國學院大学 「古典文化学」事業
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伊予之二名島
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伊予之二名島
読み
いよのふたなのしま
ローマ字表記
Iyonofutananoshima
別名
-
登場箇所
上・国生み神生み
他の文献の登場箇所
紀 伊予二名洲(四段本書・一書一・七)/伊予洲(四段一書六)
旧 伊予二名州(陰陽本紀)/伊与二名嶋(陰陽本紀)
梗概
伊耶那岐神・伊耶那美神が生んだ、大八島国(淡道之穂之狭別島・伊予之二名島・隠伎之三子島・筑紫島・伊岐島・津島・佐度島・大倭豊秋津島)の第二の島。身一つに面が四つある。その四つの内、伊予国を愛比売といい、讃岐国を飯依比古、阿波国を大宜都比売、土佐国を建依別という。
諸説
『日本書紀』四段の本書には「伊予二名洲」、一書六には「伊予洲」とある。
本文に「身一つにして面四つ有り」と表現されていることについては、この島に四つの国があることを人体化した表現で、自然の島でなく、伊耶那岐・伊耶那美二神の生殖で生まれた子であることを表わしているとする説がある。また、「面四つ」を、四国の地形の知識に基づく表現とする説があり、伊予国は高縄半島(愛媛県)、讃岐国は讃岐半島(香川県)、粟国は徳島県の東に突出した海岸部、土左国は足摺岬もしくは室戸岬に至る海岸線を、それぞれ面に見立てたものとする見方が提示されている。
「二名」は、二つ並ぶ意と取り、愛比売・飯依比古、大宜都比売・建依別という二組の男女の並んでいることによるとする説がある。
「伊予」の一国名が島全体の総名になっていることについては、九州の中心であった筑紫がその総名になっているのと同様、伊予国が四国の肝要の地で、政治や文化の中心であったことによるとする説がある。また、伊予を四国の筆頭とする『古事記』の発想は、四国全土を統轄していたとされる伊予総領が設置されたと考えられる天武・持統朝のものであるとし、白村江の戦いで敗北した天智朝以来、半島との関係が問題となった頃の影響を受けた当時の地方統治の状況を反映しているとする説がある。ただし、総領という官職の歴史的な実態については諸説あり、伊予総領についても、その管轄範囲は伊予・讃岐の二国に限られていたとし、かつ四国の全体を指して「伊予」と称した例が他の文献に見えないことから、四国全土を統轄していたとは見なせないとする批判もある。伊予総領の問題をはじめ、島名の伊予と国名の伊予との関係については、なお検討の余地があろう。
参考文献
倉野憲司『古事記全註釈 第二巻 上巻篇(上)』(三省堂、1974年8月)
西郷信綱『古事記注釈 第一巻(ちくま学芸文庫)』(筑摩書房、2005年4月、初出1975年1月)
『古事記(新潮日本古典集成)』(西宮一民校注、新潮社、1979年6月)
松村武雄『日本神話の研究 第二巻』(培風館、1955年1月)第三章
岡田精司「国生み神話について」(『古代王権の祭祀と神話』(第5刷)塙書房、1979年4月、初出1955年10月)
吉井巌「古事記における神話の統合とその理念―別天神系譜より神生み神話への検討―」(『天皇の系譜と神話』塙書房、1967年11月、初出1965年5月)
服部旦「続「国生み神話」批判―島生みの場―」(『中央大學國文』12号、1968年10月
三谷栄一「国生み説話と淡路・四国との関係」(『記紀万葉集の世界』有精堂、1984年5月、初出1968年12月)
服部旦「国生み神話の構造」(『講座日本の神話3 天地開闢と国生み神話の構造』有精堂、1976年12月)
中西正和「古代総領制の再検討」(『日本書紀研究』第13冊、塙書房、1985年3月)
森浩一「古代人の地域認識」(『日本の古代 第2巻 列島の地域文化』中央公論社、1986年2月)
荻原千鶴「大八嶋生み神話の〈景行朝志向〉」(『日本古代の神話と文学』塙書房、1998年1月、初出1977年3月)
白石成二「古代総領制をめぐる諸問題―伊予総領を中心に―」(『ソーシアル・リサーチ』18号、1992年8月)
伊服岐能山之神
宇迦之御魂神
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