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石押分之子

読み
いはおしわくのこ/いわおしわくのこ
ローマ字表記
Iwaoshiwakunoko
別名
-
登場箇所
神武記・八咫烏の先導
他の文献の登場箇所
紀 磐排別之子(神武前紀戊午年八月)
旧 磐排別之子(皇孫本紀)
姓 石穂押別神(大和国神別)
梗概
 吉野で神武天皇を迎えた国つ神で、吉野の国巣の祖。
 神武天皇の軍が吉野に到ると、贄持之子や井光鹿という国つ神らに出会った。更に山に入ると、尾のある人が巌を押し分けて出てきたので、正体を問うたところ、国つ神の石押分之子と名乗り、天つ神の御子がおいでになったと聞いて迎えに参ったのだと答えた。
諸説
 書紀は「磐排別之子」に作り、「排別」の読みを「飫時和句(おしわく)」と示している。
 この神は、吉野の国巣の祖とされる。「国巣」はクズと読み、表記は「国巣」(神武記、常陸国風土記)のほか、「国主」(応神記)、「国樔」(日本書紀)、「国栖」(新撰姓氏録、常陸国風土記)とも書く。古代、宮廷儀礼において独特の歌舞(国栖奏)を奏上する役目を担った一族である。本来は吉野の土着民であったとされるが、神武記の記述は、その一族の始祖伝承であり、王権に服属した起源を物語る意義を持っていると見なされる。
 この神が尾を生やしていると表現されていることについての解釈は、獣皮の尻当てをした穴居住民の描写とする説や、国つ神を動物や自然に近いものとする神話的な分類法に基づいた言い方、あるいは、王化に浴さない未開の地に住まう者を異形として描いたものとする説もある。また、岩を押し分けて出てきたという描写について、山神に奉仕する神人が地中から出現するという内容の始祖伝承が各地に見られることから、この神を、吉野の山神に奉仕する地中から出現した神人と解する説もある。
 『貞観儀式』や『延喜式』には、国栖が大嘗祭や節会に際して御贄を献じ歌笛を奏する国栖奏を奉仕することが規定されており、その一族による奉仕は平安時代まで続いている。応神記には国栖奏の起源譚が語られ、「吉野之国主等」が応神天皇の皇子、大雀命(仁徳天皇)の佩いた太刀を見て歌を歌っており、今に至るまで、彼らが大贄を献上する際にはこれが歌われていると記されている。また、『日本書紀』応神紀では、吉野の国樔が淳朴な性格であったと記し、木の実や蛙を食する非農耕民として描写されている。
 クズという語は、土着の者を指す一般名詞と考えられ、『常陸国風土記』に各地の土着の種族を指した例が散見される。記紀で、石押分之子が岩を押し分けて出てきたといい、『常陸国風土記』茨城郡や『新撰姓氏録』にも、国栖が穴に住んでいたという記述が見られることからは、クズと呼ばれる人々は穴居民であったと考えられている。吉野の国巣は、それら各地の国巣の代表として扱われたものと考えられるが、逆に、吉野の国栖に固有であった呼称を他の異種族にまで敷衍したものとする説もある。どの文献の表記でも「国」の字が使われていることからは、クズはクニスの音変化とも考えられているが、クズを本来の語形と見る説もある。応神記の「国主」表記のみ、「主」という字音による借字を使っているが、無意味な当て字ではなく意図的な表記とする見方もあり、吉野の国巣を異種族の有力者として待遇する意味合いを持たせていると捉える説もある。
 『新撰姓氏録』大和国神別には、国栖について、石穂押別神(いはほおしわくのかみ)を祖とし、記紀と同様の話を載せるが、神武天皇が出会った際に国栖の名を賜ったといい、允恭天皇の治世に御贄を進上して神態を奉仕してから、今に至るまで絶えることなく続いていると伝えるなど、独自の伝承を含んでいる。
参考文献
倉野憲司『古事記全註釈 第五巻 中巻篇(上)』(三省堂、1978年4月)
西郷信綱『古事記注釈 第五巻(ちくま学芸文庫)』(筑摩書房、2005年12月、初出1988年8月)
『古事記(新潮日本古典集成)』(西宮一民校注、新潮社、1979年6月)
川副武胤「吉野考」(『日本古典の研究』吉川弘文館、1983年12月、初出1976年1月)
守屋俊彦「吉野の童女―吉野連の伝承―」(『古事記研究―古代伝承と歌謡―』弥井書店、1980年10月、初出1976年3月)
吉井巖「国巣と国巣奏―神武天皇伝承と吉野―」(『天皇の系譜と神話 三』塙書房、1992年10月、初出1980年11月)
佐伯有清『新撰姓氏録の研究 考証篇 第四』(吉川弘文館、1982年11月)
和田萃「吉野の国栖と王権・国家」(『歴史評論』597号、2000年1月)
多田一臣「吉野の古代―国樔と隼人」(『古代文学の世界像』岩波書店、2013年3月、初出2001年6月)
廣島志帆子「国巣から国主へ―古事記が語る吉野之国主―」(『叙説』32、2005年3月)
原口耕一郎「国栖の歌笛奏上とこれに関わる官司について」(『名古屋市立大学大学院人間文化研究科 人間文化研究』4、2006年1月)
伊藤循「天皇制と吉野国栖」(『古代天皇制と辺境』同成社、2016年4月)

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