國學院大学 「古典文化学」事業
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速秋津日子神
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速秋津日子神
読み
はやあきつひこのかみ
ローマ字表記
Hayaakitsuhikonokami
別名
速秋津日子
登場箇所
上・国生み神生み
他の文献の登場箇所
紀 速秋津日命(五段一書六)
旧 速秋津彦神(陰陽本紀)/速秋日命(陰陽本紀)/速秋津彦(陰陽本紀)/速秋津日命(陰陽本紀)
梗概
伊耶那岐・伊耶那美二神の神生みによって生まれた水戸(みなと)の神で、速秋津比売神と対をなす。速秋津比売神と共に、河・海に因って分担して、八神(沫那芸神・沫那美神・頬那芸神・頬那美神・天之水分神・国之水分神・天之久比奢母智神・国之久比奢母智神)を誕生させた。
諸説
速秋津日子神・速秋津比売神が「水戸(みなと)の神」であることについて、ミナトは水の出入口、すなわち河口のことで、河・海を分担するその境界を表わしていると考えられている。また、それに加えて海峡や流れの速い瀬戸の意を含んでいるとする説がある。
「速秋津」の名義については、「速」は神威の盛んな意の美称とする説や、潮流の速いことを表すとする説がある。「秋」は「開」の意で、口(河口)が開いていることとする説、口を開けて呑み込むこととする説、「明」の意で、穢れの清まって明らかになることとする説がある。「津」は、港の意とする説がある。
『日本書紀』では、一書六に、男女の対偶神でなく「速秋津日(はやあきつひ)命」の一神が「水門神等」として登場する。六月晦大祓祝詞には「速開都咩(はやあきつめ)」という神が見え、大祓で川を下って海に運ばれる罪を呑み込む働きをしている。それには、激しい潮流の数多の水路の会する所にいる神と称されていて、『古事記』の河口にいる神とは別の神と考えられるが、『住吉大社神代記』に「一、六月御解除。開口水門姫神社。」と両者に通じるような神名の見えることなどから、『古事記』の水戸の神についても、同様な祓えにまつわる性格を持つと考える説がある。
この神の登場場面では、岐美二神の子神らが河・海、また山・野に因って持ち別け(分担し)、自然にまつわる神々を誕生させている。「河・海(山・野)に因りて持ち別けて」神々を生んだ、という文の解釈について、生んだ主体を岐美二神とみるか、持ち別けた神々自身とみるかによって、生まれた神々が岐美二神の生んだ「参拾伍神」に含まれるかどうか扱いが分かれる。この「因りて」という表現は、物実による化生を表しているという説がある。また、この話は『日本書紀』には見られず、『古事記』独自の展開としてその意義が問われるが、自然神を神統譜の中に系譜化することによって、三貴子の分治を頂点とした伊耶那岐神の子神の統治領域の確立の過程として、自然界が掌握されることを意味しているのではないかという説がある。
持ち別けた二組の神々には、それぞれ河・海、山・野における境界の神としての性格が認められるが、生まれた神々の神格においては、河・海、山・野の区別は明確に見出だされない。そこで、河・海が水を、山・野が大地をそれぞれ象徴して自然界全体を表現したものとして、生まれた神々にそれぞれの境界の場所にまつわるイメージを認める説がある。
参考文献
倉野憲司『古事記全註釈 第二巻 上巻篇(上)』(三省堂、1974年8月)
西郷信綱『古事記注釈 第一巻(ちくま学芸文庫)』(筑摩書房、2005年4月、初出1975年1月)
『古事記(新潮日本古典集成)』(西宮一民校注、新潮社、1979年6月)
神野志隆光・山口佳紀『古事記注解2』(笠間書院、1993年6月)
毛利正守「古事記上巻三十五神について」(『皇学館大学紀要』11、1972年10月)
野口武司「『古事記』神生みの段の左註「神參拾伍神」」(『古事記及び日本書紀の表記の研究』桜楓社、1978年3月、初出1974年6・8・10月)
青木周平「「神生み」段の表現」(『青木周平著作集 上巻 古事記の文学研究』おうふう、2015年3月、初出1991年5月)
西宮一民「「神参拾伍神」考」(『古事記の研究』おうふう、1993年10月、初出1992年4月)
毛利正守「古事記上巻、岐美二神共に生める「嶋・神参拾伍神」考」(『萬葉』144号、1992年9月)
戸谷高明「「持別而生神」」(『古事記の表現論的研究』新典社、2000年3月、初出1992年12月)
波比岐神
速秋津比売神
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