國學院大学 「古典文化学」事業
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鹿屋野比売神
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鹿屋野比売神
読み
かやのひめのかみ
ローマ字表記
Kayanohimenokami
別名
野椎神
登場箇所
上・国生み神生み
他の文献の登場箇所
紀 草野姫(五段本書)
旧 鹿屋姫神(陰陽本紀)
梗概
伊耶那岐・伊耶那美二神の神生みによって、風の神・木の神・山の神と共に生まれた野の神。またの名を野椎神という。山の神の大山津見神と共に山・野に因って分担して、八神(天之狭土神・国之狭土神・天之狭霧神・国之狭霧神・天之闇戸神・国之闇戸神・大戸或子神・大戸或女神)を誕生させた。
諸説
カヤは、薄や茅、菅など屋根葺きに用いられる草のこと。ノは、平地ではなく山の裾の広い傾斜地のことをいうとされる。名義は、『日本書紀』の「草野姫」を文字通りに解して、かやの生える野の女性と解する説がある。別名の「野椎(のづち)」は、「野ツ霊」の意で、野の精霊と解される。
『古事記』では野の神とされているが、『日本書紀』五段本書には、「次に草の祖、草野姫を生む。亦は野槌と名す」とあり、草(かや)の神とされる。草と野とは密接な関係にあり、この神にはその両方面にわたる性格を見いだすことができる。
践祚大嘗祭式・在京斎場条には、斎場や大嘗宮の造営のため卜部が材木や萱を採る次第について、山に入って材木を切り出す際に山の神を祭り、野に入って萱を刈る際に野の神を祭ることが見えている。『日本書紀』七段一書二には、天石窟にこもった日神を呼び出す際、「野槌といふ者には五百箇野廌(いほつのすすき)の八十玉籤(やそたまくし)を採らしむ」とあり、また神武天皇即位前紀で、丹生の川上で祭祀を行う場面では、「草の名を名けて厳野椎(いつののつち)と為はむ」とある。
この神の登場場面では、岐美二神の子神らが河・海、また山・野に因って分担して、自然にまつわる神々を誕生させている。「因る」という表現は、物実による化生を表しているという説がある。「山・野(河・海)に因りて持ち別けて」神々を生んだ、という文の解釈について、生んだ主体を、岐美二神とみるか、持ち別けた主体と同じ大山津見神・野椎神とみるかによって、生まれた神々が岐美二神の生んだ「参拾伍神」に含まれるかどうか扱いが分かれる。この話は『日本書紀』には見られず、『古事記』独自の展開としてその意義が問われるが、自然神を神統譜の中に系譜化することによって、三貴子の分治を頂点とした伊耶那岐神の子神の統治領域の確立の過程として、自然界が掌握されることを意味しているのではないかという説がある。
参考文献
倉野憲司『古事記全註釈 第二巻 上巻篇(上)』(三省堂、1974年8月)
西郷信綱『古事記注釈 第一巻(ちくま学芸文庫)』(筑摩書房、2005年4月、初出1975年1月)
『古事記(新潮日本古典集成)』(西宮一民校注、新潮社、1979年6月)
神野志隆光・山口佳紀『古事記注解2』(笠間書院、1993年6月)
野口武司「『古事記』神生みの段の左註「神參拾伍神」」(『古事記及び日本書紀の表記の研究』桜楓社、1978年3月、初出1974年6・8・10月)
青木周平「「神生み」段の表現」(『青木周平著作集 上巻 古事記の文学研究』おうふう、2015年3月、初出1991年5月)
西宮一民「「神参拾伍神」考」(『古事記の研究』おうふう、1993年10月、初出1992年4月)
毛利正守「古事記上巻、岐美二神共に生める「嶋・神参拾伍神」考」(『萬葉』144号、1992年9月)
戸谷高明「「持別而生神」」(『古事記の表現論的研究』新典社、2000年3月、初出1992年12月)
迦毛大御神
韓神
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