氏族データベース

氏族データベース凡例

軽部臣

読み
かるべのおみ
ローマ字表記
Karubenoomi
登場箇所
孝元記
他文献の登場箇所
紀   天武13年(684)11月戊申朔条
    天武14年(685)冬10月壬午(10日)条
続紀  天平勝宝3年(751)2月己卯(26日)条
後紀  天長元年(824)11月戊午(14日)条
始祖
許勢小柄宿禰
後裔氏族
軽部朝臣
説明
 武内宿禰後裔氏族のひとつ。『古事記』では、許勢小柄宿禰(武内宿禰の子)の後裔氏族として、許勢臣・雀部臣と同族関係にあったとされる。また『古事記』の伝承によれば、軽部は木梨之軽太子の御名代として設置されたもので、軽部臣はその伴造氏族と理解することができる。ただし同様に軽部を管掌したことが想定される氏族として、軽部君・軽部造・軽部首などがおり、このうち軽部君は倭日向建日向八綱田命、軽部造は神饒速日命の後裔氏族を称している。また軽部君はウヂ名の由来を加里乃郷(和泉国和泉郡軽部郷ヵ)の地名に求めており、木梨之軽太子との関係も不明である。軽部臣は天武13年(684)に朝臣姓を賜っていることから、この時点で軽部の伴造諸氏族のなかでも有力な地位にあったと考えられるが、天武14年(685)に軽部朝臣足瀬らが信濃に派遣されて行宮を造営した記事を最後に、軽部臣・軽部朝臣の活動は史料上から確認できなくなる。『新撰姓氏録』にも記載がないことから、比較的早い段階で氏族として衰退したのだろう。
参考文献
菅野雅雄「軽部とその伝承」(『古事記系譜の研究』桜楓社、1970年11月、初出1967年12月・1968年3月)

氏族データベース トップへ戻る

先頭