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大直毘神

読み
おほなほびのかみ/おおなおびのかみ
ローマ字表記
Ōnaobinokami
別名
-
登場箇所
上・みそぎ
他の文献の登場箇所
紀 大直日神(五段一書六・十)
旧 大直日神(陰陽本紀)/大直日命(陰陽本紀)
祝 大直日命(大殿祭)
梗概
 伊耶那岐神の禊において、中の瀬ですすいだ時に成った、穢れによって生まれた二神に続き、その禍を直そうとして成った三神(神直毘神・大直毘神・伊豆能売)の第二。
諸説
 直毘神の名義は、「直」はマガ(曲・禍)に対するナホ(直)で、直すことを意味し、「毘」は神霊を意味するとされる。神名に冠する「大」は美称とされるが、神直毘神と大直毘神との具体的な違いは明らかでない。
 二柱の直毘神の神格については、『古事記』の本文に、八十禍津日神・大禍津日神の誕生につづいて、「次に、其の禍を直さむと為て成れる神」とあることから、禍あるいは悪いことを直す神とする説が一般的である。禍津日神を禍をもたらす神と解する説に準じて、それに対する直毘神を、福や善をもたらす神と解する説もあるが、積極的に福や善をもたらすような働きは古典の中には認められないという指摘がある。また、人間を裁く裁判の神と解し、禍津日神は警察官や検事に、直毘神は判事や弁護士に当たる働きをすると捉える説もある。
 大殿祭の祝詞に「言寿き鎮め奉る事の、漏れ落ちむ事をば、神直日命・大直日命聞き直し見直して」と見え、ここでの二神の働きは、祭りの中で、祝詞や幣物に疎漏があった場合に、それを聞き直し見直して正しく改める働きをしているとする説がある。また、御門祭の祝詞に「咎過ち在らむをば、神直び大直びに見直し聞き直し坐して」、遷却祟神の祝詞に「荒び給ひ健び給ふ事无くして、高天の原に始めし事を神ながらも知ろし食して、神直び大直びに直し給ひて」とあり、神直毘神・大直毘神との関わりを想起させる表現が見え、「直す」の修辞として、直毘神の神名を借りた比喩的な表現とも考えられる。
 大直毘神は、宮中の十一月の鎮魂祭(『延喜式』四時祭下)において「大直神一座」として、御巫の祭る八神とともに祭られている。これを、使い古した魂の力を元に戻す働きによるものと解する説がある。
 『古今和歌集』の大歌所御歌(20・1069番)に「おほなほびの歌」として「新しき年の始めにかくしこそ千年をかねてたのしきを積め」とあり、『琴歌譜』にも「大直備歌」がある。「おほなほびの歌」の意味については諸説あり、大直毘神を祭るときの歌とも、神事後の直会の歌ともいい、定かでない。直会の歌ととり、直会の意義を、祭りの状態から解斎して平常に戻るための切り替えの宴と解して、その元に戻る切り替えの力が「直毘」であるとする説がある。神楽歌にも「皆人のしでは栄ゆる大直毘(おほなほみ)いざ我がともに神の坂まで」という歌がある。
参考文献
倉野憲司『古事記全註釈 第二巻 上巻篇(上)』(三省堂、1974年8月)
西郷信綱『古事記注釈 第一巻(ちくま学芸文庫)』(筑摩書房、2005年4月、初出1975年1月)
『古事記(新潮日本古典集成)』(西宮一民校注、新潮社、1979年6月)
神野志隆光・山口佳紀「『古事記』注解の試み(七)―伊耶那岐命の禊祓―」(『論集上代文学 第二十一冊』笠間書院、1996年2月)
次田潤『祝詞新講』(明治書院、1927年7月)
折口信夫「道徳の発生」(『折口信夫全集17』中央公論社、1996年8月、初出1949年4月)
西田長男「神の堕獄の物語」(『古代文学の周辺』南雲堂桜楓社、1964年12月)
西田長男「裁判の神としての直毘・禍津日の二神」(『國學院法學』5巻2号、1967年10月)
土屋好重「直毘の神々を対象とする崇敬」(『神道宗教』87号、1977年8月)
青木紀元『祝詞全評釈』(右文書院、2000年6月)
山口苑子「『琴歌譜』十一月節歌謡の曲名と構成」(『日本歌謡研究』56号、2016年12月)

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