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韓神

読み
からのかみ
ローマ字表記
Karanokami
別名
-
登場箇所
上・大年神の系譜
他の文献の登場箇所
旧 韓神(地祇本紀)
神名式 韓神社(宮中)
梗概
 大年神の系譜中に見える。大年神が神活須毘神の娘の伊怒比売を娶って生んだ五神(大国御魂神・韓神・曾富理神・白日神・聖神)の第二。
諸説
 大年神の子孫の神々は、その系譜の成立事情や『古事記』中の位置付けが問題になり、それと関連づけて論じられる。本文中、大年神の系譜が、一連となるはずの須佐之男命の系譜から分断された位置に記されていることについて、不自然さが指摘されており、これを古くからの伝承でなく新しく作られて編纂者の意図を反映したものとする説や、『古事記』成立以後に、特定の集団の関与により附加されていったものとする説がある。また反対に、系譜と前の物語との接合関係や古事記全体からの関わりを検討し、この系譜の位置に『古事記』全体の構成上の必然性を認める説もある。この系譜の神々は、大年神が農耕神であることから、農耕や土地にまつわる神を主としたものと捉えられる。
 大年神と伊怒比売との間に生まれた兄弟五神については、神名から、渡来系の神かといわれ、あるいは、渡来系氏族の秦氏らによって奉斎された神とも論じられている。また、各神の順序や性格の関連から、この神名の列記が、農耕、稲作文化の日本への伝来を語ったものではないかとする説もある。
 「韓神」の名を持つ神として、『延喜式』神名帳の「宮内省に坐す神三座」に「薗神社」と共に挙げられる「韓神社二座」がある。『古事記』の韓神と同神であるか確定には至っていないが、その関連から『古事記』の韓神の解釈が試みられている。この神社は、『江家次第』『古事談』『塵袋』『年中行事秘抄』などに、延暦以前から鎮座していた旨が記され、平安遷都の際に別の場所に遷座させようとしたところ託宣があり、帝王の守護として同地に留まって宮内省に鎮座したと伝わる。その鎮座する大内裏は、もと秦河勝の邸宅跡の地であるというので、そこから、これらの神は秦氏により奉斎されてきた神で、地主神としての性格を持つとする説がある。『延喜式』四時祭上に「薗并びに韓神三座の祭」が載り、春二月・冬十一月の丑の日に祭りが行われたことが見える。この祭りの意義について、十一月の祭りの日付は新嘗祭の前日であるから、新嘗祭に先立って地主神を祭ることで、祭の無事遂行を祈るとともに、王権の永続の保証を得ようとするものであったとする説がある。神楽歌の「韓神」も、その薗韓神祭の神楽の名残とされる。
参考文献
倉野憲司『古事記全註釈 第三巻 上巻篇(中)』(三省堂、1976年6月)
西郷信綱『古事記注釈 第三巻(ちくま学芸文庫)』(筑摩書房、2005年8月、初出1976年4月)
『古事記(新潮日本古典集成)』(西宮一民校注、新潮社、1979年6月)
西田長男「『古事記』の大年神の神系」(『日本神道史研究 第十巻 古典編』講談社、1978年8月、初出1959年10月~1960年7月)
西田長男「曾富理神―『古事記』の成立をめぐる疑惑―」(『日本神道史研究 第十巻 古典編』講談社、1978年8月、初出1965年6月)
松前健「園韓神祭と内侍所神楽」(『古代伝承と宮廷祭祀』塙書房、1974年4月)
佐野正巳「スサノヲノミコトの系譜―大年神の神裔―」(『講座日本の神話5 出雲神話』有精堂、1976年10月)
日野昭「穀物神と土地神―大年神の系譜について―」(『仏教文化研究所紀要』(龍谷大学)18集、1979年6月)
上田正昭「大年神の系譜」(『古代伝承史の研究』塙書房、1991年5月、初出1980年4月)
福島秋穗「大年神の系譜について」(『記紀神話伝説の研究』六興出版、1988年6月、初出1983年3月)
福島秋穗「「大年神と其の子孫に関わる記事」をめぐって」(『紀記の神話伝説研究』同成社、2002年10月、初出1995年10月)
志水義夫「大年神系譜の考察」(『古事記生成の研究』おうふう、2004年5月、初出1997年10月)

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