國學院大学 「古典文化学」事業
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木(紀)臣
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氏族データベース凡例
木(紀)臣
読み
きのおみ
ローマ字表記
Kinoomi
登場箇所
孝元記
他文献の登場箇所
紀 応神3年是歳条※
仁徳41年春3月条※
雄略9年3月条※
雄略9年夏5月条※
顕宗3年是歳条※
欽明2年秋7月条
欽明4年夏4月条
欽明5年2月条
欽明23年秋7月是月条※
崇峻天皇即位前紀・用明2年(587)秋7月条※
崇峻4年(591)11月壬午(4日)条※
舒明天皇即位前紀・推古36年(628)9月条
大化2年(646)3月辛巳(19日)条
大化5年(649)3月庚午(26日)条
白雉元年(650)2月甲申(15日)条
天智10年(671)春正月癸卯(5日)条
天智10年11月丙辰(23日)条
天武元年(672)秋7月辛卯(2日)条
天武元年秋7月戊戌(9日)是日条
天武元年秋7月壬子(23日)是日条
天武2年(673)秋8月壬辰(9日)条
天武2年12月戊戌(17日)条
天武3年(674)2月戊申(28日)条
天武5年(676)4月己未(22日)条
天武8年(679)2月甲寅(3日)条
天武13年(684)11月戊申朔条
朱鳥元年(686)9月甲子(27日)条
朱鳥元年9月丙寅(29日)条
持統天皇即位前紀・朱鳥元年是歳条
持統5年(691)8月辛亥(13日)条
持統6年(692)3月戊辰(3日)条
持統7年(693)6月壬戌(4日)条
続紀 文武元年(697)8月癸未(20日)条
大宝元年(701)3月甲午(21日)条
慶雲2年(705)7月丙申(19日)条
慶雲2年11月己丑(13日)条
慶雲2年12月癸酉(27日)条
慶雲4年(707)2月甲午(25日)条
慶雲4年10月丁卯(3日)条
和銅2年(709)3月壬戌(5日)条
和銅2年8月戊申(25日)条
和銅4年(711)9月丙子(4日)条
和銅5年(712)正月戊子(19日)条
和銅5年9月己巳(3日)条
和銅6年(713)11月乙丑(5日)条
和銅7年(714)2月戊戌(10日)条
霊亀元年(715)正月癸巳(10日)条
霊亀元年7月己丑(10日)条
養老元年(717)正月乙巳(4日)条
養老元年7月庚申(23日)条
養老2年(718)正月庚子(5日)条
養老3年(719)5月癸卯(15日)条
養老3年閏7月甲申(28日)条
養老4年(720)正月甲子(11日)条
養老5年(721)正月庚午(23日)条
養老5年正月甲戌(27日)条
養老5年6月辛丑(26日)条
養老7年(723)正月丙子(10日)条
養老7年10月癸卯(11日)条
養老7年10月乙卯(23日)条
神亀元年(724)2月壬子(22日)条
神亀2年(725)閏正月丁未(22日)条
神亀3年(726)正月庚子(21日)条
神亀5年(728)5月丙辰(21日)条
天平元年(729)2月辛未(10日)条
天平元年3月甲午(4日)条
天平元年8月癸亥(5日)条
天平3年(731)正月丙子(27日)条
天平3年5月辛酉(14日)条
天平4年(732)10月丁亥(17日)条
天平5年(733)3月辛亥(14日)条
天平6年(734)正月己卯(17日)条
天平8年(736)正月辛丑(21日)条
天平8年11月戊寅(3日)条
天平9年(737)4月戊午(14日)条
天平9年7月丁酉(25日)条
天平9年9月己亥(28日)条
天平9年12月壬戌(23日)条
天平10年(738)5月辛卯(24日)条
天平10年閏7月癸卯(7日)条
天平10年10月甲午(30日)条
天平11年(739)正月丙午(13日)条
天平12年(740)正月庚子(13日)条
天平12年3月辛丑(15日)条
天平12年9月丁亥(3日)条
天平12年9月己酉(25日)条(無姓)
天平12年10月戊辰(15日)条
天平12年10月丙子(23日)条
天平12年11月甲辰(21日)条
天平13年(741)閏3月乙卯(5日)条
天平13年7月辛亥(3日)条
天平13年7月辛未(23日)条
天平13年8月丁亥(9日)条
天平13年12月丙戌(10日)条
天平14年(742)正月辛亥(5日)条
天平14年2月庚辰(5日)条
天平14年8月己亥(27日)条
天平14年9月己巳(28日)条
天平14年12月庚子(29日)条
天平15年(743)4月壬申(3日)条
天平15年5月癸卯(5日)条
天平15年6月丁酉(30日)条
天平16年(744)閏正月丁丑(13日)条
天平16年2月丙申(2日)条
天平16年7月丁卯(6日)条
天平16年9月甲戌(15日)条
天平16年11月庚辰(21日)条
天平17年(745)正月乙丑(7日)条
天平17年5月壬戌(5日)是日条
天平17年5月甲子(7日)条
天平17年9月戊午(4日)条
天平18年(746)3月丁巳(5日)条
天平18年4月丙戌(5日)条
天平18年4月壬辰(11日)条
天平18年4月癸卯(22日)条
天平18年5月癸丑(2日)条
天平18年9月戊辰(19日)条
天平18年9月己巳(20日)条
天平18年9月甲戌(25日)条
天平19年(747)正月丙申(20日)条
天平20年(748)2月己未(19日)条
天平20年4月辛酉(22日)条
天平勝宝元年(749)2月壬戌(27日)条
天平勝宝元年4月戊戌(5日)条
天平勝宝元年閏5月甲午朔条
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天平勝宝元年8月辛未(10日)条
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天平勝宝3年(751)7月丁亥(7日)条
天平勝宝4年(752)9月庚戌(7日)条
天平勝宝5年(753)7月庚戌(11日)条
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天平勝宝6年7月丙午(13日)条
天平勝宝6年7月癸丑(20日)条
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天平勝宝6年11月辛酉朔条
天平勝宝8歳(756)12月己酉(30日)条
天平宝字元年(757)正月乙卯(6日)条
天平宝字元年5月丁卯(20日)条
天平宝字元年6月壬辰(16日)条
天平宝字元年7月乙卯(9日)条
天平宝字元年8月庚辰(4日)条
天平宝字2年(758)正月戊寅(5日)条
淳仁天皇即位前紀
天平宝字2年8月庚子朔条
天平宝字2年8月甲子(25日)是日条
天平宝字3年(759)6月庚戌(16日)条
天平宝字3年10月戊申(15日)条
天平宝字3年11月丁卯(5日)条
天平宝字4年(760)正月癸未(21日)条
天平宝字4年正月戊寅(16日)条
天平宝字5年(761)正月壬寅(16日)条
天平宝字5年5月壬辰(9日)条
天平宝字5年7月甲申(2日)条
天平宝字5年8月癸丑朔条
天平宝字5年10月壬子朔条
天平宝字6年(762)正月癸未(4日)条
天平宝字6年正月戊子(9日)条
天平宝字6年4月庚戌朔条
天平宝字6年7月丙申(19日)条
天平宝字7年(763)正月壬子(9日)条
天平宝字8年(764)正月乙巳(7日)条
天平宝字8年正月己未(21日)条
天平宝字8年7月丁未(12日)条
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天平宝字8年9月乙巳(11日)条
天平宝字8年10月庚午(7日)条
天平宝字8年10月癸酉(10日)条
天平宝字8年10月丁丑(14日)条
天平宝字8年10月癸未(20日)条
天平宝字8年10月己丑(26日)条
天平神護元年(765)正月己亥(7日)条
天平神護元年2月丙寅(5日)条
天平神護元年4月乙丑(4日)条
天平神護元年8月庚申朔条
天平神護元年閏10月辛卯(3日)条
天平神護2年(766)2月丁未(21日)条
天平神護2年9月丙子(23日)条
神護景雲元年(767)3月己巳(20日)条
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神護景雲元年8月丙午(29日)条
神護景雲2年(768)3月乙巳朔条
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神護景雲2年6月辛丑(29日)条
神護景雲2年7月壬申朔条
神護景雲2年11月癸未(13日)条
神護景雲2年11月己亥(29日)是日条
神護景雲3年(769)3月戊寅(10日)条
神護景雲3年10月甲子(30日)条
宝亀元年(770)2月戊申(15日)条
宝亀元年4月癸巳朔条
宝亀元年4月己酉(17日)条
宝亀元年7月庚辰(20日)条
宝亀元年8月丁巳(28日)条
光仁天皇即位前紀
宝亀元年10月甲寅(26日)条
宝亀元年12月丙辰(28日)条
宝亀2年(771)正月辛巳(23日)条
宝亀2年正月丙戌(28日)条
宝亀2年閏3月戊子朔条
宝亀2年4月壬午(26日)条
宝亀2年5月己亥(14日)条
宝亀2年7月丁未(23日)条
宝亀2年10月己巳(17日)条
宝亀2年11月辛丑(19日)条
宝亀2年11月丙午(24日)条
宝亀2年11月丁未(25日)条
宝亀2年12月戊午(6日)条
宝亀2年12月丁卯(15日)条
宝亀3年(772)4月庚午(20日)条
宝亀3年9月庚子(23日)条
宝亀4年(773)正月癸未(7日)是日条
宝亀4年2月甲戌(29日)条
宝亀5年(774)正月丁未(7日)条
宝亀5年3月癸卯(4日)是日条
宝亀5年3月甲辰(5日)条
宝亀5年6月庚寅(23日)条
宝亀5年7月庚戌(13日)条
宝亀5年7月戊午(21日)条
宝亀5年7月庚申(23日)条
宝亀6年(775)9月甲辰(13日)条
宝亀6年9月戊午(27日)条
宝亀6年11月乙巳(15日)条
宝亀7年(776)正月丙申(7日)条
宝亀7年3月癸巳(6日)条
宝亀7年3月丙申(9日)条
宝亀7年3月辛亥(24日)条
宝亀7年3月丙辰(29日)条
宝亀8年(777)正月丁巳(4日)条
宝亀8年正月庚申(7日)条
宝亀8年正月癸亥(10日)条
宝亀8年正月戊寅(25日)条
宝亀8年正月己卯(26日)条
宝亀8年5月丁丑(27日)条
宝亀8年6月壬辰(12日)条
宝亀8年8月辛丑(23日)条
宝亀8年10月辛巳(3日)条
宝亀8年10月辛卯(13日)条
宝亀8年12月辛卯(14日)条
宝亀9年(778)正月癸亥(16日)是日条
宝亀9年2月辛巳(4日)条
宝亀9年2月庚子(23日)条
宝亀9年4月庚子(24日)条
宝亀9年6月庚子(25日)条
宝亀9年7月戊申(4日)条
宝亀9年8月癸巳(20日)条
宝亀10年(779)正月甲寅(13日)条
宝亀10年正月己未(18日)条
宝亀10年正月甲子(23日)条
宝亀10年2月甲午(23日)条
宝亀10年4月丁酉(27日)条
宝亀10年4月戊戌(28日)条
宝亀10年9月甲午(28日)条
宝亀10年10月己酉(13日)条
宝亀10年11月甲午(28日)条
宝亀11年(780)正月癸酉(7日)条
宝亀11年2月丙申朔条
宝亀11年3月戊寅(13日)条
宝亀11年3月壬午(17日)条
宝亀11年3月丁亥(22日)条
宝亀11年3月癸巳(28日)条
宝亀11年6月辛酉(28日)条
宝亀11年8月壬寅(10日)条
宝亀11年10月癸卯(13日)条
宝亀11年12月庚戌(20日)条
天応元年(781)3月壬午(23日)条
天応元年4月丙申(8日)条
天応元年4月壬寅(14日)条
天応元年4月癸卯(15日)条
天応元年5月乙丑(7日)条
天応元年5月癸未(25日)条
天応元年5月乙酉(27日)条
天応元年6月甲寅(27日)条
天応元年7月丁卯(10日)条
天応元年8月戊戌(12日)条
天応元年9月丁丑(22日)条
天応元年10月己丑(4日)条
天応元年11月己巳(15日)条
天応元年11月庚午(16日)条
天応元年12月辛卯(7日)条
天応元年12月辛丑(17日)条
天応元年12月丁未(23日)是日条
延暦元年(782)閏正月庚子(17日)条
延暦元年2月庚申(7日)条
延暦元年4月庚申(8日)条
延暦元年5月己亥(17日)条
延暦元年6月辛未(20日)条
延暦元年6月壬申(21日)条
延暦元年6月戊寅(27日)条
延暦元年8月己未(9日)条
延暦元年9月乙酉(6日)条
延暦2年(783)正月癸巳(16日)条
延暦2年正月丁酉(20日)条
延暦2年正月庚子(23日)条
延暦2年2月壬子(5日)条
延暦2年2月丙辰(9日)条
延暦2年2月壬申(25日)条
延暦2年3月己丑(12日)条
延暦2年5月辛卯(15日)条
延暦2年6月丙寅(21日)条
延暦2年7月甲午(19日)条
延暦2年7月庚子(25日)条
延暦3年(784)正月己卯(7日)条
延暦3年正月戊子(16日)条
延暦3年3月乙酉(14日)条
延暦3年4月壬寅(2日)条
延暦3年4月己未(19日)条
延暦3年4月庚午(30日)条
延暦3年5月丙戌(16日)条
延暦3年6月己酉(10日)条
延暦3年6月壬子(13日)条
延暦3年7月壬午(13日)条
延暦3年11月丁巳(20日)条
延暦3年12月己巳(2日)条
延暦4年(785)正月癸卯(7日)条
延暦4年正月辛亥(15日)条
延暦4年正月癸亥(27日)条
延暦4年4月丁亥(23日)条
延暦4年5月丁酉(3日)条
延暦4年7月己亥(6日)条
延暦4年9月辛酉(29日)条
延暦4年10月庚午(8日)条
延暦4年10月甲戌(12日)条
延暦4年10月辛巳(19日)条
延暦4年11月丁巳(25日)是日条
延暦5年(786)正月戊戌(7日)条
延暦5年正月乙巳(14日)条
延暦5年正月乙卯(24日)条
延暦5年正月己未(28日)条
延暦5年2月丁丑(17日)条
延暦5年6月丁卯(9日)条
延暦5年8月甲子(8日)条
延暦5年9月乙卯(29日)条
延暦6年(787)正月壬辰(7日)条
延暦6年2月庚申(5日)条
延暦6年3月丙午(22日)条
延暦6年5月壬寅(19日)条
延暦6年9月丁卯(17日)条
延暦7年(788)正月甲子(15日)条
延暦7年2月甲申(6日)条
延暦7年2月庚子(22日)条
延暦7年3月己巳(21日)条
延暦7年5月辛亥(4日)条
延暦7年6月壬寅(26日)条
延暦7年7月辛亥(6日)条
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延暦7年11月戊辰(25日)条
延暦7年12月庚辰(7日)条
延暦8年(789)正月己酉(6日)条
延暦8年正月己巳(26日)条
延暦8年2月丁丑(4日)条
延暦8年3月戊午(16日)条
延暦8年7月丁巳(17日)条
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延暦9年2月癸巳(26日)条
延暦9年2月甲午(27日)条
延暦9年3月壬戌(26日)条
延暦9年閏3月丁丑(11日)条
延暦9年閏3月甲午(28日)条
延暦9年7月戊子(24日)条
延暦9年12月癸巳(2日)条
延暦10年(791)正月戊辰(7日)条
延暦10年正月丁丑(16日)条
延暦10年正月己丑(28日)条
延暦10年3月辛巳(21日)条
延暦10年3月壬午(22日)条
延暦10年5月乙丑(6日)条
延暦10年7月癸亥(4日)条
延暦10年8月辛卯(3日)条
延暦10年8月壬寅(14日)条
延暦10年12月庚寅(4日)条
延暦10年12月甲午(8日)条
延暦10年12月丙申(10日)条
延暦10年12月癸卯(17日)条
後紀 延暦11年(792)正月戊寅(23日)条
延暦11年4月丙戌(2日)条
延暦12年(793)正月甲午(15日)条
延暦12年8月丁卯(21日)条
延暦12年12月癸亥(19日)条
延暦15年(796)6月戊子(29日)条
延暦15年7月丁巳(28日)条
延暦15年11月丁酉(10日)条
延暦16年(797)正月甲午(7日)条
延暦16年正月庚子(13日)条
延暦16年2月癸亥(7日)条
延暦16年2月乙丑(9日)条
延暦16年2月辛未(15日)条
延暦16年3月癸丑(27日)条
延暦16年4月己未(4日)条
延暦16年9月壬子(30日)条
延暦18年(799)正月辛酉(16日)条
延暦18年正月癸亥(18日)条
延暦18年2月甲午(20日)条
延暦18年4月乙酉(11日)条
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延暦18年5月辛亥(8日)条
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延暦20年(801)4月庚戌(19日)条
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延暦23年(804)4月壬子(8日)条
延暦23年4月壬申(28日)条
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延暦23年8月戊辰(26日)条
延暦23年9月辛巳(10日)条
延暦23年10月癸丑(12日)条
延暦24年(805)6月丙辰(19日)条
延暦24年8月癸亥(27日)条
延暦24年11月己巳(4日)条
延暦24年11月壬申(7日)条
延暦24年12月甲寅(19日)条
大同元年(806)正月癸巳(28日)条
大同元年2月庚戌(16日)条
大同元年3月辛巳(17日)条
大同元年3月壬午(18日)条
大同元年4月甲午朔条
大同元年4月辛亥(18日)条
大同2年(807)2月辛酉(3日)条
大同3年(808)正月丁未(25日)条
大同3年4月己未(8日)条
大同3年5月庚寅(9日)条
大同3年5月乙未(14日)条
大同3年5月壬寅(21日)条
大同3年6月壬子朔条
大同3年6月庚申(9日)条
大同3年6月壬申(21日)条
大同3年7月己丑(9日)条
大同3年7月壬寅(22日)条
大同3年8月辛未(22日)条
大同3年11月甲午(17日)条
大同3年11月丙申(19日)条
大同3年11月甲辰(27日)条
大同4年(809)9月壬戌(19日)条
大同5年(810)正月戊申(7日)条
大同5年4月戊子(19日)条
大同5年8月戊子(20日)条
弘仁元年(810)9月癸卯(6日)条
弘仁元年9月丁未(10日)条
弘仁元年9月戊申(11日)条
弘仁元年9月壬子(15日)条
弘仁元年9月癸丑(16日)条
弘仁元年9月甲寅(17日)条
弘仁元年9月壬戌(25日)条
弘仁元年11月戊午(22日)条
弘仁2年(811)正月丙午(11日)条
弘仁2年4月丁亥(24日)条
弘仁2年5月丁未(14日)条
弘仁2年6月癸亥朔条
弘仁3年(812)正月丙寅(7日)条
弘仁3年正月丁卯(8日)条
弘仁3年正月辛未(12日)条
弘仁3年2月己亥(10日)条
弘仁3年6月戊子(2日)条
弘仁3年8月戊子(3日)条
弘仁3年9月壬午(27日)条
弘仁4年(813)正月辛酉(7日)条
弘仁4年正月己卯(25日)条
弘仁4年2月甲辰(21日)条
弘仁4年11月庚午(21日)条
弘仁5年(814)正月乙卯(7日)条
弘仁5年2月己亥(21日)条
弘仁5年7月丙午朔条
弘仁5年7月乙卯(10日)条
弘仁5年7月辛未(26日)条
弘仁5年9月庚辰(7日)条
弘仁5年11月癸未(11日)条
弘仁6年(815)正月己卯(7日)条
弘仁6年正月壬午(10日)条
弘仁6年正月丙戌(14日)条
弘仁6年3月甲申(13日)条
弘仁6年4月己卯(2日)条
弘仁6年4月己酉(8日)条
弘仁6年5月乙酉(15日)条
弘仁6年6月辛酉(22日)条
弘仁6年7月壬午(13日)条
弘仁6年8月戊申(10日)条
弘仁7年(816)正月癸酉(7日)条
弘仁8年(817)正月丁卯(7日)条
弘仁10年(819)正月丙戌(7日)条
弘仁10年7月戊寅(2日)条
弘仁11年(820)正月庚辰(7日)条
弘仁13年(822)正月己亥(7日)条
弘仁13年10月丁巳朔条
弘仁14年(823)正月癸亥(7日)条
弘仁14年4月辛亥(27日)条
弘仁14年10月辛丑(21日)条
弘仁14年11月庚午(20日)条
弘仁14年12月戊子(8日)条
天長元年(824)正月丁巳(7日)条
天長元年6月乙巳(28日)条
天長元年8月丁酉(21日)条
天長2年(825)正月辛亥(4日)条
天長2年4月丙戌(13日)条
天長2年6月辛巳(9日)条
天長2年12月壬寅(4日)条
天長3年(826)正月甲戌(7日)条
天長3年12月己未(27日)条
天長4年(827)正月癸未(21日)条
天長5年(828)正月甲子(7日)条
天長6年(829)正月戊子(7日)条
天長6年4月乙丑(16日)条
天長7年(830)正月壬午(7日)条
天長8年(831)正月癸卯(4日)条
天長9年(832)正月辛丑(7日)条
天長10年(833)正月乙未(7日)条
天長10年正月丁未(19日)条
天長10年2月丙子(19日)条
続後紀 天長10年(833)11月庚午(18日)条
承和元年(834)正月戊午(7日)条
承和元年2月甲午(13日)条
承和元年6月庚子(21日)条
承和元年11月乙丑(19日)条
承和2年(835)正月癸丑(7日)条
承和2年5月甲寅(10日)条
承和2年6月丁丑(3日)条
承和2年6月癸未(9日)条
承和2年7月癸亥(21日)条
承和3年(836)正月丁未(7日)条
承和3年正月戊申(8日)条
承和3年5月戊申(10日)条
承和3年5月戊申(10日)条
承和3年閏5月辛巳(13日)是日条
承和3年8月丁巳(21日)条
承和3年9月乙酉(19日)条
承和4年(837)6月辛酉(30日)条
承和5年(838)正月丙寅(7日)条
承和5年11月辛巳(27日)条
承和6年(839)正月庚申(7日)条
承和6年正月辛酉(8日)是日条
承和6年正月甲子(11日)条
承和6年2月庚午(18日)条
承和6年4月丙子(25日)条
承和6年10月癸酉(25日)条
承和7年(840)正月乙酉(8日)是日条
承和7年(840)正月丁未(30日)条
承和7年4月辛亥(6日)条
承和7年5月庚辰(5日)条
承和7年5月癸未(8日)条
承和7年7月乙未(22日)条
承和7年8月乙丑(22日)条
承和7年10月丁未(5日)条
承和8年(841)正月甲申(13日)条
承和8年4月乙巳(5日)条
承和8年11月丙辰(21日)是日条
承和8年11月丙辰(21日)条
承和9年(842)正月壬寅(7日)条
承和9年7月戊午(26日)条
承和9年8月壬戌朔条
承和9年8月甲戌(13日)条
承和9年12月庚午(10日)条
承和10年(843)正月辛丑(12日)条
承和10年正月壬子(23日)条
承和10年11月庚子(16日)条
承和11年(844)正月庚寅(7日)条
承和11年正月甲午(11日)条
承和11年8月乙未(15日)条(旧紀堤臣)
承和12年(845)正月甲寅(7日)条
承和12年正月戊午(11日)条
承和12年2月甲辰(27日)条
承和12年7月甲子(19日)条
承和12年8月丙子(2日)条
承和13年(846)正月己酉(7日)条
承和13年正月乙卯(13日)条
承和13年2月庚子(29日)条
承和13年5月癸亥(23日)条
承和13年5月丁卯(27日)条
承和14年(847)正月甲辰(7日)条
承和14年2月丁丑(11日)条
承和14年6月己酉(16日)条
承和14年12月乙巳(14日)条
承和15年(848)正月戊辰(7日)条
承和15年正月甲戌(13日)条
承和15年2月甲辰(14日)条
承和15年6月庚寅(3日)是日条
嘉祥元年(848)8月壬辰(6日)条
嘉祥2年(849)正月壬戌(7日)条
嘉祥2年正月戊辰(13日)条
嘉祥2年2月壬子(27日)条
嘉祥2年4月辛亥(28日)条
嘉祥3年(850)正月丙戌(7日)条
嘉祥3年正月甲午(15日)条
文実 嘉祥3年(850)4月己酉(2日)条
嘉祥3年10月甲子(2日)条
仁寿元年(851)正月甲申(11日)条
仁寿元年7月戊寅(8日)条
仁寿元年11月甲午(26日)条
仁寿2年(852)正月壬午(15日)条
仁寿2年2月乙巳(8日)条
仁寿2年2月壬子(15日)条
仁寿2年2月甲子(27日)条
仁寿2年2月乙丑(28日)条
仁寿2年11月己亥(7日)条
仁寿3年(853)正月戊戌(7日)条
仁寿3年正月丁未(16日)条
仁寿3年正月丁未(16日)条
仁寿3年3月戊午(28日)条
斉衡元年(854)正月壬辰(7日)条
斉衡元年正月辛丑(16日)条
斉衡元年11月癸未(2日)条
斉衡元年12月庚辰(29日)条(旧雀部朝臣・林朝臣)
斉衡2年(855)正月戊子(7日)条
斉衡2年正月己丑(8日)条
斉衡2年正月丙申(15日)条
斉衡2年7月丁未朔条
斉衡2年9月癸酉(27日)条
斉衡3年(856)正月辛亥(7日)条
斉衡3年正月丙辰(12日)条
斉衡3年9月丁卯(27日)条(春枝)
斉衡3年10月辛卯(21日)条
斉衡3年11月壬寅(3日)条
天安元年(857)正月丙午(7日)条
天安元年正月丁未(8日)条
天安元年正月癸丑(14日)条
天安元年2月甲申(16日)条
天安元年3月己亥(2日)条
天安元年4月庚寅(23日)条
天安元年5月甲辰(8日)是日条
天安元年(857)6月丙寅朔条
天安元年6月甲申(19日)条
天安元年9月辛亥(17日)条
天安元年9月辛酉(27日)条
天安元年11月壬戌(29日)条
天安元年12月壬申(9日)条
天安元年12月丁丑(14日)条
天安2年(858)正月庚子(7日)条
天安2年正月辛丑(8日)条
天安2年正月己酉(16日)条
天安2年2月戊辰(5日)条
天安2年2月辛卯(28日)条
天安2年6月癸卯(14日)条
三実 天安2年(858)8月27日乙卯条
天安2年9月23日辛巳条
天安2年11月7日甲子条
天安2年11月21日戊寅条
天安2年11月25日壬午条
貞観元年(859)3月4日庚申条
貞観元年3月26日壬午条
貞観元年4月21日丙午条
貞観元年7月14日丁卯条
貞観元年9月21日癸酉条
貞観元年11月19日庚午条
貞観元年12月27日戊申条
貞観2年(860)正月16日丁卯是日条
貞観2年2月25日丙午条
貞観2年8月15日壬辰条
貞観2年11月16日壬辰条
貞観3年(861)正月13日戊子条
貞観3年3月14日戊子条
貞観3年8月21日壬戌条
貞観4年(862)正月7日丙子条
貞観4年正月13日壬午条
貞観4年正月21日庚寅是日条
貞観4年2月11日庚戌条
貞観4年3月4日壬申条
貞観4年6月14日辛亥条
貞観4年12月27日辛酉条
貞観5年(863)正月7日庚午条
貞観5年2月10日癸卯条
貞観5年2月16日己酉条
貞観5年3月28日庚寅条
貞観6年(864)正月甲午7日条
貞観6年正月8日乙未条
貞観6年正月16日癸卯是日条
貞観6年正月28日乙卯条
貞観6年2月25日壬午条
貞観6年8月8日壬戌条(山村忌寸)
貞観6年10月14日丁卯条
貞観7年(865)正月27日己酉条
貞観7年2月2日甲寅条
貞観7年3月9日庚寅条
貞観7年3月28日己酉条
貞観7年4月辛亥朔是日条
貞観7年6月26日乙亥条
貞観8年(866)正月7日甲申条
貞観8年2月13日己未条
貞観8年9月22日甲子是日条
貞観8年11月29日庚午条
貞観9年(867)正月8日己酉条(旧山村忌寸)
貞観9年正月12日癸丑条
貞観9年2月11日辛巳条
貞観9年3月10日庚戌条
貞観9年11月20乙卯条(苅田首)
貞観10年(868)正月8日癸卯条
貞観10年正月16日辛亥条
貞観10年2月18日壬午条
貞観10年9月14日甲辰条
貞観11年(869)正月7日乙丑条
貞観11年正月8日丙寅条(旧山村忌寸)
貞観11年正月13日辛未条
貞観11年2月16日甲辰条(旧苅田首)
貞観11年4月13日庚子条(旧苅田首)
貞観11年9月7日辛酉条
貞観11年9月15日己巳条
貞観12年2月15日丁酉条
貞観12年2月21日癸卯条(旧苅田首)
貞観12年5月壬子朔条
貞観13年(871)8月25日己亥是日条(旧苅田首)
貞観14年(872)3月29日己亥条
貞観17年(875)6月23日甲戌条
貞観18年(876)8月13日丁巳条
貞観18年11月25日戊戌条(旧山村忌寸)
貞観18年11月28日辛丑条
元慶元年(877)正月3日乙亥条
元慶元年正月23日乙未条
元慶元年正月28日庚子条
元慶元年4月24日乙未条
元慶元年11月21日戊午条
元慶元年12月25日辛卯条(賜姓記事)
元慶2年(878)正月28日甲子条
元慶3年(879)正月7日丁酉条
元慶3年9月4日辛卯条(無姓)
元慶3年11月25日庚辰条
元慶5年(881)3月7日乙卯条
元慶5年5月13日庚申条
元慶7年(883)4月2日戊戌条
元慶7年11月10日癸酉条(旧山村忌寸ヵ)
元慶7年11月16日己卯条(無姓)
元慶7年12月27日己未条
元慶8年(884)11月25日壬午条
仁和元年(885)9月壬午朔条(無姓)
仁和2年(886)正月16日丙申是日条
仁和2年2月3日癸丑条
仁和2年5月28日丙午条(旧苅田首)
仁和3年(887)5月13日丙戌条
仁和3年6月8日庚戌条
式 諸陵寮4檜隈他遠陵条
三代格 1・神宮司神主禰宜事〈戸座猿女等附出〉・貞観18年(876)8月13日太政官符
3・僧尼禁忌事・延暦16年(797)2月2日太政官符
4・加減諸司官員幷廃置事〈雑任〉・延暦15年(796)8月2日太政官符
5・分置諸国事・弘仁14年(823)2月3日太政官謹奏
5・定官員幷官位事・延暦15年(796)10月28日太政官符
6・公粮事・大同5年(810)2月17日太政官符
8・調庸事・延暦15年(796)11月13日太政官符
12・諸使幷公文事・延暦16年(797)正月23日太政官符
12・諸使幷公文事・大同5年(810)3月28日太政官符
12・諸使幷公文事・斉衡2年(855)9月23日太政官符
12・諸使幷公文事・大同5年(810)3月28日太政官符
12・正倉官舎事・弘仁2年(811)9月24日太政官符
14・雑米事・延暦15年(796)10月21日太政官符
15・損田幷租地子事・延暦15年(796)12月28日太政官符
15・職田位田公廨田事・延暦9年(790)8月8日太政官符
16・船瀬幷浮橋布施屋事・延暦15年(796)11月21日太政官符
16・山野薮沢江河池沼事・貞観3年(861)3月13日太政官符
18・国飼幷牧馬牛事・延暦15年(796)10月22日太政官符
18・材木事・延暦15年(796)9月26日太政官符
万 4・0643-45
4・0762-63
4・0769
4・0775-85
5・0815
6・0990
8・1452
8・1460-61
8・1503
8・1510
8・1549
8・1648
8・1661
17・3923
17・3924
19・4257-59
姓 左京皇別上
右京皇別上
山城国皇別(日佐)
大和国皇別(日佐)
摂津国皇別(坂本臣)
和泉国皇別(坂本朝臣)
旧 7・天皇本紀(孝元)
10・国造本紀
霊 下・25漂流大海敬称尺迦仏名得全命縁
※は「紀…宿禰」
始祖
木角宿禰
後裔氏族
紀朝臣
説明
大夫(マエツキミ)を輩出した古代豪族のひとつ。木は紀と表記するのが一般的。天武13年(684)に朝臣姓を賜った。『古事記』では、木角宿禰(武内宿禰の子)の後裔氏族として掲げられるだけで、木角宿禰や木臣の活躍が記されることはない。これに対して『日本書紀』では、系譜上の位置は示されないものの、紀角宿禰や紀臣に関する記事は多い。まず紀角宿禰について、『日本書紀』は応神期と仁徳期の二度にわたって百済に派遣された人物と伝える。両度とも百済の無礼を叱責する役回りを演じ、とくに応神3年是歳条では、殺された辰斯王に代わって阿花王を擁立している。次いで登場するのは紀小弓宿禰で、雄略期に大将軍として新羅に派遣され奮戦したが、陣中で病没したとされる。その報せを受けた子の大磐宿禰(生磐宿禰)は、新羅に渡って遠征軍の指揮を掌握したが、その専制的な振舞いから内紛を起こしている。なお小弓宿禰は新羅出兵前に吉備上道の采女の大海を娶っており、大海は小弓宿禰の喪に服して帰国すると、大連であった大伴室屋を通じて、小弓宿禰の葬地を賜りたいと願い出ている。天皇は小弓宿禰の功績を讃えて、土師連小鳥を派遣して田身輪邑に墳墓を築かせたという。ただしこの伝承には、大海が喜んで室屋に韓奴を送った話が続いており、大伴連が吉備上道蚊嶋田邑の家人部(韓奴の末裔)を支配する正当性を示す伝承としての側面が強い。また生磐宿禰は顕宗期にも朝鮮半島にあって、任那を根拠地として高句麗と通じ、みずからを「神聖」と称して三韓(新羅・百済・任那)の王になろうとしたが、これは百済によって阻止されている。のちに任那が新羅によって滅ぼされると、その復興を目的とした派兵が繰り返されることになるが、そのなかで欽明期と崇峻期の2度、紀男麻呂宿禰が大将軍に任じられている。なお男麻呂宿禰は物部守屋の討伐にも加わっており、そこでは同じ武内宿禰後裔氏族の蘇我馬子と軍行をともにしている。以上のように、推古期以前の紀臣に関する伝承は、対朝鮮外交に関するものがほとんどである。また欽明期には紀臣と韓奴の子である紀臣奈率弥麻沙の存在が記され、弥麻沙は現地に留まって百済の官僚として活躍している(奈率は百済の官位)。
それに対して推古期以降の紀臣は、中央政界での活躍が著しい。推古天皇が没したのち、田村皇子(のちの舒明天皇)と山背大兄王との間で後継者をめぐる問題が発生したが、そこで山背大兄王を推薦した群臣のなかに紀臣塩手の名がみえる。また大化改新後に東国国司に任じられた麻利耆拕(乎麻呂岐太)は、大化2年(646)に勤務上の罪を責められているが、白雉元年(650)には改元のきっかけとなった白雉の輿を執っており、失脚したわけではなかったらしい。右大臣蘇我倉山田石川麻呂が讒言によって自死した際、山田寺に派遣された人物にも木臣(紀臣)がいた。天智10年(671)には大人が御史大夫(左右大臣に次ぐ地位)に任じられ、病床に臥す天智天皇に大友皇子を支えることを誓っている。しかし自死した蘇我果安を除く近江朝廷の大臣・御史大夫のなかで、大人のみが壬申の乱後に断罪された形跡がなく、そのため大海人皇子(のちの天武天皇)に内通していたともされる。壬申の乱では大海人皇子に従った氏人も多く、阿閇麻呂は東道将軍として乱で活躍し、天武3年(674)の死に際しては大紫位を贈られた。堅麻呂(訶多麻呂)も同様に、天武8年(679)の死に際して大錦上位を贈られている。また大音は大伴吹負の麾下にあって、別動隊の坂本財を救う活躍をみせている。このような壬申の乱での活躍によって、天武・持統期における紀臣(天武13年以降は朝臣)の地位は確固たるものとなった。天武天皇が亡くなると殯庭で誄がおこなわれたが、それぞれ真人が膳職のことを、弓張が民官のことを担当している。奉誄儀礼について、1氏族から2名が選ばれるのは異例であり、ここからも天武・持統期における紀朝臣の地位が推察されよう。のちに文武天皇が即位すると、紀朝臣からは竃門の娘が嬪として入内した。また大宝令施行直前には、石上麻呂・藤原不比等と並んで、麻呂が大納言に任じられている。しかし慶雲2年(705)に麻呂が没すると、紀朝臣の勢力は大きく後退した。こののちも叙爵者は多数確認できるが、議政官は天平15年(743)に麻路(麻呂の子)が参議に列するまで、約40年間にわたって途絶えている。麻路は最終的に中納言まで昇ったが、その没年は判然としない。次いで天平宝字元年(757)に飯麻呂が参議となっており、後代に成立した『公卿補任』はこの年を麻路の没年としている。その後しばらく議政官が途絶えるが、紀朝臣出身の橡姫を母にもつ光仁天皇が即位したことで、紀朝臣の勢力は再び拡大し、広庭・広純・船守・家守・古佐美らが議政官に達した。船守・古佐美は大納言まで昇進し、ことに桓武天皇に寵愛された船守は、没後に右大臣を追贈されている。また奈良時代以降の紀朝臣は武門的性格を有しており、飯麻呂は藤原広嗣の乱に際して副将軍に任じられている。また船守系の勝長・興道は歩射に優れ、諸儀式が整備されていった時代にあって射礼の容儀を確立した。ただし陸奥鎮守将軍に任じられた広純は、在任中に発生した伊治呰麻呂の乱で殺され、征東大将軍に任じられた古佐美も、阿弖流為に大敗して桓武天皇の叱責を受けている。
光仁・桓武期以降も議政官を輩出し続けた紀朝臣であったが、承和2年(835)に参議に列した百継がその翌年に没すると、再び議政官に列する氏人が途絶えることになる。紀名虎の娘静子は文徳天皇に入内し、第一皇子の惟喬親王を産んだが、のちに藤原明子が惟仁親王(のちの清和天皇)を産んだため、惟喬親王が皇位を継承することはなかった。さらに応天門の変に連座して氏人の豊城・夏井らが流罪になったことも、紀朝臣の衰退に大きく影響したものと考えられる。そのなかで文章生から立身した長谷雄は、宇多・醍醐両天皇に重用されて中納言まで昇進し、それを継いだ淑光も参議に列している。しかしこの繁栄も長くは続かず、淑光以降は紀朝臣が議政官を輩出することはなかった。同時代には『古今和歌集』の編者である友則・貫之などの優れた歌人が世に出ており、すでに紀朝臣は文筆の世界に活躍の場を移していたともいえよう。
「紀」をウヂ名とする氏族としては、紀臣のほかに紀直(のちに紀宿禰)がいる。『新撰氏姓録』によれば、紀直は天道根命の後裔氏族とされ、系譜上は紀臣とは別の氏族ということになる。紀直は紀伊国造として日前・國懸神宮を奉斎しており、紀伊国名草郡が本拠地と推測される。これに対して紀臣は「延喜式神名帳」に「平群坐紀氏神社」がみえることから、大和国平群郡が本拠地とみなされている。ただし延暦23年(804)の紀伊行幸において、紀朝臣が前後次第司にそれぞれ1人ずつ配され、紀伊国司とは別枠で叙位に預かっていることから、紀臣が紀伊国と密接なかかわりをもつ氏族であったことも間違いない。そのため紀臣と紀直はかつて同一の集団(「紀氏集団」)であり、ある時期に平群谷に進出した集団が紀臣となったとされる。ただし移住の時期については5~7世紀の諸説があり、また平群谷を本拠地とした雄族の平群氏とは共存していたのか、あるいは進出に際して駆逐したのかも判然としない。『日本書紀』にみえる紀臣の伝承には、「紀…宿禰」という臣姓を称さない氏人が頻出するが、それらを分裂以前の「紀氏集団」にかかわる伝承とみる説も存在する。紀伊国は豊富な船材に恵まれており、「紀氏集団」は造船・航行技術を背景として対朝鮮外交で活躍し、倭王権内での地位を確固たるものとしていった。関係する氏族が讃岐・伊予・豊前などに分布することから、瀬戸内海航路のひとつを掌握していたと考えられ、その兵站基地として和歌山県和歌山市の鳴滝倉庫群が推測されている。ただし兵站基地としての機能は5世紀中葉には難波倉庫群へと移行しており、このことが「紀氏集団」内の勢力に影響を与えたと考えられる。なお紀宿禰のうち紀伊国造を継承した系統は、天元年間(978~983)に紀朝臣から養子を迎えており、それ以降は朝臣姓を称している。
参考文献
岸俊男「紀氏に関する一試考」(『日本古代政治史研究』塙書房、1966年5月、初出1963年2月)
石岡久夫「紀氏の部門的地位とその射芸」(『國學院雑誌』67-1、1966年1月)
薗田香融「古代海上交通と紀伊の水軍」(『日本古代の貴族と地方豪族』塙書房、1992年1月、初出1970年1月)
栄原永遠男「紀朝臣と紀伊国」(『紀伊古代史研究』思文閣出版、2004年11月、初出1982年12月)
高島正人「奈良時代の紀朝臣氏」(『奈良時代諸氏族の研究―議政官補任氏族―』吉川弘文館、1983年2月)
戸田秀典「平群氏と紀氏」(橿原考古学研究所編『橿原考古学研究所論集』第7、吉川弘文館、1984年12月)
栄原永遠男「紀氏再考」(『紀伊古代史研究』思文閣出版、2004年11月、初出1988年3月)
栄原永遠男「鳴滝倉庫群と倭王権」(『紀伊古代史研究』思文閣出版、2004年11月、初出1994年1月)
中村修「平群谷の紀氏」(『海民と古代国家形成史論』和泉書院、2013年1月、初出2005年6月)
寺西貞弘「畿内政権と紀伊国造―紀直氏と紀朝臣氏―」(『紀氏の研究―紀伊国造と古代国家の展開―』雄山閣、2013年、初出2011年9月)
岸田臣
木国之酒部阿比古
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