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井氷鹿

読み
ゐひか/いひか
ローマ字表記
Ihika
別名
-
登場箇所
神武記・八咫烏の先導
他の文献の登場箇所
紀 井光(神武前紀秋八月乙未条)
旧 井光(皇孫本紀)
姓 加弥比加尼(大和国神別)/豊御富(大和国神別)/水光姫(大和国神別)/水光神(大和国神別)
梗概
 神倭伊波礼毘古命が八咫烏の先導によって吉野を進んでいると、尾の生えた人が井戸から出てきた。その井戸は光っており、神倭伊波礼毘古命が尋ねると国つ神を称した。吉野首らの祖。
諸説
 ヰは「井戸」、ヒカは「光る」の意で、光る井戸から出てきたことが神名の由来となっている。『新撰姓氏録』では、吉野連(天武十二年〈683〉に吉野首から改姓)の祖として加弥比加尼(カミヒカネ)の名が示され、カミは「神」、ヒカは「光る」、ネは親称と理解されている。また同書の祖先伝承によれば、名を問われた加弥比加尼はみずからを豊御富(トヨミホ)を称し、そこで神武天皇から水光姫(ミヒカヒメ)の名を賜り、現在は水光神(ミヒカノカミ)として吉野連に奉斎されているという。豊御富のトヨは「豊穣」、ミは接頭語、ホは「穂」や「秀」の意であり、豊かな植物の穂、もしくは稲穂を意味する神名とされる。ほとんどの神名が豊富な水にかかわる名義をもっているように、井光鹿は水神としての性格が濃厚である。『新撰姓氏録』で女性神とされることも、水が植物の生産の根源であるところから、女性の生産力と結びついたものとされる。また伝承で豊御富は白雲別神(シラクモワケノカミ)の娘を称していることから、白雲別神に仕える巫女としての性格も有しており、吉野川の聖なる水を管理していたとの説もある。
 記紀ともに井氷鹿は尾を生やしていたとされ、そこに動物説話的な性質を読みとり、他方では光を放つという神秘性を併せもつとして、井光鹿を半人半獣的な存在と捉える説がある。ただし尾は腰に獣皮等を纏う習俗を表現したものともされ、また井戸が光っていたことについても、吉野に存在する水銀鉱床とのかかわりから理解する説もある。その他、水に関係する光という観点から、電光のようなものが擬人化した存在とする見解もある。
 井氷鹿は贄持之子(阿陀之鵜養の祖)・石押分之子(吉野国巣の祖)と連続して登場しており、この点は『日本書紀』とも共通する。これらの国つ神の後裔氏族はいずれも宮廷祭祀と深いかかわりをもつ氏族とされ、それゆえに始祖伝承もまとめて掲載されたものと考えられる。その三氏族が宮廷祭祀に関与した理由としては、記紀が編纂された天武系王権における吉野の重要性とともに、大海人皇子の吉野隠棲時における三氏族の奉仕を想定する説もある。
 神倭伊波礼毘古命と井氷鹿が出会った場所については、現在の吉野郡吉野町飯貝をヰヒカの訛化とみる説と、吉野郡川上村の大字井光とみる説があり、前者が有力視される傾向はあるが、そもそもヰヒカが地名かどうかに疑問が呈されている。
参考文献
倉野憲司『古事記全註釈 第五巻 中巻篇(上)』(三省堂、1978年4月)
『古事記(新潮日本古典集成)』(西宮一民校注、新潮社、1979年6月)
佐伯有清『新撰姓氏録の研究 考証篇 第四』(吉川弘文館、1982年11月)
西郷信綱『古事記注釈 第五巻(ちくま学芸文庫)』(筑摩書房、2005年12月、初出1988年8月)
西郷信綱「神武天皇」(『西郷信綱著作集 第1巻 記紀神話・古代研究Ⅰ 古事記の世界』平凡社、2010年12月、初出1966年2月・3月)
吉野町史編集委員会編『吉野町史 上巻』(吉野町、1972年1月)
守屋俊彦「吉野の童女―吉野連の伝承―」(『古事記研究―古代伝承と歌謡―』弥井書店、1980年10月、初出1976年3月)
吉井巌「国巣と国巣奏―神武天皇伝承と吉野―」(『天皇の系譜と神話 三』塙書房、1992年10月、初出1980年11月)
川上村史編纂委員会編『川上村史 通史編』(川上村教育委員会、1989年3月)
大和岩雄「丹生川上神社―吉野と水銀と神武東征伝承」(『神社と古代民間祭祀』白水社、1989年6月)
多田一臣「吉野の古代―国樔と隼人」(『古代文学の世界像』岩波書店、2013年3月、初出2001年6月)
増補吉野町史編集委員会編『増補吉野町史』(吉野町、2004年3月)

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