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笠沙之御前

読み
かささのみさき
ローマ字表記
Kasasanomisaki
登場箇所
上巻・天孫降臨、上巻・邇々芸命の結婚
住所
鹿児島県南さつま市笠沙町 地図を表示
緯度/経度
北緯 31°24'32.8"
東経 130°06'29.6"
説明
 高天原から降臨した邇々芸命が木花之佐久夜毘売と出会った地。
 『古事記』には「笠沙之御前」としか書かれていないため、それだけでは場所を比定するのは難しく、現実との厳密な対応を追求するべきではないとの向きもある。
 『日本書紀』九段の対応箇所では、「吾田の長屋の笠沙の碕」(正文・一書四)「吾田の笠沙の碕」(一書六)とある。「吾田」は薩摩国阿多郡(『和名類聚抄』二十巻本)、今の鹿児島県南さつま市にあたり、木花之佐久夜毘売の別名「神阿多都比売(『古事記』)/ 神吾田津姫(『日本書紀』)」とも関連するとみられている。また、「長屋」も同市内の長屋山(ちょうやさん)に名が残っている。以上のことから、「笠沙の碕」は南さつま市笠沙町の野間岬であると比定するのが一般的である。ただし、この地の国神として登場する事勝国勝長狭(九段正文・一書二、四、六)の「ナガサ」に影響されて「カササ」という語がつくられたと考え、現実の地名かどうかは疑わしいという見方もある。
 『古事記』では邇々芸命が天降った時に、「此地は、韓国に向ひ、笠沙の御前を真来通りて、朝日の直刺す国、夕日の日照る国ぞ。故、此地は、甚吉き地」と国褒めして、そこに宮殿を建てた。対して『日本書紀』では、「槵日の二上の天浮橋より、浮渚在平処に立たして、膂宍(そしし)の空国(むなくに)を頓丘(ひたを)より覓国(くにま)ぎ行去(とほ)り、吾田の長屋の笠沙の碕に到ります」(九段正文)とあるように、降り立った地から遊行し、よい国を求めて到ったのが「笠沙の碕」であり、同じ文脈で語られているわけではないことを視野に入れておく必要がある。
URL
備考
本居宣長『古事記伝』(『本居宣長全集 第10巻』筑摩書房、1968年11月)
日本大辞典刊行会編『日本国語大辞典 第4巻』(小学館、1973年7月)
西郷信綱『古事記注釈 第四巻(ちくま学芸文庫)』(筑摩書房、2005年10月、初出1976年4月)
西宮一民(校注)『古事記(新潮日本古典集成)』(新潮社、1979年6月)
青木和夫・石母田正・小林芳規・佐伯有清(校注)『古事記』(日本思想大系、岩波書店、1982年2月)
「角川日本地名大辞典」編纂委員会(編)『角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』(角川書店、1983年3月)
小島憲之・直木孝次郎・西宮一民・蔵中進・毛利正守(校注・訳)『日本書紀(1)』(新編日本古典文学全集、小学館、1994年4月)
山口佳紀・神野志隆光(校注・訳)『古事記』(新編日本古典文学全集、小学館、1997年6月)
角川文化振興財団(編)『古代地名大辞典』(角川書店、1999年3月)
西宮一民(編)『古事記 修訂版』(おうふう、2000年11月)

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