活動報告

令和8年度「古典文化学」公開講演会「神社の由緒と歴史-神武聖蹟と地域社会-」を開催しました

2026.07.16

 令和8年7月4日(土)に宮崎県宮崎市で、令和8年度公開講演会「神社の由緒と歴史-神武聖蹟と地域社会-」を開催しました。五神宮会(英彦山神宮、霧島神宮、鹿兒島神宮、鵜戸神宮、宮﨑神宮)と連携し、「九州の神話と神社」を主題に三ヵ年で行っているもので、本年度が締めの3年目となります。
 本講演会では黒岩昭彦(鵜戸神宮宮司)、本部雅裕(宮﨑神宮宮司)、小濱歩(本学神道文化学部准教授)、山﨑雅稔(本学文学部准教授)、井田篤(宮崎市教育委員会文化財課課長)の5名が鵜戸神宮、宮﨑神宮のご祭神である鸕鷀草葺不合尊や神武天皇を中心とした宮崎県の神話・伝承などについて講演しました。
 黒岩宮司は「神武聖蹟と地域社会―県独自の神武信仰―」というタイトルで、鵜戸神宮について講演されました。鵜戸神宮は、低所に神を祀り、海の近くの洞窟の中にあるなど他の神社にはみられない社であること、亀石やお乳岩など地域の信仰・景観による神話を実感できる場所であることが鵜戸神宮の特色であると説明されました。また、宮崎県全域には神武天皇の伝承が多く残っていて、その伝承は宮崎県民の思想を一つにまとめ、県民へ誇りを持たせるものであり、そして、神武天皇から始まる万世一系(126代)の根底には、鵜戸神宮の祭神である鸕鷀草葺不合尊が存在すると述べられました。
 本部宮司は宮﨑神宮のご祭神である神武天皇を中心に「神武東遷と日向國」という講演をされました。明治40年から始まる宮﨑神宮現社殿の建築やそれに関わる多くの関係者など神宮建築にまつわる歴史を説明されました。また、人の世の神日本磐余彦天皇(神武天皇)と神世の鸕鷀草葺不合尊・玉依姫命が共に祭られていることが宮﨑神宮の特徴と述べられました。そして、『日本書紀』の神武天皇の事績と比較しつつ、記紀に載っていない伝承を宮崎県(日向国)がもつこと、その土地の人たちが身近なこととして神武天皇について語ることが重要であると述べられました。
 小濱准教授は「『古事記』『日本書紀』の神武天皇東征伝承」というタイトルで、記紀の神武東征について講演されました。記紀における神武天皇の伝承は、歴史として位置付ける意識がみられるが、英雄神話といえるものであり、神話的な叙述の仕方が強くみられると説かれました。また、神武天皇は天地を統べる存在として誕生しており、迩々芸命からの日向神話の主題を継承・再演しているとし、神武の東征は国覓ぎ神話の到達点であると指摘。そして、神武天皇の伝承は天皇統治の起源・地上世界の秩序の原形を提示する物語として読めると述べられました。
 山﨑准教授は宮崎県の古代史の観点から「古代日向国と諸県君」を講演されました。諸県君髪長媛等5人の女性を中心に古代日向とヤマトをつないだ諸県君について説明され、諸県君は景行天皇の時代に王家に服属し、それ以降、代々仕奉してきた日向の勢力とみられるが、史実としてはいつ頃の出来事かは分からないと指摘。また、宮崎県の各地に髪長媛の伝承地が多いことや諸県君の根拠地は景行天皇の巡幸から古代の諸県地域かということ、諸県舞と隼人舞との差異、眉輪王の変などの観点からも諸県君の古代日向における位相やヤマトとの関係について論じられましたが、諸県君についてはさらなる研究が必要と述べられました。
 井田課長は「西南戦争と宮崎県の成立について‐明治10年から明治40年にかけての宮崎の発展とは‐」というタイトルで、西南戦争を中心にそこからの宮崎県の発展について講演されました。明治9年頃の宮崎県民は小藩分立の歴史が残っており、郷土意識が醸成していない中で翌年に西南戦争が勃発したが、敗北を経て小藩分立の意識が薄れて一体感が芽生え、早急な復興を目指すようになったと説明されました。そして、明治40年には近代化が進められ、精神的なシンボルとして宮﨑神宮社殿の大造営、また近代化の代表格である電気の供給のために黒北発電所が建設されたと述べられました。
 講演会には地元の住民の方など計125名が来場し、盛況の内に幕を閉じました。

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