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三野之稲置

読み
みののいなき
ローマ字表記
Minonoinaki
登場箇所
安寧記
他文献の登場箇所
-
始祖
後裔氏族
-
説明
 伊賀国伊賀郡を本拠地とした氏族。『古事記』では安寧記の系譜記事に、師木津日子命(安寧天皇の御子)に連なる氏族として名が挙げられている。『日本書紀』持統3年(689)8月丙申(16日)条に「身野」が禁猟地に設定されたとあり、宣長以来この「身野」が三野之稲置の本拠地に比定されている。始祖を同じくする伊賀須知之稲置や那婆理之稲置の本拠地は名張郡に比定されており、名張郡と伊賀郡が隣接することを踏まえれば、この説は首肯できるものであろう。「身野」は現在の名張市美旗付近に比定されている。河内国を本拠地とした三野県主(美努連・宿禰)、備前国を本拠地とした三野臣、敏達天皇の後裔氏族・路真人より分枝した三野真人、百済系渡来氏族の三野造はいずれも別族である。なお、始祖である「孫」(『古事記』本文では「一子孫者」)の解釈をめぐっては、大きく分けて二つの説が並立している。ひとつは「子孫」を御子と解釈する説であり、注釈によっては「孫」を衍字とするものもある。この説が正しいとすれば、三野之稲置の始祖の名は脱漏して伝わっていないことになる。もうひとつは「孫」を人名とする説であり、「ヒコ」「ウマゴ」などと訓じられる。それが後世に子孫の意と誤読されたことによって、尊称の「命(ミコト)」の字が脱漏したものと推測されている。いずれにせよ該当部分には何らかの脱漏を想定する必要があり、現時点で正否を判断することは困難といえる。
参考文献
本居宣長『古事記伝』21之巻(大野晋編『本居宣長全集』第10巻、1968年11月、初出1822年)
中貞夫『名張の歴史』上巻、第2編第1章(名張地方史研究会、1960年3月)
西宮一民編『古事記』(桜楓社、1973年)
倉野憲司『古事記全注釈』第5巻、中巻篇(上)(三省堂、1978年4月)
山口佳紀 神野志隆光校注・訳『古事記』新編日本古典文学全集1(小学館、1997年6月)

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