國學院大学 「古典文化学」事業
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宇都志日金析命
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宇都志日金析命
読み
うつしひかなさくのみこと
ローマ字表記
Utsushihikanasakunomikoto
別名
-
登場箇所
上・みそぎ
他の文献の登場箇所
姓 于都斯奈賀命※(未定雑姓・河内国)
梗概
伊耶那岐神の禊ぎで生まれた三柱の綿津見神の子で、阿曇連等の祖神として名が上がる。
諸説
「宇都志」は顕で不可視の神霊が人の姿となって現れた意かとする説や「現実の」の意とする説がある。「日」は神霊の意とされる。「金析」は、刀剣にまつわる石析神・根析神の名から推すと刀剣に縁のあるものかとして、また海神が蛇体であることにも通じるかとする説や、『類聚名義抄』の「縋」にカナサクの和訓があることから、網かがりの意とし、阿曇連が海人で網を用いる人であると捉えて、その祖がすなわち網をかがる人、編む人でこの神名になったとする説がある。また、阿曇連に関わりのある「志賀の皇神」が詠まれた『万葉集』歌(7・1230)に見える「金の岬(かねのみさき)」(筑前国宗像郡の北端の鐘崎)の地名の転かとする説もある。
『新撰姓氏録』未定雑姓・河内国の安曇連が「于都斯奈賀命」の後裔とあるのを、「奈賀」を「賀奈」と考えるなどして、同じ安曇連の祖神であるこの神と同神と見る説がある。なお、同書河内国神別の安曇連の祖神は、「綿積神命の児、穂高見命」とされている。旧事紀では「天造日女命」が阿曇連らの祖とある。
また、阿曇氏の拠点のひとつとして「筑前国糟屋郡阿曇郷」(『和名類聚抄』)をみとめ、同郡内の「志珂郷」(志賀島)に阿曇氏が綿津見三神を祭る「志加海神社」(『延喜式』神名帳。今の「志賀海神社」)があることと関連づけて、金印の出土した志賀島の「叶の崎」が「金の崎」の意であるとし、そこからこの神名を読み解き「宇津志日」を「現シ霊」、「金拆」を「金(の)崎」として叶の崎に斎き祀られた金印が神霊として現し世に姿を示したものとして、海神本来の漁撈神的性格と異なった側面を持つと見る説がある。
参考文献
倉野憲司『古事記全註釈 第二巻 上巻篇(上)』(三省堂、1974年8月)
西郷信綱『古事記注釈 第一巻(ちくま学芸文庫)』(筑摩書房、2005年4月)
『古事記(新潮日本古典集成)』(西宮一民校注、新潮社、1979年6月)
佐伯有清『新撰姓氏録の研究 考証篇 第六』(吉川弘文館、1983年8月)
宮島正人「綿津見神―阿曇磯良神と宇都志日金拆命―」(『古事記論集』おうふう、2003年5月)
荻原千鶴「阿曇連―海宮遊行神話論にむけて―」(『日本古代の神話と文学』塙書房、1998年1月)
荻原千鶴「海宮遊行神話諸伝考」(『日本古代の神話と文学』塙書房、1998年1月)
宮島正人「「金之三埼」考証―カネノミサキと志賀の皇神―」(『海神宮訪問神話の研究―阿曇王権神話論―』和泉書院、1999年10月、初出1987年11月)
宮島正人「「阿曇」考―アツメとハヤヒト―」(『海神宮訪問神話の研究―阿曇王権神話論―』和泉書院、1999年10月)
宇都志国玉神
上箇之男命
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