國學院大学 「古典文化学」事業
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石土毘古神
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石土毘古神
読み
いはつちびこのかみ/いわつちびこのかみ
ローマ字表記
Iwatsuchibikonokami
別名
-
登場箇所
上・国生み神生み
他の文献の登場箇所
旧 石土毘古神(陰陽本紀)
霊 石槌神(下三十九)
梗概
伊耶那岐・伊耶那美二神の神生みによって生まれた神。
諸説
名義は、岩と土を表すとする説がある。次に生まれる石巣比売神と名前が対応しており、神生みの段において、石土毘古神から風木津別之忍男神までを、住居に関する神々と見て、その筆頭にあたることから、石巣比売神と共に竪穴住居の床や壁面を構築するのに第一に必要な岩や土、砂の神格化とする説がある。また、イハは大地に根を生やしたような大きな岩石のことであるから、住居の土台になる岩石と土であり、敷地の神格化とする説がある。一方、国生みから神生みへ移るという展開の上に、住居の神を位置付けることの妥当性を疑問視する意見もあり、これらも神生みで誕生した他の神々と同様に、自然に関する神々とする見解もある。その立場からは、石土毘古神・石巣比売神を、国生みで生まれた島(国土)に大地が形成されることの表象とする説がある。
『日本書紀』五段一書十では、伊奘諾尊の禊から「磐土命」が生まれているが、この神は『古事記』の「上箇之男命」に相当して、別の神と考えられている。
『日本霊異記』下巻の話「智と行と並に具はれる禅師の重ねて人身を得て、国皇のみ子と生れし縁 第三十九」には、伊予国神野郡の石鎚山に「石槌神」が鎮座することが記されている。石鎚山は、飛鳥時代、役の行者によって開山され、以来修験の道場として信仰されてきた霊山であり、奈良時代創建という石鎚神社(愛媛県西条市)は、「石鎚毘古命(いしづちひこのみこと)」を祭っている。
『延喜式』神名帳・土佐国長岡郡の石土神社は、神社の後ろに鍾乳洞があることから、その社名は、「岩チチ」という称に「石土」の字を当てたのではないかという説がある。また、伊予国の石鎚神社を「奥の院」として、その「前の宮」であるともいわれており、石鎚神社には当社から勧請されたとも伝えられている。
参考文献
山田孝雄『古事記上巻講義 一』(志波彦神社・塩釜神社古事記研究会編、1940年2月)
倉野憲司『古事記全註釈 第二巻 上巻篇(上)』(三省堂、1974年8月)
西郷信綱『古事記注釈 第一巻(ちくま学芸文庫)』(筑摩書房、2005年4月、初出1975年1月)
『古事記(新潮日本古典集成)』(西宮一民校注、新潮社、1979年6月)
『古事記(日本思想大系)』(青木和夫・石母田正・小林芳規・佐伯有清校注、岩波書店、1982年2月)
神野志隆光・山口佳紀『古事記注解2』(笠間書院、1993年6月)
小松英雄『国語史学基礎論(2006簡装版)』(笠間書院、2006年11月、1973年1月初版)第3章
志賀剛『式内社の研究 第1巻 概論・南海道』(雄山閣、1987年3月)
『式内社調査報告書 第二十三巻 南海道』(式内社研究会編、皇学館大学出版部、1987年10月)
『石鎚信仰の歩み―石鎚神社改訂一千三百年史―』(石鎚神社頂上社復興奉賛会、2003年2月)
沢勲・小山博・久森洋昭・藤田康雄「愛媛県西条市、伊邪那岐命の第2子目、石鎚神社の由来と文化」(『洞窟環境NET学会紀要』9号、2018年)
石巣比売神
石筒之男神
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