國學院大学 「古典文化学」事業
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事代主神
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事代主神
読み
ことしろぬしのかみ
ローマ字表記
Kotoshironushinokami
別名
八重言代主神
八重事代主神
登場箇所
上・大国主神の系譜
上・建御雷神の派遣
上・大国主神の国譲り
他の文献の登場箇所
紀 事代主神(八段一書六、九段本書・一書二、神武前紀庚申年八月、綏靖前紀、安寧前紀、懿徳前紀、天武紀元年七月)/事代主(九段一書一)/事代主尊(神功紀摂政元年二月)/天事代虚事代玉籤入彦厳之事代神(神功紀摂政元年二月)
拾 事代主神(吾勝尊、神籬を建て神々を祭る)
祝 辞代主(祈年祭、六月月次)/事代主命(出雲国造神賀詞)
旧 事代主神(天神本紀)/八重事代主神(天神本紀)/都味歯八重事代主神(地祇本紀)
姓 天乃八重事代主神(大和国神別)/積羽八重事代主命(和泉国神別)
神名式 事代主神(宮中神御巫祭神)/鴨都波八重事代主命神社(大和国葛上郡)/高市御県坐鴨事代主命神社(大和国高市郡)/事代主神社(阿波国阿波郡、阿波国勝浦郡)
梗概
大国主神と神屋楯比売命の子。建御雷神との国譲りの交渉の際、大国主神が事代主神にその返答を委ねたため、鳥の猟や魚の漁をしに御大の岬にいた事代主神が呼び寄せられ、この葦原中国を天孫に献上することを父に告げた。そして、事代主神は船を踏み傾けて、天の逆手を青柴垣に打ちなして隠れた。国譲りが成立した際には、事代主神は天神に服属する諸神を統率する神として大国主神に名を挙げられている。
諸説
神名の「コト」には「言(言葉)」と「事(事柄)」の二字が用いられ、言霊信仰に基づくとされる。建御雷神の派遣段において、「八重言代主神」と「言」字が用いられたのは、特に言葉の働きが重視された発言のためという。なお、『古事記』では「事」と「言」は使い分けられているため、主に「事」字が用いられるこの神は、単なる託宣の神というだけではない可能性も論じられている。「シロ(代)」は見解が分かれ、国譲りする事のシルシ、領域の意のシロや知る意のシロ、本物の代わりに同じ働きをする意などがある。このうち、「シロ(代)」を本物の代わりに同じ働きをする意と捉えた場合、神に代わり神の言葉を述べる者の意になることから、元来は神を祭る者であり、その神格化した存在という説もある。なお、「ヌシ(主)」を名にもつ神については、記紀神話の構想の根幹と深く関わり、その神名の成立に関しては記紀神話の成立時期ときわめて近いともいわれている。
また、事代主神は天武朝の頃に成立したとみる説がある。これは『日本書紀』天武紀において、この神が高市県主許梅に神懸りして述べた内容が、『古事記』の大国主神の「八重事代主神、神の御尾前と為て仕へ奉らば、違ふ神は非じ」という言葉と類似していることから、事代主神を神祇官八神殿に祭られている八座の神の一座と捉え、且つ、その八神奉斎の起源が壬申の乱後の天武天皇の勧請に基づくためである。ほかに、この神が氏族の祖先伝承と縁のない孤立的な神であるため、その神的地位は天武朝における皇室の尊崇によって確立したものであり、記紀神話に登場することで、はじめて事代主神の名が確定したのではないかという説もある。
事代主神は託宣を掌る神として捉えるのが有力であるが、『古事記』では国譲りの要請に諾の答えを出すこと、宮廷守護の役割を担うことが基本的性格だという説もある。『古事記』の国譲り神話には、事代主神が「鳥のあそび」「魚取り」するとあるが、これは国譲りに関する卜占とも、鳥や魚の霊魂を取り入れることで新たな霊力や活力を生じる鎮魂の呪術とも論じられており、後者の場合には、鳥が飛翔し各地の情報収集や伝達を担うこと、『日本書紀』八段一書六で事代主神が八尋熊鰐に変身することから、飛翔や変身による呪術宗教的特色をもつという説もある。
また、この神が行った天の逆手については、基本的に呪術として捉えられている。その解釈については、船を青柴垣に変化させるための呪術とする説、拍手による呪詛とする説、また対象の神霊を揺り動かすことでその神霊の更新を謀るという周礼の九拝の一つである振動礼と関わりから、それを逆手に打つことで自身の霊魂の更新と安定化を図り、神として永遠に鎮まることを目的とした呪術とする説、『日本書紀』では「海中に八重蒼柴籬を造り」とあることから、海人族の行う呪術の一種とする説などがある。なお、青柴垣は神籬と捉えられ、事代主神がそこに隠れるとみて、天の逆手からの記述は文脈的に服従と引退のしるしと指摘される。
事代主神は、同じ大国主神の子である建御名方神と対比され、建御名方神の服従が政治的武力的支配力の献上を意味するのに対し、事代主神は呪的宗教的支配力の譲渡を意味するとされる。また、歴史的観点からは、反乱や反逆の記事が多い国造の典型を表しているとされる建御名方神に対し、恭順で祭祀性に富む県主の典型を表すのが事代主神とされる。事代主神は出雲系でありながら、記紀の描写からは高天原・天皇側に対抗する様子はなく、むしろ天皇側に助力する立場にいるため、天皇に忠誠を尽くした神という指摘もある。
一方で、この神は『出雲国風土記』に名がみえないことから出雲の神ではないとみる説もあり、元来は「出雲国造神賀詞」や『延喜式』神名帳などに記される賀茂(大和)の神であったと解される。大国主神の子として系譜づけられたのは、大国主神の神意を事代主神が託宣することで国譲りが決まったためと指摘される。そのため、大国主神の系譜は国譲り神話への伏線として配慮されたものとみる説もある。また、上記で述べたように、神の所有の観点から、本来は事代(神事の代行者)が神格化された者(事代主神)と祭る神(大穴牟遅神)という関係であったが、事代の権力増大に伴って、彼らに祭られていた事代主神が出雲を治める大穴牟遅神の子に昇格したともみられている。
『日本書紀』では、『古事記』には記されていない事代主神の伝承がみられる。八段一書六では事代主神が八尋熊鰐になって三島溝樴姫(あるいは玉櫛姫)のもとに通い、神武天皇の妻となる媛蹈鞴五十鈴媛を生んだとあり、神武前紀庚申年八月条や綏靖前紀でも同様のことが記されている。安寧前紀では五十鈴依媛(媛蹈鞴五十鈴媛の妹)の父として、また懿徳前紀では鴨王の祖父として名がみえる。九段本書・一書二では大物主神とともに帰順した神の首領とある。
また、『延喜式』神名帳の大和国葛上郡に鴨都波八重事代主命神社がみえる。古写本では「シモツカモ」という語が傍記にみられるため、この神社が同郡にある高鴨阿治須岐詫彦根命神社に対する「下つ鴨」と捉えられる。そのため、両神社の祭る二神が対となることから、事代主神は葛城地方の農耕神であった阿遅鉏高日子根神の託宣を司る神であったかと説かれている。なお、葛上郡には長柄神社の名もあるが、『新撰姓氏録』では長柄首が事代主神の子孫とあることから、この氏族に祭られていたともみられている。『先代旧事本紀』では甘南備飛鳥社としても祭られていたとあり、『新撰姓氏録』大和国神別に飛鳥直が子孫と記されている。『延喜式』神名帳に宮中神御巫祭神とあることも含め、鴨の地を越えて祭られるようになったことについては、事代主神が託宣という地域・氏族を越えた普遍的機能によって発展したためという見解がある。
その他、事代主神は賀茂氏に祭られたと考えられること、母神の系譜が不明なこと、託宣神であることから、一言主神と共通点があることが述べられている。このように、事代主神は大物主神や阿遅鉏高日子根神、一言主之大神などとの関わりが示唆される。
参考文献
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阪口由佳「葛城の鴨の神なび」(『万葉古代学研究年報』21、2023年3月)
気比大神
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