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贄持之子

読み
にへもつのこ/にえもつのこ
ローマ字表記
Niemotsunoko
別名
-
登場箇所
神武記・八咫烏の先導
他の文献の登場箇所
紀 苞苴担之子(神武前紀秋八月乙未条)
旧 包苴担之子(皇孫本紀)
梗概
 八咫烏に先導された神倭伊波礼毘古命が、吉野川の川尻で最初に出会った神。筌で魚を捕っており、神倭伊波礼毘古命が尋ねると国つ神を称した。阿陀之鵜養の祖。
諸説
 名義のニヘは朝廷に貢上する山野河海の産物、モツは所有や管掌を意味する。『日本書紀』では「苞苴担之子」と表記され、「苞苴担」を「珥倍毛菟(ニヘモツ)」と訓むことが注記される。苞はつと(藁などで包んだもの、転じてその土地の産物を土産にしたもの)、苴は敷き草のことであるから、表記のうえでもニヘを担う(=貢上する)ことを示したものと考えられる。
 贄持之子は阿陀之鵜養の祖とされ、贄持之子自身も神倭伊波礼毘古命と出会った際には筌で魚を捕っていた。吉野川は鮎の名産地として知られ、阿陀之鵜養が朝廷に貢上したニヘも鮎とみられる。また久米歌では「鵜養が伴」のことが歌われており、この「鵜養の伴」が阿陀之鵜養と考えられることから、阿陀之鵜養は来目部と関係を有していたことが指摘されている。なお贄持子之をふくめた大和平定物語に登場する神々については、かれらを倭王権と異なる生活様式をもつ異族とみる説がある。ただし贄持之子は記紀に反抗者や敵対者としての描かれておらず、そのため倭王権に対して無抵抗であったか、あるいはきわめて早い段階で帰順した可能性が指摘されている。
参考文献
倉野憲司『古事記全註釈 第五巻 中巻篇(上)』(三省堂、1978年4月)
『古事記(新潮日本古典集成)』(西宮一民校注、新潮社、1979年6月)
西郷信綱『古事記注釈 第五巻(ちくま学芸文庫)』(筑摩書房、2005年12月、初出1988年8月)
樋口清之「神武紀に於ける異族―日本古典の信憑性への一問題―」(國學院大學編『古典の新研究』第1集、1952年)
粂川光樹「古代吉野についての一考察」(『フェリス女学院大学紀要』11、1976年4月)

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