國學院大学 「古典文化学」事業
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伊勢船木直
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伊勢船木直
読み
いせのふなぎのあたひ/いせのふなぎのあたい
ローマ字表記
Isenofunaginoatai
登場箇所
神武記・当芸志美々命の反逆
他文献の登場箇所
-
始祖
神八井耳命
田田足尼命(住吉大社神代記)
大荒男命(阿蘇家略系譜)
後裔氏族
船木臣/船木連
説明
造船などを職掌とした船木氏のなかでも、伊勢国を本拠とした氏族。『古事記』においては、神沼河耳命(のちの綏靖天皇)に皇位を譲った神八井耳命の後裔氏族として、意富臣・阿蘇君らとともに名がみえる。なお、阿蘇家に伝来した『阿蘇家略系譜』では、神八井耳命の九世孫・大荒田命を祖としているが、同系譜は明治26年(1893)以降の成立ということもあり、その史料性には議論がある。伊勢船木直の本拠地については、多気郡(現・度会郡)に「船木」の地名が残っており、それを根拠として多気郡とされることが多い。しかし、慶長8年(1603)成立の『舟木氏系図』によれば、「船木」の地名は貞治2年(1363)に南朝方の舟木頼尚が入植したことに由来するとされており、後代の史料ではあるが看過することはできない。『後拾遺往生伝』などの史料には、朝明郡に在住する船木氏の存在が確認できるため、こちらが本拠地であった可能性も指摘されている。
船木を称する氏族は日本海側を中心として諸国に点在しており、そのなかには住吉大社の神官を務めた船木連も含まれている。船木連に関わる史料のひとつに、住吉大社に伝来した『住吉大社神代記』「船木等本記」がある。天平3年(731)の解文という形式をとり、かつてはその原本であると主張されたこともあった。現在では諡号・国名の表記などから否定されており、延暦8年(789)に天平3年の原本を書写したとする説、元慶年間以降に造作されたとする説が提唱されている。そこに記された系譜には伊勢国の船木に在する伊瀬川比古乃命の名があり、さらに津守氏が支配下に収めた5ヶ国の船木連のひとつとして伊勢が挙げられている。しかし、「船木等本記」は住吉大社の奉斎氏族である津守連と船木連の関係が歴史的に遡ることを主張するために操作されているとの指摘があり、伊勢船木直と船木連との間に血縁関係はなかったと考えるべきだろう。
先述のように船木を称する氏族は全国に多数おり、いずれが伊勢船木直の後裔氏族に該当するかは判然としない。しかし、朝明郡芦田郷に居住していた船木東君は臣姓を称しており(『大日本古文書』正倉院編年文書之三・天平20年〈748〉4月25日付写書所解)、これが伊勢船木直の後裔氏族のひとつである可能性は高い。また、「船木等本記」の伝承は伊勢国に船木連が存在していたことを前提に書かれたものであり、それ自体は首肯してよいものと考えられよう。
参考文献
田中卓「住吉大社神代記の研究」(『住吉大社神代記の研究』田中卓著作集7、国書刊行会、1985年12月、初出1951年10月)
田中卓「古代阿蘇氏の一考察」(『日本国家の成立と諸氏族』田中卓著作集2、1986年、初出1960年12月)
坂本太郎「『住吉大社神代記』について」(『風土記と万葉集』坂本太郎著作集第4巻、吉川弘文館、初出1972年12月)
田中卓「再考・住吉大社神代記」(『住吉大社神代記の研究』田中卓著作集7、国書刊行会、1985年12月)
田中卓『住吉大社史』中(住吉大社奉賛会、1994年11月)
村崎真智子「異本阿蘇氏系図論」(劉茂源『ヒト・モノ・コトバの人類学』國分直一博士米寿記念論文集、慶友社、1996年6月)
笹川尚紀「船木氏小論―能登を中心として」(『地方史研究』63-1、2013年2月)
古市晃「住吉信仰の古層」(続日本紀研究会編『続日本紀と古代社会』塙書房、2014年12月)
伊勢之佐那造
伊勢之品遅部君
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