性を保証したとする説などがある。また、下巻の巻頭にあたる仁徳天皇とのかかわりから論じる説もある。先に述べたように、この神話は、八十神の妻争い、海幸山幸神話と同様に弟(=兄弟間の年少者)が勝利する。それらの勝利要件のひとつに妻の獲得があり、応神記のなかで妻を獲得した大雀命(のちの仁徳天皇)との共通性が見出されるため、仁徳天皇の即位を神話的に正当化しているという見解である。このほか、伊豆志袁登売神が新羅に由来することをふまえ、新羅にかかわる神(巫女)と倭の神との聖婚によって、神功皇后の征討で新羅まで拡大した天下のもと、下巻で展開する新しい時代を予祝するものという見解もある。
 春秋の対比という題材については、中国文学の影響が指摘されている。このような新たな美意識の問題に加えて、一夜にして衣服を調えた兄弟の母の仕業を、渡来機織の優れた性能の投影と解し、秋山春山説話は開化の時代である応神記の掉尾を飾るのにふさわしく、新羅征討によって獲得した文物・技術に彩られているとの指摘がある。春秋の対比を中国的な季節観(四時観)の享受の象徴とし、下巻につながる新しい秩序・規範を示した「統治の神話」とみる説もある。また兄弟間の約束は履行されなければならない、それを破った者が母に制裁されるという説話にみられる規範性を、『古事記』の編者によって付加された要素とみて、大津皇子を罰した持統天皇の行為を是認するものとする理解があるが、一方でこのような規範性を仁徳天皇の即位とのかかわり(即位を拒むことで応神天皇の命令を破った宇遅能和紀郎子の死)から理解する説もある。
参考文献
福島秋穂「『古事記』に載録された天之日矛の話をめぐって」(『記紀神話伝説の研究』六興出版、1988年6月、初出1981年3月)
阪下圭八「天之日矛の物語」(『古事記の語り口ー起源・命名・神話』笠間書院、2002年4月、初出1983年12月・1984年3月)
中西進『古事記を読む3 大和の大王たち』(角川書店、1986年1月)
寺田恵子「秋山之下氷壮夫・春山之霞壮夫の物語」(『古事記・日本書紀論集(神田秀夫先生喜寿記念)』続群書類従完成会、1989年12月)
長野一雄「神話の規範と秋山之下氷壮夫と春山之霞壮夫」(『古事記説話の表現と構想の研究』おうふう、1998年5月、初出1992年3月)
飯村高宏「兄弟相剋の神話と否定される<末子>―秋山下氷壮士と春山之霞壮士伝承をめぐって―」(『二松学舎大学 人文論叢』57輯、1996年10月)
大脇由紀子「応神記の構想―秋山之下氷壮夫と春山之霞壮夫―」(『古事記説話形成の研究』おうふう、2004年1月、初出1999年3月)
城崎陽子「春山之霞壮夫と秋山之下氷壮夫の物語―季節観の享受を視点として―」(『野州国文学』63号、1999年3月)
前川晴美「「秋山之下氷壮夫と春山之霞壮夫」物語の意義」(『古事記年報』47、2005年1月)
越野真理子「秋山の下氷壮夫と春山の霞壮夫の母―将来宝の獲得」(『学習院大学上代文学研究』32、2007年3月)
藤澤友祥「秋山之下氷壮夫と春山之霞壮夫―神話の機能と『古事記』の時間軸―」(『古事記構造論―大和王権の〈歴史〉―』新典社、2016年5月、初出2009年2月)
村上桃子「下巻への神話(2)秋山春山譚」(『古事記の構想と神話論的主題』塙書房、2013年3月、初出2012年9月)
烏谷知子「「春山之霞壮夫と秋山之下氷壮夫」の物語の意義」(『上代文学の伝承と表現』おうふう、2016年6月、初出2013年1月)

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