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依網池

読み
よさみのいけ
ローマ字表記
Yosaminoike
登場箇所
垂仁記・初国を知らす天皇、応神記・髪長比売、仁徳記・后妃御子と御名代
住所
大阪府大阪市住吉区庭井町 地図を表示
緯度/経度
北緯 34°35'41.4"
東経 135°31'04.8"
説明
 崇神天皇の治世に造られた池。
 『和名類聚抄』に摂津国住吉郡大羅〔於保与佐美(おほよさみ)〕(現・大坂市住吉区)、河内国丹比郡依羅〔与左美(よさみ)〕(現・松原市)という地名があることから、現在の大阪市住吉区庭井町・我孫子町から堺市常磐町・北花田町・松原市天美西町までを比定地とする説が通説となっていた。しかし、近年の遺跡調査において、依網池の範囲とされていた堺・松原両市の市境から難波大道と推定される古道跡が発見されたことから、現在は堺・松原両市の市境以西とする説が妥当とされている。なお、新説の範囲には『延喜式』神名帳・摂津国住吉郡に見られる「大依羅(おほよさみ)神社」(現・大阪市住吉区庭井町)の所在地も含まれているとされ、この神社を依網池の比定地として捉える説もある。
 応神記に「水溜る 依網池の…」(記44番歌)とあり、依網池は灌漑用の溜め池であるとみる説が一般的である。仁徳記においても「依網池」という名の池を造った記事があるが、崇神天皇の治世に造られた池を修理して造り直したと解するのが有力である。『日本書紀』崇神天皇六十二年七月条には、農業促進のため灌漑用の池造営を指示する詔発令と、その後の「依網池」造営記事がある。更に推古天皇十五年七月条においても「依網池」造営記事があり、複数「依網池」造営記事が存在する中で考古学調査等から実際の造営年代を推古朝に設定する説がある。灌漑用の貯水池造営技術は農業上の技術としてかなり進んだものとされ、その土木工事には大陸から渡来した人々が優れた技術をもって当たったと解釈されている。また、大和河の氾濫を防ぐ目的で依網池が作られたとする説もある。
 かつて広範囲に及んだ依網池が現在では縮小され、その北東に大依羅神社があるとする説により、今仮にこの神社を比定とした。
URL
備考
本居宣長『古事記伝』22(『本居宣長全集 第10巻』筑摩書房、1968年11月)
倉野憲司『古事記全註釈 第五巻 中巻篇(上)』(三省堂、1978年4月)
西宮一民(校注)『古事記』(新潮日本古典集成、新潮社、1979年6月)
倉野憲司『古事記全註釈 第七巻 下巻篇』(三省堂、1980年12月)
青木和夫・石母田正・小林芳規・佐伯有清(校注)『古事記』(日本思想大系、岩波書店、1982年2月)
松原市史編さん委員会(編)『松原市史 第1巻』(松原市役所、1985年12月)
新修大阪市史編纂委員会(編)『新修 大阪市史 第1巻』(大阪市、1988年3月)
西郷信綱『古事記注釈 第五巻』(ちくま学芸文庫、筑摩書房、2005年12月、初出1988年8月)
坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋(校注)『日本書紀㈠』(岩波文庫、岩波書店、1994年9月)
小島憲之・直木孝次郎・西宮一民・蔵中進・毛利正守(校注・訳)『日本書紀(2)』(新編日本古典文学全集、小学館、1996年10月)
山口佳紀・神野志隆光(校注・訳)『古事記』(新編日本古典文学全集、小学館、1997年6月)
角川文化振興財団(編)『古代地名大辞典』(角川書店、1999年3月)

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