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稲氷命

読み
いなひのみこと
ローマ字表記
Inahinomikoto
別名
-
登場箇所
上・鵜葺草葺不合命の系譜
他の文献の登場箇所
紀 稲飯命(十一段本書・一書一・二・三、神武前紀戊午年六月)/彦稲飯命(十一段一書四)
旧 稲飯命(皇孫本紀)
姓 稲飯命(右京皇別下)
梗概
 天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命が叔母の玉依毘売命を娶って生んだ四神の第二子。母の国である海原に入った。
諸説
 名義は『日本書紀』の「稲飯」という表記そのままの意とする説があるが、ヒを「飯」ではなく「霊」の意と解し、稲の神霊とする説もある。ただし稲の霊はふつうイナダマと称されるという。上代特殊仮名遣いでは、霊(ムスヒ)・飯(イヒ)ともに甲類のヒに属するため、どちらの解釈も可能である。なお鵜葺草葺不合命から生まれた四神は、いずれも稲または食物に因んだ名をもっており、これは天照大御神からの穀霊の継承を示すものとされ、霊・飯のいずれの解釈を採るにせよ、稲氷命の名もこの法則に則ったものとなる。
 『日本書紀』神武天皇即位前紀では、神日本磐余彦尊(のちの神武天皇)の東征に同行し、熊野の神邑で暴風にあった際、稲飯命は天神・海神を父母とするにもかかわらず、陸でも海でもみずからに苦難が降りかかることを嘆き、剣を抜いて海に身を投じ、鋤持神(サメ)になったと伝えられている。
 『古事記』『日本書紀』ともに海原に入ったとされる稲氷命であるが、この行為は稲氷命の死を意味するとも考えられている。また稲氷命が転じた鋤持神はサメとされることが多いが、そのまま剣を持った神と解し、熊野上陸後に神倭伊波礼毘古命が布都御魂の神剣を授かったとする伝承の、より古い形態を示したものという見解もある。
 『新撰姓氏録』右京皇別下の新良貴条には、稲飯命が新羅に渡って国主となったとの所伝がみえる。『古事記』の海原に入ったという伝承や、『日本書紀』の海に身を投じたという伝承から作られた物語と考えられている。
参考文献
西郷信綱『古事記注釈 第四巻(ちくま学芸文庫)』(筑摩書房、2005年10月、初出1976年4月)
倉野憲司『古事記全註釈 第四巻 上巻篇(下)』(三省堂、1977年2月)
『古事記(新潮日本古典集成)』(西宮一民校注、新潮社、1979年6月)
佐伯有清『新撰姓氏録の研究 考証篇 第二』(吉川弘文館、1982年3月)
三品彰英「神武伝説の形成」(『三品彰英論文集 第一巻 日本神話論』平凡社、1970年7月)
和田嘉寿男「常世と海原―御毛沼命と稲氷命によせて―」(『武庫川国文』62号、2003年11月)

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