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高御産巣日神

読み
たかみむすひのかみ
ローマ字表記
Takamimusuhinokami
別名
高木神
登場箇所
上・初発の神々
上・天の石屋
上・葦原中国の平定
上・天若日子の派遣
上・建御雷神の派遣
上・天孫降臨
神武記・熊野の高倉下
神武記・八咫烏の先導
他の文献の登場箇所
紀 高皇産霊尊(一段一書四、八段一書六、九段本書・一書二・四・六・七・八、神武前紀、神武前紀戊午年九月)/高皇産霊(七段一書一、顕宗紀三年四月)
山背風 天照高弥牟須比命(逸文)
拾 高皇産霊神(天中の三神と氏祖系譜、日神の石窟幽居、吾勝尊)/高皇産霊尊(大己貴神、吾勝尊、天祖の神勅)/高皇産霊(神籬を建て神々を祭る)/神留伎命(天中の三神と氏祖系譜)
旧 高皇産霊尊(神代系紀、神祇本紀、天神本紀、地祇本紀、天孫本紀、皇孫本紀、国造本紀)/高魂尊(神代系紀、国造本紀)/高木命(神代系紀)/高皇産霊(天皇本紀)
祝 高御魂(祈年祭、六月月次、出雲国造神賀詞)
姓 高皇産霊尊(左京神別中、右京神別上)/高魂命(左京神別中、左京神別下、右京神別上、摂津国神別、河内国神別、和泉国神別)/高御魂命(左京神別中、大和国神別)/高御牟須比乃命(右京神別上)/高媚牟須比命(右京神別下)/天高御魂乃命(河内国神別)/高彌牟須比命(未定雑姓・大和国)
神名式 高御産日神(宮中神御巫祭神)/羽束師坐高御産日神社(山城国乙訓郡)/宇奈太理坐高御魂神社(大和国添上郡)/目原坐高御魂神社(大和国十市郡)/高御魂神社(対馬国下県郡)
梗概
 天地初発の時に、高天原に出現した別天神の第二。独神となって身を隠した。天之御中主神・高御産巣日神と合わせて「造化三神」とも称される。子に思金神、万幡豊秋津師比売命がいる。
 天つ神の葦原中国平定の際には、天照大御神と共に、神々に派遣を司令した。なお、天若日子の派遣の段以降、この神は高木神という別名で呼ばれるようになる。
 神武東征では、天皇を助けるため、天照大御神と共に熊野の高倉下の夢に現れて、建御雷神の提案によって横刀を高倉下に授けたり、進軍の先導役として天から八咫烏を遣わした。
諸説
 「産巣日」は、ムスヒと読む。ヒを濁音に、ムスビと読んで、結ぶ意に解する説が古くからあるが、現在は『日本書紀』の万葉仮名の清濁の検討により、このヒは清音とするのが定説になっている。
 ムスヒの表記は「産巣日」(古事記)の他に「産霊」(日本書紀)、「魂」(出雲国風土記・新撰姓氏録など)などとも書かれる。『日本書紀』の「産霊」という表記は実際の名義を反映していると考えられ、ムスヒの神は一般に生産・生成にまつわる神と解されている。特に『古事記』で天地初発の神である高御産巣日神・神産巣日神は、万物を生成する神と解されることが多い。この二神は、『古事記』において表立った活動を見せていないが、神や人(天皇)に対して、天上から援助をしたり指示を与えるという働きが共通しており、二神には司令神の性格があるとされている。
 ムスヒの語源については、生産・生成を意味するムスフという一語の動詞があったと考え、それが名詞になったものとする説と、ムスとヒの二語から成り立ったものとする説とがある。後者は、ムスを、ムスコ・ムスメ・苔ムスなどと同様の、発生・生産を意味する動詞とし、ヒを霊力の意とするが、ムスという動詞についても見解が分かれる。ムスを自動詞と解して、この神を、万物が自ら生じる生成力の神格化と捉える説と、他動詞と解して、万物を生成する働きをする神と捉える説がある。また、ムスを、穀物を炊く意味のウムスの約と解して、その神格を竈神ととり、ムスヒを中国の司命神(寿命を司る神)に相当する神と捉える説もある。ヒを日、すなわち太陽神の称と取り、元は太陽神であったのが生産の神へと変貌したとする説もある。
 ヒを濁音とし、ムスビと読んだ場合は、結ぶ・結合・和合などの意味に解し、物を結び合せて生成する神とする説や、神の形体に霊魂を結合させて活力を発揮する働きの神とする説などがある。現在では、ヒを清音とするのが定説になっているため、こうした「結び」の神とする解釈には否定的な見解が多い。一方、鎮火祭の祝詞では、『日本書紀』の「火産霊(ほむすひ)」が「火結(ほむすび)神」と表記されていることから、祝詞がこの形で筆記された平安時代には、ムスヒがムスビとも読まれ、「魂結び」(鎮魂)の神とも捉えられるようになったと見る説がある。また、『出雲国風土記』などでムスヒが「魂」と表記されることについて、背景に「魂結び」の信仰を想定して、この字をムスビと読み、魂を物体につなぎ止める「結び」の神としての性格が既に上代にあったとみる説もある。なお、後世には「むすぶの神」とも呼ばれ、出産の神と解された例も見える(藤原清輔『奥義抄』平安後期)。
 高御産巣日神と神産巣日神の神話中の位置づけについては、二神を、天地の始発における根源的な生成のエネルギーと捉え、高御産巣日神は高天原に、神産巣日神は葦原中国に働き続けることで、あわせて神代全体の展開が実現していくという、世界の形成の原動力の役割を担っていると捉える説がある。
 また、この二神は、宮中の御巫の祭る神八座にも含まれている(『延喜式』神名帳)。その八神とは、神産日神・高御産日神・玉積産日神・生産日神・足産日神・大宮売神・御食津神・事代主神で、うち五神がムスヒの名を有する。祈年祭や月次祭では幣帛が奉られ、その際の祝詞には、八神に対して天皇の治世の守護が祈願されている。また、『延喜式』四時祭下所載の十一月の鎮魂祭においても、この八神が大直神とともに祭られている。この八神奉斎の由来について、斎部氏の伝承を記した『古語拾遺』では、神武天皇の時代に、皇天二祖(天照大神と高皇産霊尊)の詔により神籬を立てて、この八神を初めとする諸々の宮中神が祭られたとする伝えが記されている。記紀からは、ムスヒは生成・生産にまつわる神格と捉えられる一方、これらの祭祀からは、霊魂や鎮魂にまつわる神格もうかがうことができる。
 高御産巣日神や神産巣日神を祖神とする氏族も甚だ多く、この神々に対する実際の信仰が広かったことが知られる。そこから、この二神を、各地方のムスヒ神、すなわち物の生成の霊力に対する信仰が、中央で集約・統合された存在と解する説もある。
 高御産巣日神の神名について、「高御」は、高く(タカ)神聖なこと(ミ)の意とする説や、高い状態になる意味の「たかむ」という四段活用動詞の連用形「たかみ」とする説がある。また、「高御座(たかみくら)」のように皇室に関わる最高級の美称と捉える説もある。
 この神の基本的な性格は、ひとつには、『古事記』や『日本書紀』の第一段一書四「又云」の伝で天地の始まりに出現した、原初の神としての位置付けが挙げられる。あるいは、ムスヒ二神の万物生成の働きから創造神と捉える見方も強い。『日本書紀』のその他の伝では、天地の始まりには登場せず、原初の神としての描写は乏しいが、顕宗紀三年二月条・四月条では、この神が壱岐・対馬の「月神」や「日神」の祖で「天地を鎔造せる功」があったと称されており、独特の鍛冶の表象を伴った創造神の性格も看取できる。
 天上世界の主宰神ないし司令神としての性格もある。『古事記』では、葦原中国の平定の段以降、高御産巣日神が天照大御神と一緒になって、天つ神や天皇に対して司令を授け、国土の平定を助ける働きをする。なお、天若日子の反逆の場面以降「高木神」という呼称に変わるが、この別名は他の文献には出てこず、『古事記』独自の立場からの呼称と考えられる(「高木神」の項も参照)。『出雲国造神賀詞』にも「高天の神王(かむみおや)高御魂・神魂命」と、高御産巣日神と並んで、天上の支配者として讃えられた表現が見える。同じく天上の主宰神の性格を持つ、天照大御神との関係については、以下のように、皇祖神の変化の問題として議論が交わされている。
 高御産巣日神の出自について、この神は本来、皇室の祖先神(皇祖神)であったとする論が盛んである。古来、一般には皇祖神は天照大御神とされているが、近年では、天照大御神が皇祖神として祭られるようになるのは律令国家形成期の七世紀末から八世紀初頭の頃で、それ以前は、高御産巣日神がその地位にあつた、とする見方を支持する研究が多い。
 天孫降臨神話において、天孫に天降りを命じた司令神は、『古事記』では天照大御神と高御産巣日神の二神となっているが、『日本書紀』九段の五種類の伝で司令神は少しずつ異なる。それを大きくわけると、司令神を高御産巣日神(高皇産霊尊)単独とするタカミムスヒ系の伝(本書、一書四、一書六)、天照大御神(天照大神)単独とするアマテラス系の伝(一書一)、及び、高御産巣日神と天照大御神とする伝(一書二)、に分類できる。その内のアマテラス系は、タカミムスヒ系に比して新しい要素が含まれていることや、タカミムスヒ系の内容を包含するような形で形成されていることが指摘されている。したがって、アマテラス系の伝はタカミムスヒ系の伝よりも後に出来たとされ、司令神に立てられた神は、高御産巣日神から天照大御神へと変化したと考えられる。『古事記』を含む、二神が司令神になっている伝については、両者の間の過渡的な形態の神話とする説と、『日本書紀』の両方の系統を統合して作られた神話とする説とがある。
 以上のような司令神の変化の形跡に基づき、天孫に司令を下す神がすなわち皇祖神であるとして、天照大御神以前は高御産巣日神が皇祖神であったと考えられている。
 司令神・皇祖神が変化した理由や契機については諸説あるが、統一的な律令国家を築く過程で、天武天皇の意図の元に皇祖神の変更がなされたという見方が優勢である。その意図としては、高御産巣日神を天皇家と共通の祖神としていた伴造氏族たちとの系譜的関係を断ち切って、天皇の地位の尊厳を明確にするために、天皇家独自の守護神であった大日孁貴(天照大御神)に皇祖神を変更したとする説や、天皇家や特定の氏族だけが祖神としていた高御産巣日神ではなく、古来、土着の太陽神として地方の豪族間で共有されていた天照大御神を中心に据えることで、新しい国家建設における統一の象徴としたとする説などがある。天照大御神が皇祖神の地位に上がった時期について、『日本書紀』の成立過程の分析によって、文武朝以降のこととする説がある。
 一方で、高御産巣日神は皇祖神ではなく、王権を構成する諸氏族全体の守護神であったとし、天孫降臨神話のアマテラス系は、タカミムスヒ系の要素を包含する以前は、それとは別個の神話であり、本来は石屋戸神話と一連の、皇祖神・天照大御神の誕生を語った王家の神話であったとする説もある。
 この神の信仰の起源については、古く弥生時代から信仰されてきた土着の農耕神とする説や、北方アルタイ・ツングース系民族固有の天の至高神の系譜を引く神で、四、五世紀頃、天孫降臨神話とともに朝鮮半島から日本に受容された比較的新しい神とする説がある。
 北方系の天の至高神とみる説では、古く、東北アジア地域や朝鮮半島の諸国において、太陽神である天の至高神の子の天降りによる建国が語られていたことや、日本の天孫降臨神話のモチーフや神名に、朝鮮半島の神話と共通する部分が多くみられることから、当時の日本がその神話を受容したとする。高御産巣日神には、太陽神の神格や、天と日月とを結びつける思想、鍛冶の要素(顕宗紀)といった、北方系の天の至高神の特徴が見出されることが指摘されている。
参考文献
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