國學院大学 「古典文化学」事業
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予母都志許売
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予母都志許売
読み
よもつしこめ
ローマ字表記
Yomotsushikome
別名
-
登場箇所
上・黄泉の国
他の文献の登場箇所
紀 泉津醜女(五段一書六)/泉津日狭女(五段一書六)/醜女(五段一書六)
旧 泉津醜女(陰陽本紀)/泉津日狭女(陰陽本紀)/醜女(陰陽本紀)
梗概
黄泉国で、伊耶那岐神に醜い姿を見られた伊耶那美神は、逃げ出す伊耶那岐神を、予母都志許売に追わせた。伊耶那岐神は、黒御縵や湯津々間櫛で蒲子や笋をならせて、予母都志許売がそれに食らいついている隙に逃げていった。やがて八雷神やその率いる千五百の黄泉軍が合流して追いかけてきたが、黄泉比良坂に至り、桃の実を三つ投げつけたことで、ことごとく退散させることができた。
諸説
黄泉国の神々は、黄泉の国の穢れが擬人化・神格化されたものと捉えられるが、具体的にどのような黄泉国に対する観念が反映されているかといったことは、黄泉国の実態が不明なこともあり、明らかでない。
予母都志許売は、『日本書紀』では「泉津醜女」と書かれ、別名に「泉津日狭女(よもつひさめ)」が挙がっている。
その名義は、ヨモツは「黄泉の」の意。シコメは、『和名類聚抄』に「醜女 日本紀私記云――〈志古女〉。或説、黄泉之鬼也。今世人為恐小児之称〈許々女〉者、此語之訛也」とあり、また、『万葉集』では、シコに「鬼」の字があてられている。これらによって、シコメとは黄泉国に住む鬼の類であると考えられている。ただし、後世一般にいわれる鬼は、仏教的な死後観の上に成り立ち、説話では、身体の一部のみであったり性別が表されないことが一般的であるから、予母都志許売は、そうした基盤となる信仰観や描写が相違する後世的な鬼と同質には考えがたい。
予母都志許売の性格を考える上では、神名の中核にあたるシコという語の解釈に複雑な問題が残されている。シコの意味の諸説にはおおよそ、醜悪、畏怖、頑強、異質、などといった解釈がある。
『万葉集』のシコの例には、「鬼乃益卜雄(しこのますらを)」(2・117)、「志許霍公鳥(しこほととぎす)」(8・1507)、「鬼之志許草(しこのしこぐさ)」(12・3062)、「之許乃美多弖(しこのみたて)」(20・4373)などとあるが、その意味は、それぞれの歌意に合わせて個別に解釈を施しているのが現状で、一貫したシコの意味を見いだすことが課題となっている。
『日本書紀』では、神名や人名のシコに「醜」の字が当たっており、また『古事記』の伊耶那岐神のみそぎの段に「いなしこめ、しこめき穢き国」とあり、『日本書紀』(五段一書六、九段一書一)では、この言葉のシコに「凶」の字があてられている。こうした例から、シコの意味は容姿の醜いことと取るのが通説となっている。また、その表現に、厭わしい、憎ましいといった嘲罵の意味合いが含まれる語であるとする説もある。しかし、「醜」の字の一般的な読みはミニクシであり、「醜」の字をシコの語にあてた例は『日本書紀』の神名・人名以外では殆ど見当たらないため、この表記は『日本書紀』独自の表記意識に基づく用字とも考えられる。従って、その字義をそのままシコの原義に結びつけ得るかは、疑問がある。
シコを含む神名に、大国主神の別名「葦原色許男神」(紀「葦原醜男」)があるが、須勢理毘売に「甚麗しき神」と言われているので、単に醜いという悪い意味には取れない。そのため、この場合のシコは勇猛さや頑強さを褒めた称であるとし、シコの原義を、畏怖すべきもの、とか、相手を畏怖せしめるようなさま、と捉えることで、醜い意や勇猛・頑強の意はともにその意味の広がりから生じたものとする説がある。それに関連して、シコをカシコシ(畏、恐)のシコと同根と取る説もある。
また、シコの原義を、原始的または野性的な力が充満し、それが飽くなき行動性として実現する荒々しさ、たくましさ、強靱さ、屈強さ、と捉え、本来は頑強さを讃美する表現であったとし、予母都志許売の名は、醜さを意味するのではなく、伊耶那岐神を追いかけた際の、食物への貪欲さや追跡の執拗さに見られるエネルギッシュな行動性を指したものであり、従って、醜さや嘲罵といった悪い評価は二次的な意味合いに過ぎない、とする説がある。頑強さと捉える場合、上代語のシコルという、現代方言にも、繁る、威張る、強くなるなどの意味で各地に残る動詞とも関連が考えられる。
また、シコに異界性を見いだす見解が提示されている。シコを、異郷と結びつく、モノ(物、鬼)に重なる語と解し、異郷から出現する者が常人とは異なる様相を持つことから、そうした異形の存在を指すのが原義であるとする説があり、この語に元来、醜悪という意味は無いが、「醜」の字が当てられているのは、その常人とは変わった容姿を、醜悪と捉えたところに由来するとしている。『万葉集』で「鬼」の字が、シコとモノという語に共通して当てられていることからも、両語の共通性が指摘されている。
また、用例の検討から、シコは、ある事柄の中心的な正しいあり方から外れていること、すなわち、規範からの逸脱、外部性と解される、とする説があり、シコに「醜」字が当てられた理由としては、姿の醜いことが美的規範から逸脱していることによるという考え方が提示されている。そのように解すると、黄泉国は、地上や天上からみた外部・異界(「シコめき国」)であり、予母都志許売は、そこに存在する、疎外・忌避される異形の存在(あるいは鬼類)と捉えることができる。
この他にも、シコの語源をアイヌ語に求め、大きいという意味を原義と捉える説などがある。
いずれにしろ、『日本書紀』の「醜」表記をもとにして、予母都志許売を単に容姿の醜い鬼女と解することには問題があり、上代語シコの普遍的な意味合いとの整合性や、黄泉国に対する信仰観を考え合せて理解する必要がある。
参考文献
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金子武雄「上代語「しこ」の考」(『万葉 大伴旅人』公論社、1982年5月)
藤田加代「上代語「シコ」について」(山崎良幸『万葉集の表現の研究』風間書房、1986年9月)
増井元「しこ」(『古代語を読む』古代語誌刊行会、桜楓社、1988年)
吉田金彦「「醜の御楯」考」(『吉田金彦著作選3 悲しき歌木簡』明治書院、2008年7月、初出1993年5月)
手崎政男『「醜の御楯」考―万葉防人歌の考察』(笠間書院、2005年1月)
西郷信綱「「シコ」という語をめぐって―一つの迷走」(『西郷信綱著作集 第3巻』平凡社、2011年6月、初出2005年3月)
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小長谷祥治「「醜女」は鬼女か―『日本書紀』における「醜女」の解釈をめぐって―」(『研究紀要』(長野県国語国文学会)12、2017年12月)
黄泉神
万幡豊秋津師比売命
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