國學院大学 「古典文化学」事業
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八俣遠呂智
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八俣遠呂智
読み
やまたのをろち/やまたのおろち
ローマ字表記
Yamatanoorochi
別名
高志之八俣遠呂智
登場箇所
上・八俣の大蛇退治
他の文献の登場箇所
紀 八岐大蛇(八段本書・一書二)/大蛇(八段本書・一書二・三・四)/蛇(八段本書・一書二・三・四)
拾 八岐大虵(素神の霊剣献上)/大虵(素神の霊剣献上)
旧 八岐大蛇(地祇本紀)/大蛇(地祇本紀)
梗概
高天原から追放された須佐之男命は、出雲の肥の河上の鳥髪の地に降り立ち、その上流で、足名椎・手名椎という老夫婦の神と、その娘の櫛名田比売に出会う。夫婦にはもと八人の娘(八稚女)があったが、年ごとに高志の八俣遠呂智が来て食べられてしまい、最後に残された櫛名田比売が今度の犠牲になるところであった。そこで須佐之男命は櫛名田比売との結婚を約束して八俣遠呂智の退治を請け負った。
足名椎が語るには、八俣遠呂智の姿は、目は赤かがち(ほおずき)のようで、体一つに八つの頭と八つの尾があり、また、体には日陰蔓・檜・杉が生い、長さは谷八つ(谿八谷)山八つ(峡八尾)にもわたり、腹には常に血が流れただれている、という。
須佐之男命は、足名椎・手名椎に対して、何度も醸した酒(八塩折之酒)を用意し、垣に作った八つの入口(八門)に八つの桟敷(八佐受岐)を敷いて、その上に酒船を置くように指示し、そうして、やってきた大蛇のそれぞれの頭にその酒を飲ませ、酔っている間に剣で切って倒した。その際、尾の中から太刀を見つけ、これを天照大御神に献上した。これが草那芸之大刀(くさなぎのたち)である。
諸説
足名椎の発言の中で「高志の八俣遠呂智」と呼ばれている。「高志」は地名で、出雲国神門郡古志郷(島根県出雲市古志町)を指すとする説と、越国(こしのくに。後の越前・越中・越後)のことで北陸道を指すとする説とがある。「八俣」は、『日本書紀』の表記が「八岐大蛇」で、「頭・尾各八岐有り」と描写されているように、一つの体に頭と尾がそれぞれ八つに分かれていたことによる呼称である。「遠呂智」は、ヲを尾、ロを助詞、チを畏るべきものと取って、尾の霊の意とし、霊剣が尾から出てきたことに関連する名称とする説がある。また、ヲを峰と解して、山または水の精霊の意とする説や、もしくは砂鉄を産出する鉱山の神と捉える説もある。
比較神話学の見地からは、記紀の大蛇退治神話は、人身御供を要求する怪物を英雄が倒し、犠牲に差し出された娘を救うという展開を持つペルセウス・アンドロメダ型と呼ばれる類型に分類される。英雄ペルセウスが怪蛇を退治してアンドロメダを救ったというギリシャ神話など、同類の説話が世界各地に分布しているが、特に中国大陸の南方に記紀の大蛇退治神話に類似する説話が多くあることが指摘されており、その地域から日本に伝播してきたとする説もある。怪物に娘を差し出すという内容は、太古の農耕祭祀において人身御供が行われたことの反映ともいわれるが、必ずしもこうした説話の伝わる地方で実際に人身御供が行われていたことの徴証は得られないため、記紀の大蛇退治神話を含め、実際には、異形の神を祭る現実の農耕祭祀の起源を説明する縁起譚として、人身御供の要素が後から付加されて成立したものとする説もある。また、この神話の元々の内容を、年ごとに巫女が蛇神を迎えて御酒などを供える豊穣の儀礼を表した神話であったと想定した上で、時代が降りその原義が不明瞭になるにつれて、蛇神は邪霊、巫女はその犠牲と解釈されるようになり、蛇神を退治する神話へと変貌したとする見方もされている。
舞台となっている肥の河は今の斐伊川で、古来、暴れ川として知られるが、大蛇を、稲田(=櫛名田比売)を流出させる斐伊川の季節的な洪水の表象と解し、大蛇退治神話を斐伊川の治水の神話化と見なす説もある。また、大蛇を肥の河の水神と見て、農民達が娘を捧げて豊穣を祈った儀礼の反映と捉える説もある。
この大蛇退治神話は、元来、須佐之男命とは関係がない出雲地方の農耕儀礼神話であったとも考えられており、記紀神話の編纂された中央の王権においてその両者が結合されたものとする説がある。特に、肥の河という実際の出雲の地理に結び付いていることから、この神話を、肥の河の流域に住んだ豪族に伝承されたものとする見解もある。一方、出雲国の地誌や伝承をまとめた『出雲国風土記』にこの説話が載録されていないことなどから、大蛇退治の神話自体が、出雲土着の神話ではなく中央の王権において構成されたものと解する説もある。また、大蛇を出雲の表象と考え、王権が出雲を征服したことを象徴した神話と解する見方も提示されている。
大蛇の尾から霊剣が出現したという話は、出雲でおこなわれていた製鉄や鍛冶に関係があるといわれ、大蛇を鍛冶職人らが祭った神と捉える説もある。
また、この神話の中に「八」という数が何度も現れていることに注意される。『山城国風土記』逸文に見られる賀茂社の縁起譚にも、「八尋屋を造り、八戸の扉を竪て、八腹の酒を醸みて」神々を饗応したという類似の表現がみられ、その他いくつかの共通点から、大蛇退治神話は賀茂系の神話が基盤になっているとする説もある。
参考文献
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