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坐御諸山上神

読み
みもろのやまのうへにいますかみ/みもろのやまのうえにいますかみ
ローマ字表記
Mimoronoyamanoueniimasukami
別名
大物主神
大物主大神
意富美和之大神
登場箇所
上・大国主神の国作り
他の文献の登場箇所
紀 大三輪之神(八段一書六)/大三輪神(雄略紀十四年三月)
土左風 大神(逸文)
筑前風 大三輪神(逸文)
梗概
 御諸山(三輪山)に鎮座する神。
 少名毘古那神が常世国へ去った後、海を光り輝かせ、国作りの協力者を求めていた大国主神の前に現れた。そして、自身を祭れば国作りが上手くいくと大国主神に告げ、「倭の青垣の東の山の上」に祭るよう指示する。『古事記』中巻に登場する三輪山の大物主神と同一の神とされる。
諸説
 「御諸(ミモロ)」は「御室(ミムロ)」で、神の鎮座する場所や神を祭る場所の意を持つとされる。『古事記』下巻・雄略天皇条に「御諸の 厳白檮が下」(記91)と、三輪の社の神聖な樫の木が記されるのに加え、『万葉集』における「みもろの 三輪の神杉」(2・156)、「味酒を 三輪の祝が 斎ふ杉」(4・712)等の例から、「ミモロ」に「神の依り憑く聖木ないし森」の意を認め、「ミモロ山」が神霊の憑依・来臨する神聖な場(山)であると考える説がある。また、神の住む山として各地に存在する「ミモロ山」の内、倭を代表するミモロ山が三輪山であるとする説もある。記紀および上代の他文献に記される「御諸山」は、多くの場合三輪山を指すとするのが定説である。しかし、本来「ムロ」は自然の岩窟のことを指し、それが神の鎮座地に転じたと捉えられることから、「御諸山」は必ずしも三輪山だけを指すわけではないと指摘される。
 「坐御諸山上神」は『古事記』中巻において「大物主神」として再び登場するが、異なる神名が用いられる点に関しては神名の使い分けが指摘されている。崇神天皇条において大物主神は疫病をもたらすが、その神を祭ると疫病は止み、国は平安になった。この祭祀の前後で「大物主神」から「意富美和之大神」へ神名が変遷していることから、疫病神としての神格と国の平安な統治を保証する神としての神格を区別し、鎮座地の名を冠して祭祀を経た神を呼ぶと論じる説がある。大物主神祭祀を行わない場合、『古事記』上巻では国の完成が難しいことが語られる。この記述を後の大物主神による疫病発生の暗示と見て、大物主神が要求通り三輪山に祭られるようになったことを示す神名が「坐御諸山上神」とされる。しかし、記紀の国作り神話において御諸山への祭祀前に「大物主神」の神名が用いられない点から、祭祀前と祭祀後の神名の使い分けについて疑問が残るとする指摘もある。また、天皇家が婚姻や祭祀を通して大物主神と関わることから、天皇家が国つ神たちと安定した関係を取り結ぶ際、その要として示現する偉大な神を天皇家側から見て「大物主神」と呼ぶとする説もある。そして、両者の関係が緊張することなく安定している場合、祭場もしくは祭祀主体の名を取って「意富美和之大神」と称されると説かれる。
 また、『古事記』において大物主神は「御諸山」への鎮座が語られる以前、「海を光して依り来る神」として大国主神の前に現れ、国作りに関する助言を行う。『古事記』では神異のものを「光らす」と表現する例が多いと指摘され、古代人は海の彼方から訪れる客人を幸福の神として崇めたとする。『日本書紀』八段一書六において大己貴神の幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)として同一の神とされる大物主神は、大己貴神の国土経営の協力者の存在とその鎮座地を教えており、幸福をもたらし、奇しき働きをすると説かれている。なお、『古事記』では二神を別神として扱っている。
 『古事記』では「海を光らして依り来る神」が大国主神に鎮座地を訪ねられたところ「倭の青垣の東の山の上にいつき奉れ」と告げ、この神が「坐御諸山上神」であると記される。倭における国作りの重要な地として御諸山が確定され、その山に鎮まる神を祭ることが国作りの完成に繋がるとする説がある。これによって、葦原中国の国作りの場が出雲から倭へ移ることが指摘される。倭は『古事記』中巻において初代天皇・神武が宮を営み、天下統治を果たした地として記される。大国主神の国作り神話の中で「坐御諸山上神」が倭の神として国作りに関与する所以については、神武以降、舞台が倭に移行した後に主要な地として登場する前提を示すことにあったと論じる説がある。また、「坐御諸山上神」と記されながらその祭祀が明記されない点については、倭を支配する天皇との差異を明瞭にするため、大国主神が祭祀により倭と関係を持つことを否定したとする説がある。
 その他、「大物主神」の項も参照。
参考文献
西郷信綱『古事記注釈 第三巻(ちくま学芸文庫)』(筑摩書房、2005年8月、初出1976年4月)
『古事記(新潮日本古典集成)』(西宮一民校注、新潮社、1979年6月)
『古事記(日本思想大系)』(青木和夫・石母田正・小林芳規・佐伯有清校注、岩波書店、1982年2月)
『古事記(新編日本古典文学全集)』(山口佳紀・神野志隆光 校注・訳、小学館、1997年6月)
壬生幸子「大物主神についての一考察」(『古事記年報』19号、1977年1月)
松倉文比古「御諸山と三輪山」(『日本書紀研究 第十三冊』塙書房、1985年3月)
谷口雅博「大物主神の位置付け」(『古事記の表現と文脈』おうふう、2008年11月、初出1990年3月)
青木周平「三輪神にみる〈国作り〉と〈神祭り〉の性格」(『青木周平著作集 上巻 古事記の文学研究』おうふう、2015年3月、初出1991年1月)
阿部真司『大物主神伝承論』(翰林書房、1999年2月)
松本直樹「大国主神話の構想―御諸山の神との国作りを中心に―」(『東アジアの古代文化』120号、2004年8月)
青木周平「倭成す大物主―記紀の比較を通して―」(『青木周平著作集 上巻 古事記の文学研究』おうふう、2015年3月、初出2006年7月)
小浜歩「大物主神の神名と神格の関わりについて」(『神道宗教』207号、2007年7月)
寺川眞知夫「大物主神の出現―御諸山の神大物主神はなぜ海から出現するのか―」(『大美和』125号、2013年7月)

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