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綿津見神

読み
わたつみのかみ
ローマ字表記
Watatsuminokami
別名
綿津見
綿津見大神
海神
登場箇所
上・みそぎ
上・海神の国訪問
他の文献の登場箇所
紀 少童命(五段一書六)/海神(十段本書・一書一・二・三・四、神武前紀戊午年六月、景行紀四十年是歳)/豊玉彦(十段一書一)/海童(神武前紀)
出雲風 海若(意宇郡)
土左風 海神(逸)
筑前風 海神(逸▲)
万 綿津海(3・366)/海若(3・388、9・1740、9・1784)/方便海之神(7・1217)/海神(7・1301、7・1302、7・1303、16・3791)/和多都美(15・3597、15・3605、15・3614、15・3627、15・3663・18・4122)/和多都民能可味能美許等(19・4220)
旧 筑紫斯香神(陰陽本紀)/海童(皇孫本紀、天皇本紀)
姓 綿積神命(河内国神別)/綿積命(右京神別下、摂津国神別)/綿積豊玉彦神(右京神別下)
神名式 大海神社(摂津国住吉郡)/海神社(但馬国城崎郡、隠岐国知夫郡、播磨国明石郡、紀伊国那賀郡、紀伊国牟婁郡、壱岐嶋石田郡)/綿神社(尾張国山田郡)/和多都美豊玉比売神社(阿波国名方郡)/和多都美神社(対馬嶋上県郡、対馬嶋下県郡)/和多都美御子神社(対馬嶋上県郡)/和多都美神社(対馬嶋下県郡)
梗概
 「綿津見神」という名の海の神は、古事記では二箇所に登場する。
 第一は、伊耶那岐神の禊によって生まれた、底津綿津見神・中津綿津見神・上津綿津見神で、三柱の綿津見神と総称されている。
 第二は、火遠理命が訪問した綿津見神の宮に住む綿津見神で、綿津見大神とも称されている。火遠理命を歓迎して娘の豊玉毘売を結婚させ、火遠理命が無くした兄の釣り針を探すのを助けて見つけ出し、その帰る際には、潮の干満を支配する塩盈珠・塩乾珠を授けて、兄を懲らしめる方法を教えた。
 また、伊耶那岐神と伊耶那美神との神生みの段には、大綿津見神という同類の神も登場している。
諸説
 三柱の綿津見神に関しては、「底津綿津見神」「中津綿津見神」「上津綿津見神」の項も参照されたい。
 ワタツミの名義について、「綿津見」の字は借字で、ワタは海のこと、ツは連体助詞、ミは一種の霊格を表し、神名は、海の神霊の意と解される。海の神であるが、自然としての海そのものの神格ではなく、海を掌る支配者としての存在であると考えられている。
 ワタという語は、『万葉集』に、ワタナカ(「海中」「渡中」)、ワタノソコ(「海之底」「綿之底」「海底」。オキの枕詞)といった例が見えるが、ワタという一語単独で海そのものを指した例は上代の文献中にも見られない。ウミとの違いは明確でないが、ウミを、湖や池を含めた、大いなる水の意味の語とし、ワタを海洋に相当する語と捉える見解もある。ワタの語源については、「渡」と同源とも、古代朝鮮語で海の意のpataと同源とも、或いは、ワタツミが後述のように幼い姿の神と考えられることから、ヲトコ・ヲトメのヲトの音韻交替ととる説もある。ミは、神名や古代の人名に見られる称で、カミという称よりも古い概念と考えられるが、その意味については、神秘な力を持った存在のこととする説や、「見」の字を借字でなく意味を持たせた表記と捉えて、見守る主宰者の意とする説などがある。
 『日本書紀』には「少童」と書いてワタツミと読ませた表記がある。これは、水神が童の姿をしているとされる信仰に基づいたものと考えられ、昔話の竜宮童子ともつながりがあると指摘されている。中国にも同様の例があり、『文選』の左思「呉都賦」に「海童」の字が見え、唐代の注釈は「海神童」のことであると注しているが、日本の信仰との直接の関係ははっきりしない。また、『万葉集』や『出雲国風土記』には『楚辞』や『文選』に見られる「海若」という表記もある。この神が童の姿であるような描写は記紀には見られないが、元々の海神に対するイメージが化石的に文字表記に反映されたものとする説がある。
 神名にワタツミと付く神は多いが、ヤマツミと付く山の神が多いのと同じく、元来は特定の神格に限らず、海の神一般を指す普遍的な名称であったとも考えられる。ただし、それら全てを同様な性質の神格として包括的に捉えられるかは定かでない。岐美二神の神生みによって生まれた大綿津見神は、水戸、風、木、山、野の神々と並ぶ「海の神」として生まれた神であり、さらに「大」という美称のつく所から、海一般に対する信仰を示しているようである。他方、伊耶那岐神の禊によって生まれた「三柱の綿津見神」は、海人である阿曇連という特定の氏族の祖神である。また、豊玉毘売の父・綿津見神は、海の幸を管掌する漁撈の神としての性格を見せている。このように、同じワタツミの神でも、それぞれに異なった性格もうかがわれる。ワタツミの神を祭る神社は西日本の沿岸や島の各所にあり(『延喜式』神名帳)、また、名前にワタツミとつく神を祖神としている氏族は、阿曇連に限らず、安曇宿禰、海犬養、凡海連、凡海連といった海人の氏族がいる(『新撰姓氏録』)。ワタツミの神が海人の諸氏族によって広範囲にわたって信仰されていたことがうかがわれる。
 禊によって生まれた三柱の綿津見神は、阿曇連の奉斎する神であるが、他のワタツミと称される神々が、阿曇連とどの程度関わるのかは議論の余地がある。海神の国訪問譚に登場する綿津見神は、この神話の主旨が皇統の由緒を語ることにあると考えられることから、阿曇連の奉斎神という色彩は無いとする説もあるが、反対に、この神話の元になっているのは阿曇連の所伝だとする説や、阿曇連がその配下にあった隼人の伝承をつなぎ合わせて成立した神話と捉え、阿曇連の王権への貢献を述べる意図があるとする説もある。
 海神の国訪問譚の綿津見神は、魚介類を統括したり、海の干満を掌る呪力を有しているように、海の世界の支配者としての性格が色濃く表れている。魚介類を掌っていることを、践祚大嘗祭において阿曇氏が神膳奉仕の職掌を担っていることの由来を物語るものと捉える説もある。また、綿津見神が火遠理命に娘の二柱の神を献上する話は、山(地上)を支配する大山津見神が天孫・邇々芸命に娘の二柱の神を献上する話と対応しており、この二つの神話は、山(地上)と海との両者の呪力あるいは統治の権威が、天孫に併合されることを示す構想に基づくものと解されている。
参考文献
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倉野憲司『古事記全註釈 第四巻 上巻篇(下)』(三省堂、1977年2月)
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西郷信綱『古事記注釈 第四巻(ちくま学芸文庫)』(筑摩書房、2005年10月、初出1976年4月)
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宮島正人「「阿曇」考―アツメとハヤヒト―」(『海神宮訪問神話の研究―阿曇王権神話論―』和泉書院、1999年10月)
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