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豊玉毘売

読み
とよたまびめ
ローマ字表記
Toyotamabime
別名
豊玉毘売命
登場箇所
上・海神の国訪問
上・鵜葺草葺不合命の誕生
他の文献の登場箇所
紀 豊玉姫(十段本書・一書一・二・三・四)
拾 豊玉姫命(彦火尊と彦瀲尊)
旧 豊玉姫(皇孫本紀)
山背風 和多都弥豊玉比売命(逸文)
神名式 和多津美豊玉比売神社(阿波国名方郡)/天石別豊玉比売神社(阿波国名方郡)
梗概
 海神の娘。火遠理命と結婚して、神武天皇の父となる鵜葺草葺不合命を生む。
 海神の宮にやってきた火遠理命と結婚した豊玉毘売命は、御子を出産するため地上へ行ったが、完成前の産殿で出産した。元の姿に戻って産むので見ないようにと伝えたにもかかわらず、火遠理命は出産の様子を覗き、八尋和邇の姿になった豊玉毘売命を見て逃げ去った。出産後は海と陸とを行き来して御子を育てようと考えていた豊玉毘売命だが、本来の姿を見られたことを恥じて海坂(海神の国と現し国の境)を往来ができないように塞ぎ、海の世界に帰ってしまった。しかし、恨みながらも火遠理命を恋しく思った豊玉毘売命は、御子である鵜葺草葺不合命の養育のために妹の玉依毘売命を送り、それに託して火遠理命に歌を贈った。
諸説
 神名の意味は、妹の名が玉依毘売であることもあって、「豊」は美称、「玉」は魂で、神霊の依り付く乙女の意、あるいは「玉」は海神の神宝である真珠をさすとして、多くの真珠によって容儀せられた神聖な巫女の意とされている。また、『日本書紀』や「風土記」に集録されている、「ワニ」が登場する神話の解釈から、真珠だけでなくヒスイなどの石製の玉をも含めるとする主張もある。あるいは、顔が美しいのを称えた名とする説もある。
 火遠理命が産屋を覗く場面から二神の離別までのくだりは、世界に広く存在する「メルシナ型」の異類女房譚の一類型とみる説が有力である。いわゆる「見るなの禁」をおかして妻の浴室を覗いてしまったところ妻が蛇の姿になっていた、男がタブーを犯してしまったために女は原郷に去ってしまう。残された子は子孫を産んで栄える、といったもので、豊玉毘売の出産譚もこの話形を踏まえて語られたと考えられている。
 また、元来の海幸山幸神話には豊玉毘売との婚姻譚は含まれていなかったが、後にメルシナ型のモチーフを踏襲した神話が挿入されたとする考え方もある。これは、本来なら、山幸彦と玉依毘売とが対応していたところに豊玉毘売-鵜葺草葺不合という系譜を挿入するなど、皇統の系譜要素を含ませるために、記紀編纂者によってさまざまな作意が加えられたとされる。
 出産を覗くという「禁忌」を説明する上でも様々な解釈がある。産屋など出産に関わるものは穢れであるという感情が元々日本にあったとして、離別の動機を触穢によって説明するものや、対して、出産という命懸けの行為を覗くことは、産婦と新生児を物理的・宗教的・霊的に保護するという観点から「禁忌」であったとする説もある。
 出産時の姿について、『古事記』では「八尋和邇」、『日本書紀』一書一では「八尋大熊鰐(やひろくまわに)」、一書三では「八尋大鰐(やひろわに)」と書かれているが、『日本書紀』本書では竜の姿になっていたと記されている。竜は大陸の影響であるといわれているが、「和邇」については、爬虫類のワニは日本に生息していないため、鮫のこととするのが今日の定説である。「和邇」についての論は、別項「佐比持神」を参照されたい。
 「和邇」の姿になって匍匐したという記述は、豊玉毘売が、わが国で一般的な分娩方法であった蹲踞式ではなく、異国式に横臥して出産したのを、異様な出産の様子として形容したとする説もある。また、ある人間集団が特定の種の動植物あるいは他の事物と特殊な関係をもっているとする信仰、制度であるトーテミズムの理論から、豊玉毘売は族霊(トーテム)である鰐の形を真似て分娩したのであり、異なるトーテムを信奉する夫が出産儀礼を覗き見ることはタブーとされ、それを破った制裁として夫婦関係が破棄されたとする説がある。それに対して、この類型の説話は厳密なトーテミズムではなく、むしろオリエント発祥のトーテム近似の水霊信仰、すなわち竜蛇の化身と王権や英雄との婚姻の物語を母胎としているとする説もある。いっぽうで、当時の日本にトーテミズムに該当する組織があったか疑問であるとして、単に説話の形式を踏襲しただけとする考えも存在する。
 火遠理命がタブーを犯したために、豊玉毘売は海神の国と現し国の境である海坂を塞ぎ、人の世から立ち去ってしまった。これは、海と陸の世界が自由に往来できないことの由来を語っている神話であると同時に、神々の時代を記述した『古事記』上巻の最後に置かれることで、神話的世界を閉じるべき役割を果たしているという見方もある。
 他にも「見るなの禁」を破ったことで女が恥を覚え、境を塞ぐ構成は、伊耶那岐命と伊耶那美命の別離と類似しているとの指摘や、説話の構成について、妊娠を申し出た箇所の記述が、豊玉毘売と木花佐久夜毘売とで類似しているとの指摘もある。
 豊玉毘売が離別して以降の後日譚は、他のメルシナ型の類話には見られないため、『古事記』の編纂上の意図から付加されたものとする見方がある。その理由については、豊玉毘売が恨み憤って立ち去ったために、鵜葺草葺不合命に海神の水の呪力の継承が充分に果たされないと考え、豊玉毘売との歌のやりとりによって、怨恨・憤怒が解消・中和されることで、鵜葺草葺不合命の血統の保証がなされるのだという。
 『延喜式』神名帳には、阿波国名方郡の項に、「和多津美豊玉比売神社」と「天石別豊玉比売神社」が掲載されているが、後者は現在廃社になっている。また、『山背国風土記』逸文には、式内社である水度神社(山背国久世郡)の祭神の一柱として記されている。
参考文献
倉野憲司『古事記全注釈 第四巻 上巻篇(下)』(三省堂、1977年2月)
西郷信綱『古事記注釈 第四巻(ちくま学芸文庫)』(筑摩書房、2005年10月、初出1976年4月)
『古事記(新潮日本古典集成)』(西宮一民校注、新潮社、1979年6月)
中山太郎「蟹守土俗考」(『日本民俗学』風俗編、大岡山書店、1930年10月)
松村武雄(『日本神話の研究(三)』培風館、1955年11月)第十八章
松本信宏「豊玉姫伝説の一考察」(『日本神話の研究』平凡社、1971年2月)
土橋寛『古代歌謡全註釈 古事記編』(角川書店、1972年1月)
松前健「豊玉姫神話の信仰的基盤と蛇女房譚」(『古代伝承と宮廷祭祀』、1974年4月)
松本信広「南海の釣針喪失譚―再説豊玉姫説話―」(『日本神話研究3 出雲神話・日向神話』学生社、1977年7月、初出1975年10月)
吉井巖「海幸山幸の神話と系譜」(『天皇の系譜と神話 三』塙書房、1992年10月、初出1977年10月)
阿部真司「黄泉比良坂考―『古事記』のサカを中心にして」(『高知医科大学一般教育紀要』1号、1986年3月)
『式内社調査報告 第二十三巻 南海道』(式内社研究会編、皇学館大学出版部、1987年10月)
大和岩雄「豊玉比売神社―海人と海幸山幸神話」(『神社と古代民間祭祀』白水社、1989年6月)
矢嶋泉「所謂〈『古事記』の文芸性〉について―火遠理命と豊玉毗売命の唱和をめぐって―」(『青山語文』20、1990年3月)←吉井巌の論に立脚
大内建彦「異郷訪問神話―海幸山幸神話をめぐって―」(『古代文学講座5 旅と異郷』勉誠社、1994年8月)
内藤美奈「産屋を覗くこと―豊玉姫神話の赤不浄と禁忌―」(『帝京国文学』2号、1995年9月)
越野真理子「山と海と玉―「ワニ」の神話学」(『比較神話学の鳥瞰図』大和書房、2005年12月)
村上桃子「葦原中国と海原-「塞海坂」をめぐって」(『古事記年報』49号、2006年1月)
『古典基礎語辞典』(大野晋編、角川学芸出版、2011年10月)
佐藤健二「辱見せつ考」(『國學院雜誌』112巻11号、2011年11月)
室屋幸恵「豊玉毗賣神話の歌謡―「戀心」との関連を中心に―」(『美夫君志』 86号、2013年3月)
後山智香「境界としての「坂」――神話的空間からの脱却」(『京都語文』25号、2017年11月)

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