國學院大学 「古典文化学」事業
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和訶羅河
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地名データベース凡例
和訶羅河
読み
わからがは/わからがわ
ローマ字表記
Wakaragawa
登場箇所
崇神記・建波邇安王の反逆
住所
京都府木津川市
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緯度/経度
北緯 34°44'34.7"
東経 135°49'01.2"
説明
大毘古命と日子国夫玖命が、反逆者とされた建波邇安王を討伐するため山代(山背)を訪れた時に到った河。両軍がこの河を挟んで対峙し、互いに戦いを「挑(いど)む」様子から、その地を「伊杼美(いどみ)」と呼ぶようになったといい、「今は伊豆美(いづみ)と謂ふぞ」と注記される。
また、『日本書紀』崇神天皇条には、輪韓河(わからがは)で両軍が互いに戦いを「挑(いど)む」様子から、当時の人がその川を改めて挑河(いどみがは)と名付け、転訛して泉河(いづみがは)となったとする記述がある。
上記の記紀の伝承にあるように、和訶羅河は古名であり、『万葉集』においては基本的に「泉河」「伊豆美乃河波(いづみのかは)」と表記される。泉川は現在京都府を流れる木津川のことと解されている。また、仁徳記で「山代川」(記57番歌)と詠まれる木津川の上流に、泉河という支流があったとみて、和訶羅(わから)河を「分れ川」、つまり支流の意とする説がある。
泉河(和訶羅河)は水量が豊富なことから水運に利用され、『万葉集』の歌にも「…泉の川の 水脈絶えず…」(17・3908)と水が絶えない様子が詠まれている。
URL
備考
本居宣長『古事記伝』23(『本居宣長全集 第11巻』筑摩書房、1969年3月)
神田秀夫『新注 古事記』(大修館書店、1968年4月)
西宮一民(校注)『古事記(新潮日本古典集成)』(新潮社、1979年6月)
西郷信綱『古事記注釈 第五巻(ちくま学芸文庫)』(筑摩書房、2005年12月、初出1988年8月)
山口佳紀・神野志隆光(校注・訳)『古事記(新編日本古典文学全集)』(小学館、1997年6月)
角川文化振興財団(編)『古代地名大辞典』(角川書店、1999年3月)
尾畑喜一郎(編)『古事記事典』(おうふう、1988年9月)
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和那美之水門
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