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建日向日豊久士比泥別

読み
たけひむかひとよくじひねわけ
ローマ字表記
Takehimukahitoyokujihinewake
別名
-
登場箇所
上・国生み神生み
他の文献の登場箇所
旧 建日別(陰陽本紀)
梗概
 伊耶那岐神・伊耶那美神が生んだ大八島国の第四の島、筑紫島は、身一つに面が四つあり、その四つのうち、筑紫国を白日別といい、豊国を豊日別といい、肥国を建日向日豊久士比泥別といい、熊曾国を建日別という。
諸説
 肥国は、肥前国と肥後国に当たり、七世紀末頃に二国に分けられた。「火国」とも書き、火にまつわる国名の起源を語った説話が『日本書紀』景行紀(十八年五月壬辰朔)や『肥前国風土記』、『肥後国風土記』(逸文)に載る。肥前国と肥後国とは、筑後国を挟んで隔たった地理関係にあるが、両地が海上を通じて近い関係を結んでいたものとする説や、肥国とは元来肥後国だけを指していたもので、肥前国はもと筑紫国に属し、後に肥国に入れられたものとする説がある。
 筑紫島のうち、この神名だけ異様に長いことが問題に挙げられ、これが『古事記』の原形か、伝写上の誤りに由来するものかが議論されている。筑紫島の四つの国の中に、聖地であるはずの日向国が含まれていない問題とも関連づけて論じられていて、この神名を原形ととる立場からは、神名の「建日向日」を日向国に関係する語と考え、この国生み神話が、筑紫島の国の数を四つと限定したことで日向国を立てることが出来なくなったため、肥国にそれを含ませる形で、「日向」を想起させる長い名前がつけられたとする説がある。
 『先代旧事本紀』陰陽本紀の相当する箇所には「肥国、謂“建日別”。日向国、謂“豊久士比泥別”」とあるが、『古事記』の記述に日向国が無いことを不審としたゆえの改変と考えられることが多い。一方、『古事記』の原形も『先代旧事本紀』と同様に、本文あるいは傍注に日向国を含む形であったと考え、それが後に転訛して現行の本文が成立したと想定する説がある。また、『古事記』撰述の元になった原資料にまでさかのぼって考え、元来含まれていた日向国が、既に原資料の段階で誤写によって消滅し、更にその欠を補う操作が行われた結果、現行の四箇国の形で『古事記』の本文が成立したとする説もある。なお、記紀神話中の天孫降臨の地である「日向」が、特定の国名や地名であるか、美称としての神話的な用語であるかについては議論があり、当初は特定の国名ではなかったとする立場からは、国生み神話で筑紫島に日向国が含まれないことを不審とする見方をしりぞける意見もある。
 建日向日豊久士比泥別の名義は、「建」は勇猛の意、「日向日」は「日向ひ」で太陽に向かう、「豊」は豊か、「久士比」は「奇し霊」、「泥」は親愛の意の接尾語と取って、神名を、勇ましく太陽に向かい豊かに霊異あるものの意とする説がある。また、神名の後半部分「豊久士比泥別」を日向国の名とする立場では、「久士比」を、天孫降臨の地「竺紫の日向の高千穂の久士布流多気(くじふるたけ)」、及び『日本書紀』の「筑紫の日向の高千穂の槵触峰(くしふるのたけ)」(九段一書一)、「日向の槵日(くしひ)の高千穂峰」(九段一書二)と同義あるいは関係する語と捉える見方がされていて、その解釈には、霊異を表すクシフという上二段活用の動詞が「久士布流」「槵日」という高千穂の峰の別称となり、その山名の前後に称辞が付いて神名になったとする説がある。
 「別」という称号は古代の人名に見られ、岐美二神の生んだ島やその国の名前にワケ・ヒコ・ヒメとつくのは擬人的な命名であると論じられている。国生みの伝承の中で、島や国に擬人名を持つ『古事記』の伝承は天武天皇朝以後の新しい形態であると論じられているが、「別」のつく神名の成立については、歴史上の「別」の性格とからめて論じられており、大化改新前後までに形成されていた皇子分封の思想、すなわち、『古事記』『日本書紀』で景行天皇が諸皇子に諸国郡を封じたのが「別」の起こりとしているように、「別」が天皇や皇子の国土統治を象徴するようになっていたことに基づく命名で、七世紀以後にできたものとする説がある。一方、大化以前の実在の姓や尊称という見方を否定し、ワクという分治の意味の動詞から発して、天皇統治の発展段階にふさわしい称号として採用、ないし創作されて伝承上の神名や人名に対して附加されたものと見なし、『古事記』の編集理念に基づいた称号体系の一環と考える説もある。
参考文献
倉野憲司『古事記全註釈 第二巻 上巻篇(上)』(三省堂、1974年8月)
西郷信綱『古事記注釈 第一巻(ちくま学芸文庫)』(筑摩書房、2005年4月、初出1975年1月)
『古事記(新潮日本古典集成)』(西宮一民校注、新潮社、1979年6月)
佐伯有清「日本古代の別(和気)とその実態」(『日本古代の政治と社会』吉川弘文館、1970年5月、初出1962年1~3月)
川副武胤「「日子」(二)「国」「倭」「別」の用法」(『古事記の研究』至文堂、1967年12月)倉野憲司「筑紫・熊襲・日向」(『稽古照今』桜楓社、1974年10月、初出1972年5月)
西宮一民「古事記行文注釈二題―「禊祓」条と「天孫降臨」段―」(『倉野憲司先生古稀記念 古代文学論集』桜楓社、1974年9月)
青木紀元「日本神話における日向」(『高天原神話(講座日本の神話4)』有精堂、1976年11月)
荻原千鶴「大八嶋生み神話の〈景行朝志向〉」(『日本古代の神話と文学』塙書房、1998年1月、初出1977年3月)
小島瓔禮「日向の高千穂の峰―神話本文の次元の解釈―」(『國學院雜誌』92巻1号、1991年1月)
菅野雅雄「古事記神話に於ける「日向」の意義」(『古事記の神話(古事記研究大系4)』高科書店、1993年6月)

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