神名データベース

神名データベース凡例

国之常立神

読み
くにのとこたちのかみ
ローマ字表記
Kuninotokotachinokami
別名
-
登場箇所
上・初発の神々
他の文献の登場箇所
紀 国常立尊(一段一書一・二・四・五・六、二段一書二、三段本書)/国底立尊(一段一書一・三)
旧 国常立尊(神代系紀)/国狭立尊(神代系紀)/国狭槌尊(神代系紀)/葉木国尊(神代系紀)
梗概
 神世七代の初代の神で、独神(ひとりがみ)となって身を隠した。
諸説
 神名は、先に出現した天之常立神と対応するが、天之常立神が別天神に属するのに対して、国之常立神は神世七代に属している所に、両者の関係性の問題がある。その分類について、天之常立神までの別天神は天上の事柄にのみまつわる神であり、国之常立神以下の神世七代は、国生みを行う岐美二神の出現を目指して国土に関わってくる神であるという違いがあるとする説がある。
 『古事記』における神世七代の意義については、伊耶那岐神・伊耶那美神の誕生を到達点として、それに到る過程を神々の生成によって発展的に表現したものとして捉える解釈が多い。その過程の意味する所については、(1)国土の形成を表すとする説、(2)地上の始まりを担う男女神の身体(神体)の完成を表すとする説、(3)地上に於ける人類の生活の始原を表すとする説などがある。
 国之常立神の名義は、「常立」を文字通りに、恒久(常)、とどまる(立)の意味にとって、国土(国)に恒久にとどまる神と解して、国土の根源神とする説があるが、上代語では「常(とこ)」が動詞を修飾する用法が見いだされないという指摘がある。また、「常」を「床」と取って土台の意、「立」を現れる意に取って、土台すなわち大地の出現を表す神名とする説がある。一方、神世七代は伊耶那岐神・伊耶那美神の生成過程を述べているとする立場から、大地の形成は岐美二神の修理固成によって初めてなされるのであって、ここではまだ大地が形成されるべき段階ではないとする批判がある。よって、トコタチとは、神々や大地・国土が生成されるための土台となる根源的空間の出現を意味し、国之常立神は、そのような観念的な場の成立を意味するという説がある。またこれに対して、上代語のトコは一般的な土台の意味ではなく、寝たり座ったりする場所のことで、なかんずく歌謡には男女同衾の場としての例が多く、それは、男女交合の場、生殖を準備する場として捉えられるという指摘がある。従って、この神名のトコは土台ではなく、生殖・誕生の場というイメージに基づく神々生成の場を意味しているとも論じられている。この場合、トコの第一義が「床」だとしても、表記に「常」の字が当てられていることには、その空間の恒久性が含意されていると考えられるという。
 また、この神は「独神成坐而隠身也(ひとりがみとなりまして、みをかくしき)」とも記されている。「独神」は、神世七代で出現する男女の対偶神に対する単独の神と解される。「隠身」の意味は明確でなく、「隠(かく)り身」という読み方も考えられている。「隠身」の解釈には、身体を持たない抽象神のこととする説があるが、中には身体を持つ描写のある「隠身」の神もいることから批判もある。また、神々の顕現する世界から幽界に退場することを表すとして、顕界の神々に対してその権威を譲渡し、姿を見せずに司令や託宣などの形で関わるようになることをいうとする説があり、「隠身」という記述には、天地の始まりの神々の権威を抑えることで、天照大御神の権威の絶対性を確保する意図があるという。また、「身」は生むことに関連すると捉え、身体を備えた岐美二神が、男女の身体を使って国や神を生む行為をするのに対して、「隠身」の神は、みずからの身をもって行動しない存在として位置付けられるという説がある。
 なお、『日本書紀』では、この神は「国常立尊」、または別名「国底立尊」として第一段の全ての所伝に見えるが、第一段本書・一書一・四・五では、天地開闢の最初に生まれた神として登場しており、名を対にする「天常立尊」は一書六にのみ出ている。国常立尊を最初の神としているのは、『日本書紀』の編者が、天界よりも現実の国土の始まりに関心を寄せていたためとする説がある。
参考文献
山田孝雄『古事記上巻講義 一』(志波彦神社・塩釜神社古事記研究会編、1940年2月)
倉野憲司『古事記全註釈 第二巻 上巻篇(上)』(三省堂、1974年8月)
西郷信綱『古事記注釈 第一巻(ちくま学芸文庫)』(筑摩書房、2005年4月、初出1975年1月)
『古事記(新潮日本古典集成)』(西宮一民校注、新潮社、1979年6月)
『古事記(日本思想大系)』(青木和夫・石母田正・小林芳規・佐伯有清校注、岩波書店、1982年2月)
『古事記(日本の文学 古典編 1)』(金井清一校注・訳、ほるぷ出版、1987年7月)
神野志隆光・山口佳紀『古事記注解2』(笠間書院、1993年6月)
吉井巌「古事記における神話の統合とその理念―別天神系譜より神生み神話への検討―」(『天皇の系譜と神話』塙書房、1967年11月、初出1965年5月)
大野晋「記紀の創世神話の構成」(『仮名遣と上代語』岩波書店、1982年2月、初出1965年8月)
神野志隆光「ムスヒの神―「神代」を見通す意識―」(『古事記の達成』東京大学出版会、1983年9月、初出1977年11月)
井手至「古事記創生神話の対偶神」(『遊文録 説話民俗篇』和泉書院、2004年5月、初出1978年3月)
安津素彦「「カクリミ」か「ミミヲカクシマス」か」(『古事記年報』23、1981年1月)
金井清一「神世七代の系譜について」(『古典と現代』49号、1981年9月)
神野志隆光「「神代」の始発」(『古事記の達成』東京大学出版会、1983年9月、初出1982年)
中村啓信「神代紀一書をどう見るか―神世七代章をめぐって―」(『國文學 解釈と教材の研究』29巻11号、1984年9月)
青木周平「「国常立尊」注釈史断章」(『青木周平著作集 下巻 古代文献の受容史研究』おうふう、2016年5月、初出1985年3月)
金井清一「身を隠したまふ神」(『古典と現代』53号、1985年9月)
神野志隆光「ムスヒのコスモロジー―『古事記』の世界像―」(『古事記の世界観』吉川弘文館、1986年6月)
金井清一「神世七代(『古事記』の〈神代〉を読む)」(『國文學 解釈と教材の研究 』33号、1988年7月)
西宮一民「構造論的解釈と文脈論的解釈―冒頭の創世神話を中心として―」(『古事記・日本書紀論集』続群書類従完成会、1989年12月)
斎藤静隆「『日本書紀』神代巻冒頭部の構成」(『國學院雑誌』92巻1号、1991年1月)
寺川真知夫「『古事記』冒頭部と天神諸」(『古事記神話の研究』塙書房、2009年3月、初出1997年1月)
松本直樹「ムスヒ二神の「隠身」について」(『古事記神話論』新典社、2003年10月、初出1999年1月)
宮本明子「伊邪那岐・伊邪那美の婚姻―神世七代についての考察」(『日本文学論叢(法政大学大学院)』30巻、2001年3月)
出雲路修「俱生の神 国常立尊」(『文学』8巻1号、2007年1月)
尾崎知光「記紀の国初の神譜と別天神」(『愛知県立大学説林』55号、2007年3月)
北野達「「高天原に成りませる神」と「萌え騰る物に因りて成りませる神」」(『古事記神話研究―天皇家の由来と神話―』おうふう、2015年10月、初出2010年3月)
谷口雅博「『古事記』神話の「身」を考える」(『古代文化研究』33号、2011年3月)
『古典基礎語辞典』(大野晋編、角川学芸出版、2011年10月)
北野達「隠身の神」(『古事記神話研究―天皇家の由来と神話―』おうふう、2015年10月、初出2011年11月)
岸根敏幸「『古事記』神話と『日本書紀』神話の比較研究―特に別天つ神、神世七代、および、国生みをめぐって―」(『福岡大学人文論叢』44巻4号、2013年3月)

神名データベース トップへ戻る

先頭