國學院大学 「古典文化学」事業
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吉備海部直
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吉備海部直
読み
きびのあまべのあたひ/きびのあまべのあたい
ローマ字表記
Kibinoamabenoatai
登場箇所
仁徳記・吉備の黒日売と皇后の嫉妬
他文献の登場箇所
紀 雄略7年是歳条
敏達2年(573)5月戊辰(3日)条
敏達2年秋7月乙丑朔条
敏達2年8月丁未(14日)条
敏達3年(574)秋7月戊寅(20日)条
敏達12年(583)7月丁酉朔条
敏達12年是歳条
始祖
-
後裔氏族
海宿禰
説明
海部を統轄した海部直のなかでも、吉備国(備前国)を本拠とした氏族。『古事記』では仁徳天皇の妻・黒日売の出身氏族として名がみえる。長和4年(1015)4月21日付備前国司解案(『平安遺文』巻10所収)に邑久郡少領・海宿禰共忠という人物がみえるため、これを吉備海部直の後裔氏族とみてよいならば、その本拠は邑久郡を中心とする地域であったと考えられる。また、『先代旧事本紀』より同地域には大伯国造が置かれていたことが確認でき、国造が郡領に任命されることは珍しくないため、吉備海部直が大伯国造であった可能性は高い。海部は漁労・航海に従事した海人を部民化したものであるから、他地域の海部直とは血縁関係になかったと考えられ、吉備臣と同族関係であったとの説が提示されている。『日本書紀』にみえる氏人の赤尾・難波・羽島はいずれも対朝鮮外交のなかで登場しており、瀬戸内海航路のみならず、朝鮮半島までの航路にも精通していた。また、吉備国には瀬戸内海航路の要衝のひとつである児島津があり、同地には児島屯倉が置かれている。羽島が使者として百済の官人・日羅を召喚した際、児島屯倉に停泊してその慰労がなされており、吉備海部直の勢力圏にあったことが推測される。なお、児島郡は製塩地帯として知られ、同地の海部も製塩業に従事していたことが指摘されている。
参考文献
渡辺則文・近藤義郎「海部と製塩」(近藤義郎・上田正昭編『中国・四国』古代の日本第4巻、角川書店、1970年3月)
西川宏『吉備の国』第4章(学生社、1975年3月)
後藤四郎「海部直の系譜について」(『日本歴史』329、1975年10月)
岡山県史編纂委員会編『岡山県史』第3巻、古代Ⅱ、第3節(岡山県、1990年3月)
邑久町史編纂委員会『邑久町史』通史編、第2部、第1章、第4節(瀬戸内市、2009年3月)
木国造
吉備之石無別
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