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豊雲野神

読み
とよくもののかみ
ローマ字表記
Toyokumononokami
別名
-
登場箇所
上・初発の神々
他の文献の登場箇所
紀 豊斟渟尊(一段本書)/豊国主尊(一段一書一)/豊組野尊(一段一書一)/豊香節野尊(一段一書一)/浮経野豊買尊(一段一書一)/豊国野尊(一段一書一)/豊齧野尊(一段一書一)/葉木国野尊(一段一書一)/見野尊(一段一書一)
旧 豊国主尊(神代系紀)/豊斟渟尊(神代系紀)/豊香節野豊尊(神代系紀)/浮經野豊買尊(神代系紀)/豊歯尊(神代系紀)
梗概
 神世七代の第二代の神で、独神(ひとりがみ)となって身を隠した。原文は「雲」の字の下に「上」の声注がある。
諸説
 神名について、「雲」につけられた「上」の声注は、固有名詞としての語調の転換を表示することでその語構成を示す働きがあると論じられている。従って、その語構成は「豊雲、野」でなく「豊、雲野」で、「雲野」が中核となって「豊」がそれを修飾する名前であると考えられている。「豊」は、美称、あるいは豊かさを意味する語などとする説があり、「雲野」は、重点を「雲」に置くか「野」に置くかで解釈の方向性が分かれている。「野」を重視する解釈としては、雲の広がる原野の意で、原野の形成の神格化とする説や、雲気の湧き漂う生気に満ちた始原の原野の神格化とする説があり、「雲」を重視する解釈としては、雲は渾沌として浮動するものの謂いで、野はその広がる様を言うとする説や、この神以下に続く神々の生成の場の渾沌とした状態を気体と見なした表現で、渾沌から物事の始動することを予告しているとし、天と国との間の虚空の空間を雲になぞらえて具象的に表したものとする説がある。
 この神の神世七代における位置付けは、特に、国土の土台の形成の神とする国之常立神からの繋がりが考察されており、「野」の性格を重視する解釈では、国土の形成過程における原野・土地の成立という理解がなされている。一方、「雲」の性格を重視する解釈では、国土あるいは神々が生成される土台の渾沌とした状態であるとする理解がなされており、また、天と国との間の空間の存在をこの神によって表すことで、皇室の権威の淵源たる、神聖な天上の隔絶性を示そうとする『古事記』の構想が反映されているという説がある。
 なお、神名表記が正字であるか借字であるかには問題が残っており、『日本書紀』中に併記されたこの神の八つの名称(上記「他の文献の登場箇所」参照)には、「雲」の字を含んだ例は一つも無く、『古事記』の「雲」も借字の疑いがある。これらの神名中には、「野」の字を含んだ例が多いので、それに基づいて、この神の基本的な性格を野の神とする考えもある。また、最も多く共通する「豊」の字が神名の原形を示している可能性も指摘されている。これらの神名には音変化として説明できるものが多いが、いずれが原形でいずれが転訛したものと定めるのは容易ではない。また、中には文字化された表記の誤読などによって生じた転訛と疑われるものもあり、いずれにせよこれらの神名の関係性は明らかにしがたい点が多い。
 また、この神は「独神成坐而隠身也(ひとりがみとなりまして、みをかくしき)」とも記されている。「独神」は、神世七代で出現する男女の対偶神に対する単独の神と解される。「隠身」の意味は明確でなく、「隠(かく)り身」という読み方も考えられている。「隠身」の解釈には、身体を持たない抽象神のこととする説があるが、中には身体を持つ描写のある「隠身」の神もいることから批判もある。また、神々の顕現する世界から幽界に退場することを表すとして、顕界の神々に対してその権威を譲渡し、姿を見せずに司令や託宣などの形で関わるようになることをいうとする説があり、「隠身」という記述には、天地の始まりの神々の権威を抑えることで、天照大御神の権威の絶対性を確保する意図があるという。また、「身」は生むことに関連すると捉え、身体を備えた岐美二神が、男女の身体を使って国や神を生む行為をするのに対して、「隠身」の神は、みずからの身をもって行動しない存在として位置付けられるという説がある。
参考文献
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中村啓信「神代紀一書をどう見るか―神世七代章をめぐって―」(『國文學 解釈と教材の研究』29巻11号、1984年9月)
金井清一「身を隠したまふ神」(『古典と現代』53号、1985年9月)
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岸根敏幸「『古事記』神話と『日本書紀』神話の比較研究―特に別天つ神、神世七代、および、国生みをめぐって―」(『福岡大学人文論叢』44巻4号、2013年3月)

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