氏族データベース
岸田臣
- 読み
- きしだのおみ
- ローマ字表記
- Kishidanoomi
- 登場箇所
- 孝元記
- 他文献の登場箇所
- 紀 大化2年(646)3月辛巳(19日)条
天智天皇即位前紀・斉明7年(655)是歳条
天武13年(684)11月戊申朔条
続紀 天平宝字8年(764)10月庚午(7日)条
文実 天安元年(857)8月辛未(7日)条
姓 右京皇別上
- 始祖
- 蘇賀石河宿禰
- 後裔氏族
- 岸田朝臣
- 説明
- 武内宿禰後裔氏族のひとつ。岸田は涯田とも書く。天武13年(684)に朝臣姓を賜った。『古事記』では、蘇我石河宿禰(武内宿禰の子)の後裔氏族として、蘇我臣と同族関係にあったとされる。『新撰姓氏録』はウヂ名の由来を岸田村に居したことに求めており、この岸田村は大和国山辺郡岸田の地に比定されている。また平安時代には摂津国にも居住したことが確認できる。涯田臣(名は不詳)は大化元年(645)に派遣された東国国司のひとりであったが、倭国にあって官刀を盗まれたことを責められている。また斉明7年(661)には、播磨国司の岸田臣麻呂が宝剣を献上する記事がみえる。令制以後の活動としては、天平10年(738)の「駿河国正税長」に駿河国史生として従八位下の岸田朝臣継手の名がみえる。のちに継手は天平宝字8年(764)の仲麻呂追討に功績があり、正六位上から従五位下に叙されている。ただし史料上から確認できる岸田氏の叙爵者はこの継手だけで、その多くは下級官人として活動に終始したと考えられる。
- 参考文献
- 佐伯有清『新撰姓氏録の研究』考証篇、第2(吉川弘文館、1982年3月)
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