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豊日別

読み
とよひわけ
ローマ字表記
Toyohiwake
別名
-
登場箇所
上・国生み神生み
他の文献の登場箇所
旧 豊日別(陰陽本紀)
梗概
 伊耶那岐神・伊耶那美神が生んだ大八島国の第四の島、筑紫島は、身一つに面が四つあり、その四つのうち、筑紫国を白日別といい、豊国を豊日別といい、肥国を建日向日豊久士比泥別といい、熊曾国を建日別という。
諸説
 豊国は、豊前国と豊後国に当たり、七世紀末頃に二国に分けられた。
 「豊国」という国名の由来は、『豊後国風土記』に次のような起源説話を載せる。景行天皇の時代、豊国直らの祖である菟名手が、豊国を治めるよう命じられ、下向して豊前国仲津郡中臣村で宿泊した。明け方、北から白い鳥が飛来し集まってきたので、部下の者に見させると、鳥は餅に化し、さらに大量の芋となって花や葉が栄えた。その吉事を奏上した所、天皇は喜んで「天の瑞物、地の豊草なり。汝の治むる国は、豊国と謂ふべし」といい、菟名手には豊国直の姓を与え、国名を豊国というようになった、という。この説話は必ずしも史実とは認めがたいが、この国名が実際にどんな由来を持つかは、現在も定かではない。
 豊日別の名義について、「豊日」は光豊かな太陽の意とする説や、国名に由来するという説がある。筑紫島の国々の持つ名前に、みな「日」がついていることにも注意される。
 「別」という称号は古代の人名に見られ、岐美二神の生んだ島やその国の名前にワケ・ヒコ・ヒメとつくのは擬人的な命名であると論じられている。国生みの伝承の中で、島や国に擬人名を持つ『古事記』の伝承は天武天皇朝以後の新しい形態であると論じられているが、「別」のつく神名の成立については、歴史上の「別」の性格とからめて論じられており、大化改新前後までに形成されていた皇子分封の思想、すなわち、『古事記』『日本書紀』で景行天皇が諸皇子に諸国郡を封じたのが「別」の起こりとしているように、「別」が天皇や皇子の国土統治を象徴するようになっていたことに基づく命名で、七世紀以後にできたものとする説がある。一方、大化以前の実在の姓や尊称という見方を否定し、ワクという分治の意味の動詞から発して、天皇統治の発展段階にふさわしい称号として採用、ないし創作されて伝承上の神名や人名に対して附加されたものと見なし、『古事記』の編集理念に基づいた称号体系の一環と考える説もある。
参考文献
倉野憲司『古事記全註釈 第二巻 上巻篇(上)』(三省堂、1974年8月)
西郷信綱『古事記注釈 第一巻(ちくま学芸文庫)』(筑摩書房、2005年4月、初出1975年1月)
『古事記(新潮日本古典集成)』(西宮一民校注、新潮社、1979年6月)
佐伯有清「日本古代の別(和気)とその実態」(『日本古代の政治と社会』吉川弘文館、1970年5月、初出1962年1~3月)
川副武胤「「日子」(二)「国」「倭」「別」の用法」(『古事記の研究』至文堂、1967年12月)
倉野憲司「筑紫・熊襲・日向」(『稽古照今』桜楓社、1974年10月、初出1972年5月)
西宮一民「古事記行文注釈二題―「禊祓」条と「天孫降臨」段―」(『倉野憲司先生古稀記念 古代文学論集』桜楓社、1974年9月)
荻原千鶴「大八嶋生み神話の〈景行朝志向〉」(『日本古代の神話と文学』塙書房、1998年1月、初出1977年3月)

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