國學院大学 「古典文化学」事業
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宇摩志阿斯訶備比古遅神
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宇摩志阿斯訶備比古遅神
読み
うましあしかびひこぢのかみ/うましあしかびひこじのかみ
ローマ字表記
Umashiashikabihikojinokami
別名
-
登場箇所
上・初発の神々
他の文献の登場箇所
紀 可美葦牙彦舅尊(一段一書二・三・六)
旧 可美葦牙彦舅尊(神代系紀)
梗概
天地の始まりにおいて、国土が若く浮漂していた時に、葦の芽のように伸びる物によって成った神。別天神の第四の神で、独神となって身を隠した。
諸説
神名は、この神の出現を語る「葦牙(あしかび)の如く萌え騰れる物に因りて成りし神の名は」という表現と対応している。『日本書紀』では、七通りの伝のうち三つの伝に「可美葦牙彦舅尊」と見えており、読みは訓注で「可美」を「于麻時(ウマシ)」、「彦舅」を「比古尼(ヒコヂ)」と読ませている。
名義は、ウマシは良いものをほめた美称とされ、アシカビは葦の芽、ヒコは男性、ヂは祖父(おほぢ)、伯父(をぢ)に同じで、ヒコヂは男性の尊称や親称とされる。その神格は、アシカビの語が神名の核になっていることから、葦の芽の神格化とする説や、葦の芽から人類の始祖が出現したという神話の反映とする説がある。原初の植物から人類が生まれたという神話は、中国西南部・東南アジアからミクロネシア・ポリネシアまで広く分布しているが、宇摩志阿斯訶備比古遅神には、人類発生の神話というより世界樹的な色彩の強いことが指摘されており、特にポリネシアの神話との類似に注意が置かれている。一方で、アシカビというのは比喩的な表現に過ぎず、天上の神であるから地上の葦の芽そのものではないとする立場もある。その立場からのアシカビの解釈には、葦の生長の有り様にたとえた、国土の生長力の神格化とする説や、天地未分の混沌の中に立つ生命の樹あるいは天柱に相当する観念が葦によって象徴されたものとする説、現実世界の生命の存在の根源となる、天上における生命の具象化とする説などがある。他に、後の葦原中国の成立を見据えた命名で、アシの語がその連想を含んでいるとする説もある。また、性別のない別天神に、男性の意味を持つヒコヂとあるのも疑問とされるが、男性的な活力を象徴するものとしての比喩的な表現であるとする説がある。なお、ヒコヂという呼称や、『日本書紀』一書三の文中の「神人」という表現からは、人格神的な性格も推測されている。
この神の由緒について、天地初発の神々には中国思想の影響と思われる思弁的・抽象的な神名が多いのに対して、この神が葦の芽という具象的なものに即した表現を持っていることから、中国思想の影響以前の日本の古代の素朴な思惟を留めていると捉える説がある。また、『日本書紀』の諸伝では、天地の始まりに生まれた神を、国常立尊とする伝と可美葦牙彦舅尊とする伝とがあり、数の上では前者の伝の方が優勢である。その中には、国常立尊が葦の芽のようなものから成ったとする伝もあるが、神名がその表現とかみあっていないことから、国常立尊を最初とする伝を後発的な伝承として、可美葦牙彦舅尊の方をより原初的な伝承とみる説がある。一方で、国常立尊の方をより古い伝承とみて、可美葦牙彦舅尊を後に案出された神とみる説もある。また、元来は地上に属する神であったのが、後に天上の神としての性格を帯びるようになったとする説もある。
天地初発において、この神を含む冒頭の五神は「別天神」であると示されているが、その意義は明確でない。国之常立神以下の神世七代を、岐美二神の出現とその国土の生成を見据えた、国土に関わる天上の神とし、対して、天之常立神までの別天神五神を、天上にのみまつわる神とする説や、別天神のうちの前三神を天上のみに関わる神とし、後二神を天上と国土との両方に関わる神と解する説がある。また、高御産巣日神の、天孫降臨段を中心に司令の役割を担う「天神」としての霊威を、その化成において保証する働きをしているとする説がある。
また、この神は「独神成坐而隠身也(ひとりがみとなりまして、みをかくしき)」とも記されている。「独神」は、神世七代で出現する男女の対偶神に対する単独の神と解される。「隠身」の意味は明確でなく、「隠(かく)り身」という読み方も考えられている。「隠身」の解釈には、身体を持たない抽象神のこととする説があるが、中には身体を持つ描写のある「隠身」の神もいることから批判もある。また、顕界の神々に対してその権威を譲渡し、姿を見せずに司令や託宣などの形で関わるようになることをいうとする説がある。この説では「隠身」という記述には、天地の始まりの神々の権威を抑えることで、天照大御神の権威の絶対性を確保する意図があるという。また、「身」は生むことに関連すると捉え、身体を備えた岐美二神が、男女の身体を使って国や神を生む行為をするのに対して、「隠身」の神は、みずからの身をもって行動しない存在として位置付けられるという説がある。
参考文献
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