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下光比売命

読み
したでるひめのみこと
ローマ字表記
Shitaderuhimenomikoto
別名
下照比売
高比売命
登場箇所
上・大国主神の系譜
上・天若日子の派遣
他の文献の登場箇所
紀 下照姫(九段本書)/下照媛(九段一書一)
先 下照姫(天神本紀)/下照姫命(地祇本紀)
梗概
 高比売命の別名。「下照比売」の名で、高天原から派遣された天若日子に娶られた。また、天若日子が返し矢に中って死んだ時、泣き声が天まで届き、それを聞いた天若日子の父とその妻子が地上に降ってきて葬儀を為した。
諸説
 「シタテル」は、あたり一面照り輝くばかり美しいという意とされる。これは『万葉集』に、「橘の 下照る庭に 殿建てて 酒みづきいます わが大君かも」(18・4059)、「春の苑 紅にほふ 桃の花 下照る道に 出で立つ娘子」(19・4139)などの例からの指摘である。また、「下」は赤で、赤く輝く意ともいう。このほか、「シタテル」は衣通王の「ソトホシ」と同じく、本来は女性の美しさを称えた普通名詞であるという指摘もある。
 須佐之男命の系譜に、「大国主神、胸形の奥津宮に坐す神、多紀理毘売命を娶して生める子は、阿遅鉏高日子根神。次に妹高比売命。亦の名は下光比売命」 とあるが、天若日子神話では「下照比売」と書かれている。その神話で「亦の名」の方を出したのは、美女であることを印象づけようとしたためという説がある。また、神話では天若日子が下照比売との結婚で葦原中国を得ようと企てていること、天若日子が太陽の祀を司る巫たる性質をもつ神と捉えられることから、下照比売を天照大御神の競争者とみる説もある。このほか、天若日子神話では阿遅鉏高日子根神の位置づけを語るために登場していると捉える説もある。
 『日本書紀』では、「顕国玉の女子下照姫」といい、さらに「亦の名は高姫、亦の名は稚国玉」と注記している。顕国玉(記では宇都志国玉神)は大国主神の亦の名である。『日本書紀』第九段・一書第一には「天さかる」の歌が記されているが、その歌の「石川」という語句および阿遅鉏高日子根神を雷神と捉えることから、本来は水辺の行事に際し、男女相向かい、歌垣のような真似をしたときの歌であったという説もある。また、高比売命(下照比売)が阿遅鉏高日子根神の名を歌うことは、重大な霊魂更新の祭儀に聖なる女性が関与していたことに対応すると解されてもいる。なお、中世頃まで時代が降ると、下照比売が詠んだ歌の「弟棚機」という詞章を七夕二星と結びつける例(文献)が多く、中世の知識階層の人々にとっては、天若日子・下照比売とその歌が一つの連関の中で捉えられ、下照比売を織女星と結びつける場合が多いという。
 『延喜式』四時祭・下に「下照比売社一座或号比売許曽社」、同・臨時祭に「比売許曽神社一座亦号下照比売」と記述されており、二神は同一視されている。比売許曽神は『古事記』では阿加流比売神と記され、天之日矛の妻であったが、傲慢になった夫に罵られたために日本に逃げ渡ってきて比売許曽神社に鎮座した神である。この比売許曽神を太陽神の妻と捉えることおよび別名から、下照比売の名の意と通じるものがあるとも解されている。
 その他、「高比売命」の項も参照。
参考文献
西郷信綱『古事記注釈 第三巻(ちくま学芸文庫)』(筑摩書房、2005年8月、初出1976年4月)
倉野憲司『古事記全註釈 第四巻 上巻篇(下)』(三省堂、1977年2月)
『古事記(日本思想大系)』(青木和夫・石母田正・小林芳規・佐伯有清校注、岩波書店、1982年2月)
松本信広『日本神話の研究』(東洋文庫、平凡社、1971年2月)
山路平四郎『記紀歌謡評釈』(東京堂出版、1973年9月)
吉井巌「天若日子の伝承について」(『天皇の系譜と神話 二』塙書房、1976年6月)
熊谷春樹「葬礼と挽歌―天若日子葬儀と夷曲―」(『国学院雑誌』77-7号、1976年7月)
烏谷知子「喪山」(『上代文学の伝承と表現』おうふう、2016年6月、初出1985年1月)
出雲朝子「『天稚彦物語』と七夕二星」(『青山學院女子短期大學紀要』42、1988年11月)
松本直樹「迦毛大御神アヂスキタカヒコネ―古事記出雲神話の構想」(『国語と国文学』85巻3号、2008年3月)
岸根敏幸「古事記神話におけるアヂスキタカヒコネの位置づけ」(『福岡大学人文論叢』53,2021年12月)

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