國學院大学 「古典文化学」事業
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伊斯許理度売命
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伊斯許理度売命
読み
いしこりどめのみこと
ローマ字表記
Ishikoridomenomikoto
別名
-
登場箇所
上・天の石屋
上・天孫降臨
他の文献の登場箇所
紀 石凝姥(七段一書一)/石凝戸辺(七段一書三)/石凝姥命(九段一書一)
拾 石凝姥神(日神の石窟幽居、日神の出現、崇神天皇)
旧 石凝姥命(神祇本紀、天神本紀)
梗概
天岩戸開きの祭具製作にあたって鏡を製作。天孫降臨に際しては五伴緒として他の四神と共に日子番能邇々芸命に従って天降りする。作鏡連等の祖と伝える。
諸説
書紀では「石凝姥(神・命)」「石凝戸辺」とある。
名義は、イシコリについて、「鋳(い)凝(しこ)り」と見て、鋳造における溶鉄の凝固と解する説や、「石凝」と見て、石を切った鋳型に溶鉄を流して固まらせると解する説がある。ドメは書紀の「姥」表記から、老女と解されるが、他に、その上でトを「祝詞」のような呪的な行為につける接尾語と見た上で、凝る事が呪的な行為とされたと考え、メを女の意と、分析して解する説もある。トメは、トメ・トベという形で人名・神名にも見えて、男女に関わらない名称とする説もあるが、それらの人名・神名の分析から、助詞ツに女性の意のメのついた「の女性」の意であり、女性の首長の号であるとする説がある。
書紀第七段における鏡の製作者は、一書第一では「石凝姥」であるが、第二では「鏡作部が遠祖天糠戸」になっていて、第三では「鏡作が遠祖天抜戸が児石凝戸辺」になっている。『古語拾遺』も書紀一書第三に同じで、祖先伝承にそれぞれ違いがある。『古語拾遺』崇神天皇の段には、斎部氏に命じて石凝姥神の後裔と天目一箇神の後裔の二氏を率て鏡を鋳、剣を造らせて護身の御璽としたとあり、天石屋戸神話における二神の事跡とつながっている。書紀一書で「天糠戸」となっていることについて、この神名が、戸をヌク意で、石凝姥が作った鏡の威力で戸の外に連れ出したことに由来する説話的命名と見て、これが古事記の始祖伝承に付け加えられて書紀一書の伝承が成り立ったという可能性を考える説がある。
鏡作部は、天武紀・十二年十月に連の姓を賜っているが、姓氏録には石凝姥も鏡作連もその名が見えない。『和名類聚抄』に大和国城下郡「鏡作」郷があり、『延喜式』神名帳の同郷に「鏡作に坐す天照御魂神社」が鎮座するが、この名は天孫降臨段で天照大御神が五伴緒に下した「此之鏡者、専為我御魂而、如拝吾前、伊都岐奉」という詔に照応する。
参考文献
倉野憲司『古事記全註釈 第三巻 上巻篇(中)』(三省堂、1976年6月)
西郷信綱『古事記注釈 第二巻(ちくま学芸文庫)』(筑摩書房、2005年6月)
『古事記(新潮日本古典集成)』(西宮一民校注、新潮社、1979年6月)
『古事記(日本思想大系)』(青木和夫・石母田正・小林芳規・佐伯有清校注、岩波書店、1982年2月)
溝口睦子「戸畔(トベ)考―女性首長伝承をめぐって―」(『上代語と表記』おうふう、2000年10月)
大和岩雄「鏡作伊多神社―石凝姥と鏡作神社」(『神社と古代民間祭祀』白水社、1989年6月)
伊耶那美神
市寸島比売命
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