國學院大学 「古典文化学」事業
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大野手比売
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大野手比売
読み
おほのてひめ/おおのてひめ
ローマ字表記
Ōnotehime
別名
小豆島
登場箇所
上・国生み神生み
他の文献の登場箇所
旧 大野手比売(陰陽本紀)
梗概
伊耶那岐・伊耶那美二神の国生みにおいて、大八島国に付随して生んだ六島のうちの、小豆島の別名。原文は「手」の字の下に「上」の声注がある。
諸説
小豆島(あづきしま)は、今の香川県小豆島(しょうどしま)に比定される。『続日本紀』延暦三年十月庚午条に「備前国児嶋郡小豆嶋」と見える。『和名類聚抄』の郷名には見えないが、平城宮木簡にも「備前国児嶋郡小豆郷」の調の貢進荷札が見えて、古代は備前国児嶋郡に属していて、中世には讃岐領に移行したされる。また、応神紀・二十二年四月条に応神天皇の「淡路島 いや二並び 小豆島 いや二並び 宜しき島々……」(紀・40)の歌があり、天皇は淡路から吉備に出て小豆島に遊猟している。
小豆島は、当時島であった児島半島(岡山県)の東に位置するが、『古事記』の国生みが東から西に進んでいるのに、小豆島はその西に位置する吉備児島(児島半島)の次に登場していて、地理的に逆行している所が問題になる。これについて、古代は小豆島は児島郡に属していたから児島を先に挙げたとする説や、児島は激しい東南風に見舞われる位置にあったので、瀬戸内海航路において正式な寄港地は児島であったが、小豆島はその予備港に当たっていたということの反映ではないかとする説がある。
大野手比売の名義については、未詳とされることが多いが、「野手(ので)」を「鐸(ぬで)」と見る説や、「苗手(なえで)」の転として、昔から神聖視されている稲の苗を束ねる藁のことと見て、「大」は美称と取り、早苗取る早少女の意として、吉備児島と小豆島と名称のつながりにも寄せて、黍・小豆・稲と禾穀に関係する名ではないかとする説、また、「手」を地形・方向・側面を表わす接尾語として、小豆島の地形による命名と見て、大きな野の地形を持つ女性の意とする説、小豆が野に生ずるという程度の連想によるものかとする説がある。
神名の「手」字に附された上声の声注は、語調の変化によって意味の切れ目を示す働きがあるとされ、「大野手比売」の語構成は「大野、手比売」と解することが出来るが、その名義はやはり明らかにしがたい。
参考文献
倉野憲司『古事記全註釈 第二巻 上巻篇(上)』(三省堂、1974年8月)
西郷信綱『古事記注釈 第一巻(ちくま学芸文庫)』(筑摩書房、2005年4月、初出1975年1月)
『古事記(新潮日本古典集成)』(西宮一民校注、新潮社、1979年6月)
松村武雄『日本神話の研究 第二巻』(培風館、1955年1月)第三章
小松英雄『国語史学基礎論(2006簡装版)』(笠間書院、2006年11月、1973年1月初版)第4章
荻原千鶴「大八嶋生み神話の〈景行朝志向〉」(『日本古代の神話と文学』塙書房、1998年1月、初出1977年3月)
荻原千鶴「六嶋生み神話の形成と遣唐使」(『日本古代の神話と文学』塙書房、1998年1月、初出1977年8月)
『続日本紀 五(新日本古典文学大系)』(青木和夫 他 校注、岩波書店、1998年2月)
大直毘神
大戸比売神
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