國學院大学 「古典文化学」事業
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伊豆志之八前大神
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伊豆志之八前大神
読み
いづしのやまへのおほかみ/いずしのやまえのおおかみ
ローマ字表記
Izushinoyamaenoōkami
別名
-
登場箇所
応神記・天之日矛
他の文献の登場箇所
神名式 伊豆志坐神社八座(但馬国出石郡)
梗概
妻の阿加流比売神を追って渡来してきた新羅王子の天之日子が携えていた八種の玉津宝(珠二貫、浪振るひれ、浪切るひれ、風振るひれ、風切るひれ、奥津鏡、辺津鏡)が神格化したもの。
諸説
伊豆志は地名で、現在の兵庫県豊岡市出石町。前は座と同じように神の敬称であり、天之日矛が将来し、出石神社に安置した八種の神宝の神格化とされる。直後に「茲の神の女」として登場し、秋山之下氷壮夫と春山之霞壮夫の妻争いの対象となった伊豆志袁登売神は、この伊豆志之八前大神の娘とみるのが通説である(天之日矛の娘とする説も存在する)。『延喜式』神名帳の但馬国出石郡条には名神大社として「伊豆志坐神社八座」がみえ、同社はのちに但馬国の一宮と定められた。天平9年(737)「但馬国正税帳」にみえる「出石神戸」、大同元年(806)に神封13戸が充てられた「出石神」は、この伊豆志之八前大神のこととみられる。承和12年(845)にはじめて神階が授けられ、貞観16年(874)に正五位上まで達した。同社の奉斎氏族としては、多遅摩毛理(天之日矛の四世孫)の後裔氏族である三宅連や糸井造が推測されており、そのウヂ名も但馬国内の地名と関係するものであることが指摘されている。
『古事記』(以下『記』)では単に「昔」とされる天之日矛の来朝を、『日本書紀』(以下『紀』)は垂仁3年のこととする。『紀』にみえる天日槍(天之日矛)が将来した神宝は、本文では羽太玉・足高玉・鵜鹿鹿赤石玉・出石小刀・出石鉾・日鏡・熊神籬の七種、別伝では葉細珠・足高珠・鵜鹿鹿赤石珠・出石刀子・出石槍・日鏡・熊神籬・胆狭浅大刀の八種とされ、『記』の内容とは大きく異なっている。また天之日矛の神宝は、『記』では一貫して出石の地に安置されたものとされるが、『紀』では垂仁天皇の命令で献上され、「神府」に納められたとされる。ただし出石小刀のみは自然に清彦(天日槍の曾孫)のもとに戻り、さらに淡路国に移ったため、同地で祀ることになったと伝えられる。
記紀において神宝が相違する要因としては、もともと八種以上あった神宝を、嘉数である八に限定したためとする説や、天之日矛を奉斎した氏族の神宝が、朝廷に召し上げられたことで実態を失い、やがて単なる伝説上の呪物となって品目も変わっていったという説がある。ただし天之日矛の神宝は、品目だけでなく性格も記紀で異なることから、そこに両書における天之日矛伝承の位置づけの差異を見出す説も根強い。『記』の神宝には海洋航海的な色彩が濃厚であり、「昔」と断ったうえで応神記に配されていることから、新羅王子である天之日矛の神宝が倭国に帰属し、そのため神功皇后(天之日矛の後裔)による新羅征討が容易に達成されたことを暗示したという指摘がある。なお『記』が掲げる神宝については、オキツ鏡・ヘツ鏡や特徴的な比礼(ひれ)が共通することなど、『先代旧事本紀』にみえる饒速日尊の「天璽瑞宝」(瀛津鏡・辺都鏡・八握剣・生玉・足玉・死反玉・道反玉・蛇比礼・蜂比礼・品物比礼)との類似性も指摘されている。これに対して『紀』で神宝が「神府」に納められているのは、ある段階で出石の神宝とその呪儀が王権の祭政宗儀に加えられたことを示すとされ、その神宝を勘検した人物として大友主と長尾市があげられているのは、両者の後裔氏族である三輪君と倭直の主張を取り入れた結果であって、三宅連らが伝えてきた天之日矛伝承にはない二次的な要素とされる。また但馬への葛城集団の進出や新羅・伽耶系渡来人の移住から、天之日矛伝承の成長における葛城氏・秦氏の影響も指摘されている。なお記紀における神宝を比較したとき、天之日矛の名称の由来でもある武器が目立つこと、『紀』でもっとも重要な役割を果たす出石小刀が『記』では脱落していることなどから、『記』の神宝は『紀』のそれよりも後代的なものとみる説が有力である。
参考文献
『古事記(新潮日本古典集成)』(西宮一民校注、新潮社、1979年6月)
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三品彰英「ミタマフリの伝承」(『三品彰英論文集第4巻 増補日鮮神話伝説の研究』平凡社、1972年4月)
横田健一「神功皇后の系譜について」(神功皇后論文集刊行会編『神功皇后』皇学館大学出版部、1972年5月)
中西進『古事記を読む3 大和の大王たち』(角川書店、1986年1月)
寺田恵子「秋山之下氷壮夫・春山之霞壮夫の物語」(『古事記・日本書紀論集(神田秀夫先生喜寿記念)』続群書類従完成会、1989年12月)
松前健「アメノヒボコとヒメコソの神」(『松前健著作集第10巻 日本神話論Ⅱ』おうふう、1998年7月、初出1989年12月)
中村啓信「秋山之下氷壮夫と春山之霞壮夫説話の構成」(『國學院大學大学院紀要(文学研究科)』31号、2000年3月)
大平茂「天日槍伝承と兵庫県日本海地域の考古学―北但馬の古墳時代とその文化―」(武光誠・山岸良二編『原始・古代の日本海文化』同成社、2000年10月)
古市晃「倭直の始祖伝承に関する基礎的考察」(『国家形成期の王宮と地域社会―記紀・風土記の再解釈―』塙書房、2019年3月、初出2013年6月)
紅林怜「アメノヒボコ伝承の構成―記紀を比較して」(加藤謙吉編『日本古代の氏族と政治・宗教 下』雄山閣、2018年3月)
鷺森浩幸「天日槍説話の歴史的背景」(『日本歴史』863、2020年4月)
伊都之尾羽張
伊豆志袁登売神
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