國學院大学 「古典文化学」事業
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邇芸速日命
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神名データベース凡例
邇芸速日命
読み
にぎはやひのみこと
ローマ字表記
Nigihayahinomikoto
別名
-
登場箇所
神武記・久米歌
他の文献の登場箇所
紀 饒速日(神武前紀甲寅年)/櫛玉饒速日命(神武前紀戊午年十二月)/饒速日命(神武前紀戊午年十二月、神武三十一年四月)
拾 饒速日命(神武天皇の東征、即位大嘗祭)
旧 饒速日尊(天神本紀、天孫本紀、皇孫本紀、天皇本紀)/天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(天神本紀、天孫本紀)/天火明命(天孫本紀、国造本紀)/天照国照彦天火明尊(天孫本紀)/饒速日命(天孫本紀、天皇本紀、国造本紀)/胆杵磯丹杵穂命(天孫本紀)/饒速日(皇孫本紀)/櫛玉饒速日尊(皇孫本紀)
姓 神饒速日命(左京神別上、右京神別上、山城国神別、大和国神別、摂津国神別、河内国神別、和泉国神別、未定雑姓・右京、未定雑姓・山城国、未定雑姓・大和国)/饒速日命(左京神別上、山城国神別、大和国神別、河内国神別、和泉国神別)/速日命(左京神別上)/神饒速比命(左京神別下)/胆杵磯丹杵穂命(河内国神別、未定雑姓・和泉国)
梗概
天つ神の御子の天降りを追って地上にやってきて、東征で大和に至っていた神倭伊波礼毘古命(神武天皇)に天津瑞を献上してそのもとに仕えた。神倭伊波礼毘古命と戦った登美毘古の妹である登美夜毘売を妻とし、その間に宇麻志麻遅命(物部連・穂積臣・婇臣らの祖)が生まれている。
諸説
神名のニギは「賑」で豊かなさま、ハヤは「速」で勢いの激しいさま、ヒは「霊」で霊力の意とされる。また、伊耶那岐神が迦具土神の頸を斬った際に建御雷之男神とともに生成した甕速日神・樋速日神と「速日」の称が共通することから、それらの神格に同じく、イカヅチや刀剣にかかわる神とみる説もある。子の宇麻志麻遅命が物部連らの祖神とされており、邇芸速日命の神話は、物部氏の始祖伝承という性格を持っている。
邇芸速日命は神倭伊波礼毘古命に仕える一方、登美毘古の妹の登美夜毘売と結婚しているが、登美毘古(登美能那賀須泥毘古)は神倭伊波礼毘古命と戦い、その兄・五瀬命を殺した仇敵である点が問題視される。その複雑な姻戚関係の背景について『古事記』には説明が無いが、これについて、邇芸速日命は、天孫降臨神話に連なる、地上の平定を助けるために天つ神に派遣された神で、婚姻は登美毘古を服属させたことを意味すると捉える説がある。
『日本書紀』の記事によると、饒速日命は、夙に天から降りて、長髄彦(ながすねびこ)の妹の三炊屋媛(みかしきやひめ)と結婚し、子に可美真手命(うましまでのみこと)を儲けていた。既に天つ神の御子たる饒速日命を主君として仕えていた長髄彦は、国を奪いにきた神日本磐余彦尊が自ら天つ神の御子と称していることを偽称と疑ったので、互いに天つ神の御子の証である天羽羽矢一隻と歩靫を示しあって証明したが、抗戦をやめようとしなかった。そこで、饒速日命は、天つ神が天孫(神日本磐余彦尊)に味方することを知っていた上に、長髄彦の邪な性質を看取したため、彼を殺し、彼の軍勢を率いて神日本磐余彦尊に帰順した、という。
この伝承では、饒速日命が東征終局の大和平定における重要な存在として描かれており、記述が簡素な『古事記』の伝承に比して、物部氏の始祖の勲功を語った氏族伝承としての色彩が濃厚である。そのため、『日本書紀』のこの内容は『古事記』よりも古く、物部氏が強大な勢力を誇った時期に成立した伝承が、あまり改変を加えられずそのまま採用されたものだと見る説がある。『日本書紀』の饒速日命伝承が成立した時期については、物部氏の勢力が伸長した継体~欽明期、物部守屋が滅ぼされた用明期以前、大伴氏との対抗が明確であった文武~元明期など諸説ある。『古事記』はその内容を大幅に簡略化した形をとったものとされ、そこから物部氏に対する編者の隔意を読み取る説もある。一方で、『古事記』の方が原型にあたり、『日本書紀』の記事は、それに物部氏を顕彰するための書き換えが加えられて新たに成立したものとみる説もある。
『先代旧事本紀』では、「天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊」という神名で登場するが、出自や事跡が記紀の天火明命と同一視され、天押穂耳尊の子で瓊々杵尊の兄に当たる神とされている。天孫降臨神話で、天つ神の命を受けて地上に天降りをする神として活動しており、命を下した天照太神・高皇産霊尊から「天璽瑞宝十種」を授かったのち、天磐船に乗って河内国の河上の哮峰に天降り、次いで倭国の鳥見の白庭山に遷った。その地上で長髄彦の妹の御炊屋姫を娶り懐妊させたあと亡くなった、という。亡くなったのが磐余彦尊の東征以前であるため、長髄彦の君主となりその誅殺を行った神は、子の宇摩志麻治命になっている。
この『先代旧事本紀』の記事は、記紀にも無い独自の内容を持ち、記紀以前の物部氏の本来の伝承を含んでいると捉える見方もあるが、記紀や『古語拾遺』を土台にしつつ新しく案出された要素が見出されることが論じられており、全体的には記紀以後に成立したとされる。神名の「天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊」について、天火明命を饒速日命に結合した名称だという指摘があり、天火明命が尾張氏の遠祖であることや邇々芸命の兄であることから、神名の結合は、6世紀以降の尾張氏と物部氏との緊密な関係のもとに成り立ったとする説や、物部氏の始祖が皇室の系譜に直結することを主張するために行ったとする説がある。
『日本書紀』や『先代旧事本紀』では、邇芸速日命は天皇の祖神より先に地上に降臨し、天皇に対抗しうる天孫の資格を持った神として描かれている。そのため、邇芸速日命伝承は、物部氏が天皇に先行する大和の支配者としてある時期まで天皇と敵対していた歴史の反映で、物部氏の出自が天皇に劣らないことを主張した伝承と解釈されることが多い。一方、飽くまで、天孫降臨神話に見られる諸氏族の始祖神の降臨と同じく、天皇家を助けるために降臨したことを物語った氏族伝承であるとして、天皇との結びつきを示すことで自氏の宮廷内の地位を高めるために成立したに過ぎず、歴史的事実の反映と見るべきではないとする批判もある。
参考文献
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松倉文比古「物部氏の祖先伝承について」(『国史学研究』3号、1977年12月)
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大林太良「饒速日の降臨神話と朝鮮の類例」(『東アジアの王権神話―日本・朝鮮・琉球―』弘文堂、1984年1月、初出1982年3月)
上田正昭「降臨伝承の考察」(『古代伝承史の研究』塙書房、1991年5月、初出1984年5月)
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工藤浩「ニギハヤヒ降臨伝承の形成」(『氏族伝承と律令祭儀の研究』新典社、2007年4月、初出1990年1月)
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大脇由紀子「神武東征物語の構想―「迩芸速日命」の系譜の物語的意義―」(『古事記説話形成の研究』おうふう、2004年1月、初出1996年3月)
工藤浩「ニギハヤヒ降臨伝承の方法と意義」(『氏族伝承と律令祭儀の研究』新典社、2007年4月、初出1997年3月)
志水義夫「『古事記』系譜の一考察―迩芸速日命と穂積臣―」(『古事記年報』41、1999年1月)
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工藤浩「古事記の物部氏への隔意について」(『國學院雜誌』112巻11号、2011年11月)
飯田勇「ニギハヤヒ神話―「天孫降臨神話」を構成する物部氏の物語―」(『人文学報』507号、2015年3月)
飯田勇「もうひとつの天孫降臨―ニギハヤヒ神話の真相」(『古代史研究の最前線 古事記』洋泉社、2015年5月)
飯泉健司「神武東征伝承に物部氏の祖神・ニギハヤヒが登場するのはなぜか?」(『古代史研究の最前線 日本書紀』洋泉社、2016年7月)
工藤浩「「天孫本紀」所載系譜をめぐって」(『先代旧事本紀論 史書・神道書の成立と受容』花鳥社、2019年8月)
鳴雷
庭高津日神
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