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奥津甲斐弁羅神

読み
おきつかひべらのかみ/おきつかいべらのかみ
ローマ字表記
Okitsukaiberanokami
別名
-
登場箇所
上・みそぎ
他の文献の登場箇所
旧 奥津甲斐弁羅神(陰陽本紀)
梗概
 伊耶那岐神が黄泉国から帰還して禊をする際に、身に着けたものを脱いで化成した十二神(衝立船戸神・道之長乳歯神・時量師神・和豆良比能宇斯能神・道俣神・奥疎神・奥津那芸佐毘古神・奥津甲斐弁羅神・辺疎神・辺津那芸佐毘古神・辺津甲斐弁羅神)の内、投げ捨てた左手の手纏から、奥疎神・奥津那芸佐毘古神と共に化成した神。
諸説
 伊耶那岐神の禊において、投げ捨てた左手の手纏からは「奥」を冠する三神が、右手の手纏からは「辺」を冠する三神が成った。「奥」は沖の意で、海辺を意味する「辺」に対するものと理解される。「甲斐弁羅」の意義は諸説ある。「甲斐」は「間・合(あひ)」「峡(かひ)」に通じて、同列の二神サカル・ナギサに対応して沖と渚の間の意とする説があるが、これに対して、単なる間の意でカヒと呼べるかを疑問とし、手巻の玉が海神に属し貝殻で作られるものであることから「貝」と取る説があり、「弁」は「那芸佐毘古神」の男であるのに対して女を暗示、「羅」は接尾語としている。これを否定する説では、上代特殊仮名遣いで「斐」字はヒ乙類の仮名であるが「合」「間」「峡」や「貝」はいずれもヒ甲類であるという指摘がある。また、上二段活用の「交ふ」という動詞を想定してその連用名詞形とみて、海と陸地が交叉している所、海岸線の意とする説もあり、「弁羅」は「縁(へり)」で境界の意味、陸(現し国)と海との境界を示しており、神名は、厄病神としてのこの神が他界への境界に到着したことを意味するとみる。
 同時に化生した十二神全体の意義としては、主な説として、(1)旅に関わる神々とする説、(2)黄泉国からの脱出に呼応する神々とする説、(3)邪悪なものを防塞し疫病を鎮める習俗の反映とする説、(4)禊ぎと関連して、流し遣った災厄や穢れ、あるいはそれを移した人形の神格化とする説、といったものがある。神話上の位置付けとして、この禊の段は、至高神天照大御神の出現の聖性の保証となる聖なる空間を作り出す叙述であり、これらの十二神もその役割を担ったものとする説がある。
 十二神のうち後半の手纒から成ったこれら六神の位置付けもその全体から把握される。(1)の説では、前半六神が陸路の神、後半六神を海路の神とする説があり、(4)の説では、後半六神が除去した穢れを最終的に海に捨て去ることを意味するものとする説がある。
 手纏から海の神が生まれたことについて、手纏は、真珠や貝殻で作るものであるから、海の連想を伴うためであるとか、原産地であるからなどと言われている。万葉集にも(15・3627)「玉の浦に 船を留めて 浜辺より 浦磯を見つつ …… 海神の 手巻の玉を 家づとに」と手纏が海神(わたつみ)にまつわるものとして詠まれている。
参考文献
倉野憲司『古事記全註釈 第二巻 上巻篇(上)』(三省堂、1974年8月)
西郷信綱『古事記注釈 第一巻(ちくま学芸文庫)』(筑摩書房、2005年4月、初出1975年1月)
『古事記(新潮日本古典集成)』(西宮一民校注、新潮社、1979年6月)
森重敏「阿波岐原―古事記上巻について(5)―」(『国語国文』44巻2号、1975年2月)
菅野雅雄「禊祓条の化生神」(『菅野雅雄著作集 第三巻 古事記論叢3 成立』おうふう、2004年5月、初出1975年3月)
井手至「古事記禊祓の神々」(『遊文録 説話民俗篇』和泉書院、2004年5月、初出1980年3月)
吉井巖「箇男三神について」(『天皇の系譜と神話 三』塙書房、1992年10月、初出1992年1月)
神野志隆光・山口佳紀「『古事記』注解の試み(七)―伊耶那岐命の禊祓―」(『論集上代文学 第二十一冊』笠間書院、1996年2月)
勝俣隆「伊邪那岐命の禊祓の段における時量師神の解釈について」(『古事記年報』39号、1997年1月)
吉野政治「禊ぎの前に化成する神々」(『古事記年報』42号、2000年1月)

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